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らっぽしょ
(ラッポショ)

  



 木曽義仲ゆかりの「山吹山」に「らっぽしょ」行事。
夏の夜空を焦がす火祭り行事へと発展,見応えの木の字焼き”が行われている。
 旧来は迎え盆に挙行され,木曽義仲の霊を弔う行事は近隣をしのぎ伝統を誇った。
 「らっぽしょ」の語源や由来はハッキリしないが,倶利伽羅峠「火牛の計」や狼煙(のろし)説がある。「岐蘇古今沿革史」には,義仲公の追善行事の記載があるが,この流れが日義の里徳音寺地区に残ったというのが通説。
 松明を持った子供達の隊列が山吹山を下り「朝日将軍」の唄を雄叫びながら木曽義仲の菩提寺「徳音寺」へと向かう。


♪ 朝日将軍義仲公と おらが在所はひとつござる
♪ 巴御前も山吹姫も おらが誇りの姉様じゃないか

♪ 今井兼平 樋口の次郎 鬼の血筋に生まれもすまい
♪ 同じ育ちの木曽路の育ちじゃものを
♪ 彼らばかりに 威張らすものか





3 史跡名勝・ゆかりの地


 令 旨

(りょうじ,れいし)



皇太子ならびに三后(太皇太后・皇太后・皇后)の命令を伝えるために出される文書。後には親王・法親王・王・女院などの皇族から出される文書もいう。平安時代以降の令旨の様式は綸旨・御教書と同様に奉書形式で、書留文言に「令旨」の語が含まれることが多い。れいし。
 
2 図書・文献


 林昌寺
 (りんしょうじ



 源義賢(みなもとのよしかた)の遺児駒王丸を後の朝日将軍・木曽義仲(あさひしょうぐん・きそよしなか)に養育したのは中三権ノ守・中原兼遠(ちゅうさんごんのかみ・」なかはらかねとお)。
文武に誉れの高い「朝日将軍木曽義仲」の全ては
「兼遠一家」といっても過言ではあるまい。                     
  その,中原兼遠の菩提所は林昌寺
 林昌寺は,法泉山と号して臨済宗妙心寺派。                   兼遠の墓は,寺の本堂山腹斜面を切り開いたほぼ中央の高台で,そこから村里を一望しながら静かに眠っている。
お彼岸には,まだ残雪の固まりの中である。
 兼遠は,治承4年(1180)義仲の挙兵に際して,
我が子(「樋口次郎兼光」,「今井四郎兼平」,「巴」)を家臣に
つけた後,一門の武運を念じて”円光”と号して仏門に下った。

 林昌寺のご本尊は,宝冠を戴いた釈迦如来像として知られている。
兼遠は,平氏に隠れて源氏の子を養育した科(とが)により,糾問の末血判の起請文を認め難を逃れたその血判状が秘蔵されている。



3 史跡名勝・ゆかりの地


らっぽしょの歌 同じ木曽路の育ちじゃものを 彼等ばかりにいばらすものか。おみやげをどうぞ
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(2004/02/10)