トールドアーマー「トランディ」

第2話「ガルトスの閃光」

 AREA1
 「勝利と敗北」




奇妙な静寂が流れるなか、グレナディア:エルミーニャは今、背中に重力を感じていた。

 モニターは少し雲の流れる蒼い空を写し、そしてそのTA(トールドアーマー)は、同じように蒼い色をしていた。自機のコックピットに向けられたナックルショットを見ても、彼女には今なにが起こっているか、しばらく解らなかった。コンソールのダメージ数値は殆ど計上されていない。自分はさっき、「勝った」と思ったはずだった。

「大番狂わせー!! 『ガルトスの閃光』、TAシルバーフォックス、破れましたー!! Winnerはチームサテライト所属、TA、トランディー!! 」

 負けたという事実に気がつく前に、実況の声が無情にも響きわたる。立ち上がり始めたその蒼いTAのナックルショットが解除され、自分に向け、その手がさしのべられた。呆然とした意識の中、彼女はスティックを動かしてその手を受け取る。負けたという実感が、目頭にこみ上げた。

「あたしが‥‥。あたしが負けた‥‥?」

 周囲から聞こえる観客達の歓声が、その涙を後押しした。



「はーいおつかれー!! まずは一回戦突破、おめでとー!! わーい♪」

 ぱかーんという軽快な音が、「サテライト」のチームエリアに響きわたった。「サテライト」のユニフォーム姿がすっかり板に付いたミアのクラッカーを被りながら、アーリーは罰が悪そうに笑いながらコックピットから降りてくる。サテライトのクルー達も笑顔で迎え、口々に労をねぎらった。いくらか傷の付いたトランディを仰ぎ見て、額の汗を拭ったアーリーにタオルを差し出してくれたのは、何故かチームリーダーであるフィリスだった。まるで苦役から解放された囚人の様な表情をしている。

「本当にご苦労様でした‥‥。はい、これ」
「はは、心配させちゃったみたいですね。申し訳ない‥‥。しかしまさか、初戦の相手が『ガルトスの閃光』だったとは。勝てたのが嘘みたいですよ。」
「‥‥ごめんなさい。私昔から、くじ運悪くて‥‥」
「あ、いや! そういうつもりは‥‥。 ‥‥ま、まぁ何とか勝てましたし、まずは良かった、はは。」
「しっかしまあ、一方的に殴られてる所は見てるこっちが冷や冷やしたがね。早くも失業かと思ったが」

 その一言で、クルー達の一部に笑えない空気がさぁっ‥‥と漂う。アーリーがジト目で睨み付けたその相手は、しかし笑みは絶やさなかった。

「‥‥リック、冗談には聞こえないな、それ。」
「冗談に聞こえたかい? そりゃ言い方が悪かったな」
「‥‥‥‥」

 契約書の内容にはこう書かれている。「契約を受けたパイロットには規定のポイントが与えられる。勝利する事で加算され、敗北により減少する。規定値以下になった場合はパイロットの意志に関わらず、解約する事が出来る」‥‥。勝ち続ける事を強要するその契約書が問題なのは、同じ内容でクルーの何人かも契約しているという事だった。自分の勝ち負けが、彼らの人生をも左右する。考えたくもない事の重さが、このところのアーリーには悩みの種だった。自分だけで勝てる訳ではないのだが‥‥。

「まーお兄ちゃんもリックさんもそのくらいにして! 今日はとにかく勝ったんだから、まずは帰ってお祝いしよー!」

 ぱかーんと、もう一度ミアのクラッカーが高らかに響きわたった。和やかなムードの中撤収作業を始めた「サテライト」に、しかし「PRESS」の一群が襲いかかる。怒濤の質問攻撃の前に、彼らはしばし、退路を阻まれてしまった。人混みで見えなくなったパイロットを、だがグレナディアはしばらくじっと、見つめていた。



「まったく、初戦で負けるとは何たることだ!! 何のために君を雇ったと思っとる! あの機体は来月‥‥!」
「‥‥『FUTABA重機』から発売される予定の新製品。そのためのデモンストレーション‥‥。安っぽい作りのTAをそうでないように見せるのって、なかなか難しいね。肩こっちゃったよ」

 とあるビルの一室で、背広の鈍重そうな中年男を前にそうつぶやいたグレナディアの一言は、そのTAについて正確な評価をしていたが、むろん本意ではなかった。青筋を立ててグレナディアを睨み付けるその男は、しかし彼女の突き刺すような視線の前に目をそらす。忌々しげに、彼は葉巻に火を付けた。

「‥‥腕の差を、TAのせいにするとはな‥‥。『ガルトスの閃光』も落ちたものだ。私としたことが、どうも君を買いかぶっていたようだな」
「そりゃどうも。」
「契約は終了した。規定の金額は君の口座に振り込んでおく。さっさと失せろ。この能なしTFが」
「そうさせてもらうよ。あたしもあんたのタヌキ面を眺めなくていいと思うとせいせいする。じゃあね。あんたのもう一つのチームがいいところまで行くのを期待してるよ。もっとも次戦まで勝てる機体には思えないけど」

