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 寳篋印塔
 (ほうきょういんとう)


 
塔の一種。方形の基礎の上に、方形の塔身をおき,上に段形になった笠石がある。まれには金銅製や木製があるが,本来は宝篋印陀羅尼の経文を納めたが、後には供養塔・墓碑とされた。
  (参照:義仲寺)

図書文献

 樋口次郎兼光
 
(ひぐちじろうかねみつ)

(?〜1184)
 巴木曾義仲の乳母子(めのとご)木中原兼遠の二男。
木曾義仲四天王の一人。


1 人物 

 班渓寺
 
(はんけいじ)

山吹姫(やまぶきひめ)・・・M木曽義仲に従い上洛した女武者。上野の国沼田太郎家国の娘姫が創建し義仲をともらったという班渓寺(はんけいじ)
武蔵国(埼玉県) 比企(ひき)郡 嵐山(らんざん)町 鎌形郷(かまがたごう)にある。

(?〜?)
和田義盛の息子。母は巴御前だという。
実は義仲の子供、という伝承もあるが、彼の存在自体が伝説の霧に包まれていて定かではない。
安房(千葉県)の朝夷郡で育つ。
怪力で水泳の達人。曽我物語にも登場する。
1213年、和田合戦を戦うが敗れ、安房に逃亡。
以後の行方は不明。


史跡名勝,縁の地 

 
法皇
 
(ほうおう)
仏門にはいった上皇を敬っていう言葉。太上(だじょう)法皇。法王。
4 ご参考

 
芳躅
 
(ほうtちょく)
 古人の行った素晴らしい功績。 4 ご参考

 
奉勅
 
(ほうちょく)
 天皇の発した命令の伝達。勅令。 4 ご参考
 保元の乱
  (ほげんのらん)
 保元:平安時代の後白河天皇〜二条天皇まで両天皇の年号を保元という〈久寿三年(1156)4月27日改元
 保元の乱:保元元年京都に起こった内乱。
皇室内部では皇位継承に関して不満を持つ崇徳上皇×後白河天皇,摂関家では藤原頼長×忠通とが激しく対立。
崇徳上皇・藤原頼長側=源為義+平忠正が掩護,
後白河天皇・忠通側=源義朝+平清盛。
崇徳側が敗れ上皇は讚岐国(香川県)に流された,頼長は戦傷死し為義・忠正等は殺害。
武士の実力が高まって中央の政治に関与したのが契機となった。
4 ご参考
 平治の乱
  (へいじのらん)
 平治:保元四年(1159)4月20日に平治となる。
 平治の乱:保元の乱後、後白河上皇の寵臣(ちょうしん)藤原通憲と結んで平清盛を打倒しようとして,源義朝が通憲の対立者藤原信頼と結んで平治元年に挙兵した内乱。後白河上皇を幽閉し通憲を殺害したが,平清盛に敗れ義朝・信頼は殺され,義平は逃亡した。
源氏の勢力は衰退し平氏政権が出現した。
4 ご参考

らっぽしょの歌 同じ木曽路の育ちじゃものを 彼等ばかりにいばらすものか。おみやげをどうぞ
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