1.      問題の経緯:業者と区の動きを中心に

2000年12月26日

長野木工事業協同組合が飯山陸送・豊田興産(株)宛てに、廃棄物処理施設設置及び廃棄物処理業への同意書を提出(廃プラ10t/日、ガラスくず10t/日、繊維くず2t/日、紙くず10t/日)

2001年2月7日

飯山陸送が北長池区協議員会へ出席:産廃処理施設建設の説明

2001年2月19日

北長池区長宛依頼書(工場建設のための依頼書)

2001年2月24日

区民へ「産業廃棄物処理施設建設について」全戸配布(区及び区協議員は「建設絶対反対」の態度を堅持すると明記)

2001年3月〜5月

10数回ほど区長宅へ同意を求め、飯山陸送が押しかける。

2001年6月29日

北長池区第一回住民集会

2001年7月31日

北長池区第一回検討委員会開催

飯山陸送が日本容器包装リサイクル協会へ申請手続き

2001年8月1日

区民へ「廃棄物再製品化施設計画に関する件」全戸配布

2001年8月6日

長野市廃棄物対策課による「廃棄物再生品化施設建設に関する説明会」(対象:検討委員会・小委員会委員、於:北長池公会堂)

2001年8月17日

北長池区第二回検討委員会開催

2001年8月27日

検討委員会より区長宛てに「同意しないように」区民の署名(1666名分)を添えて要望書提出。

2001年8月31日

(財)日本容器包装リサイクル協会(港区虎ノ門)へ署名を持って陳情(区長、区長代理、検討委員会会長、竹内久幸県議、高野正晴市議5名)(協会では阻止することは出来ない、協定を勧められる。)

2001年9月10日

第3回検討委員会開催・区への答申書(建設反対)

2001年9月26日

飯山陸送長野支店で北長池区絶対反対を回答。それに対して、「巷に溢れる廃棄物は一人一人が出しているもの。皆さんの廃棄されたものを国の法に基づいて実施したい。建設地は工業指定地であり、企業が独自に進めても構わないが、できれば地元の理解を得て、建設したい。」(この時点から、区の役員層にはっきりと変化)

2001年10月2日

第4回検討委員会・協議委員会合同会議開催

2001年10月23日

住民集会と事業者説明会(於:JAながの朝陽支店2F)

 

2.問題に対する住民サイドの動き

2001年8月29日

関口鉄夫先生に検討委員会の資料をお見せする。(新海邸)

2001年9月6日

関口鉄夫先生を囲んで議論(新海邸)

2001年9月20日

関口鉄夫先生講演会(出席者約100名、朝陽団地を含まず)杉並病などについてのお話、「杉並病」資料の配布

2001年10月〜12月

週一回ほどの学習会を新海先生宅で行う。一般住民、検討委員会委員、北長池区に隣接する南長池区の方も参加される。

2001年11月17日

古川洋一先生をお迎えして、「廃プラ施設に関する住民集会」を開催

2001年12月21日

「木工団地廃プラ処理場に反対する住民の会」結成、代表:新海寛信州大学名誉教授、会員73名

2001年12月27日

第1回世話人会、会則、入会金等決定

2002年1月8日

第2回世話人会、「廃プラ反対の会」だより創刊号

2002年1月15日

第3回世話人会、区長さん入会拒否、朝陽小PTA協力要請

2002年1月18日

代表3名で長野市廃棄物対策課を訪問・質問(後で市から文書で回答)

2002年1月24日

4回世話人会、村上弁護士、関口先生参加

2002年1月29日

臨時世話人会、「廃プラ反対の会」だより第2号

2002年1月30日

区長へ要望書提出

2002年2月4日

5回世話人会、反対署名の展開決定、会員150名

「廃プラ反対の会」だより第3号

2002年2月6日

木工団地事業者の会が発足

長野市廃棄物対策課長・課長補佐が代表宅を来訪、だより2号の一部を訂正依頼。

2002年2月7日

署名用紙三千枚(15000名分)を印刷、署名開始

2002年2月9日

会のメンバー4名が区の5役の会に出席、要望するがほとんど認められない。

2002年2月12日

第1回総会、会員202名、関口先生による話、活動戦略の検討

2002年2月18日

6回世話人会、活動方針、19日の検討委員会への対応

「廃プラ反対の会」だより第4号、署名数750

2002年2月19日

区長へ要望書を提出(協定書案の情報公開、協定書に盛り込まなければならない事項)

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