 自分の台詞に忌々しさを感じつつも、彼女はその部屋を出ていった。日はすでに暮れ、辺りは黄昏が支配する。喚き出したい衝動を意識で抑えながら歩き出した彼女の脳裏に、差し出された蒼いTAの腕と、遠目に見た優男の笑顔が不意に浮かんだ。何かを殴りつけたい衝動に彼女は逆らえなかった。鈍い音が、ビルの谷間にこだました。

「‥‥このガルトスで、あたし以上のTFは居ないんだ! あたしは‥‥!」

 拳の痛みも今は感じない。通算14回の出場、優勝経験6回。フリーのTFを生業とし、人々の間で「ガルトスの閃光」と賞される彼女のその輝かしい経歴。それは今の彼女にとって無意味な代物でしかなかった。負けたことがなかったわけではない。だがこの敗戦は、彼女にとって別の意味を持っていた。



「‥‥まったく、相手のダメージなぞ殆どなかったというのに、この傷は何なんだ!! まさか貴様、このトランディで「わざと」くらってやったとでも言うつもりじゃあるまいな? ええ?!」

 「第24回 GF−Cトーナメント IN ガルトス」の主催者側が用意した、ただっぴろいトランスポーター停留所の一角に、ライズは停留していた。周囲のトランスポーターの中では大型の部類に入るが、流石に企業参加の多いGF−Cクラス、ライズよりも大型の、殆ど移動要塞とでも言うようなトランスポーターも幾つか見える。そんな中、ライズの格納庫の中に収容されたトランディを仰ぎ見た髭面の整備長、今年で60になるくせに声だけはでかい長谷川 和宣という日系親父が、アーリーの胸ぐらを掴み上げて怒鳴り上げていた。

「‥‥手を抜いて、勝てる相手じゃないでしょう? 相手は『ガルトスの閃光』だったんだから‥‥」
「ふん! 貴様のレコーダーを見せてもらったが、勝負を決めたパターン25のマッチング、試合中何回起こってると思う? 7回だぞ?! 支社長が選んだ貴様ほどの男が、手を抜かずしてそんなへまをやるものか!! 勝負は試合開始後、3分でついておったんじゃ!」
「買いかぶらないでください。俺だって初戦ともなれば緊張もする。ダメージを食らったのはしょうがないでしょう? TGなんだから‥‥」

 その一言で、長谷川は突き放すようにアーリーの胸ぐらから手を離した。落ち着かない表情で見ていたフィリスとミアや、その他のクルー達も一様に沈黙している。気まずそうに胸元を直し、行こうとするアーリーの背中を見る長谷川の表情は、しかし険しいままだった。

「‥‥おまえさんの様な奴がな、一番人の心を傷つけるんじゃよ‥‥。つまらん同情で手を抜かれ、「いい勝負だった」などと言われることがどれほどつらいか、解らぬ男だとは思わなんだがな。買いかぶりか?」

 アーリーの肩がぴくりと動く。だがアーリーはそのまま自室に向け、歩き出した。脳裏に浮かぶ「パターン25マッチング」の表示。トランディは、アーリーにとって強すぎるマシンだった。欺瞞に満ちた自分の横顔を、アーリーは心の中で殴りつけた。



「だれだい? あんた‥‥?」

 安アパートの一角に、明かりの見えぬグレナディアの部屋はあった。シャワー後のバスローブ姿のまま、敗戦祝いに買ってきたブランデーを殆どストレートであおりながら、ろれつの回らぬ口調で受話器に答える。聞き知らぬ男の声が流れた。若い。

‥‥本当か?! ホントに、あたしを大会に出してくれるのか?! ああ、‥‥金なんかわずかでいい! 乗る! 乗るよ、その『ガルトーラ』って奴に!!」

 受話器から聞こえる歓喜の声に笑みを浮かべながら、その男は会合する場所を伝えて通話を切る。彼の眼前にある表情のないTAは、今、最後の起動チェックを終えた所だった。闇夜に浮かび上がるその双眼。それはどこか、邪悪なものを含んでいた。

「戦えるんだ‥‥! あいつとまた‥‥。 ははは、乾杯!!

 嬉しいという久しぶりの感情に、彼女はグラスを差し上げた。グラスの中の琥珀色が、今は希望への道しるべに思える。空になったグラスを置きながら、彼女はバスローブを放り投げて毛布にくるまった。今度こそ、あいつに本気を出させてやる。久しぶりにいい夢が見られそうな、そんな睡魔が彼女を包み込んでいった。

AREA1 Final。



NEXT AREA 「ことづて」 掲載予定日11/26

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