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4月9日(日)
当初は遭難家族BCスキーPart2で「湯の丸山〜旧鹿沢スキー場跡地」のルートを滑ろうか
と企てていたのだが気象状況がほのぼの向き出なく、雪崩れこそ無いだろうがクラストの
カリカリは当たり前に想像がつくので今週の山スキーは中止。
お茶を濁すというか、こんな日の為に前々から暖めていた里山トレッキングを実行に移してみた。
善光寺の裏側(北西側)には2つの山が望めるが、向かって左が葛山、右が大峰山。
いずれも歴史的背景が色濃く長野市民に親しまれてきたおっぱい(里山)である。
なにせアプローチ地点が自宅から車で8分という近さがいい。
寝坊して洗濯して飯食って、だらだらもたもた支度をして家を出たのが10時。
天気予報じゃ快晴のはずなんだけど、家を出たときは曇天の小雨時たま小雪ちらつき
のさえない天気だった。
県道長野戸隠線七曲手前にある往生寺の駐車場に車を入れ、参道を登る。
参拝料300円と書かれていたが、えーっ?お金とるのぉ?と、ちょっと驚き。
でも社務所の人にはハイキングの格好見てか、「いいよ」ってスルーパス。
でもちゃんと賽銭あげてお参りしたけどね。
お稲荷さんの石段を登り詰めた脇から葛山登山道は始まる。
しばらくはつづら折れのZ道が続く。
コーナーのたびにこのような石仏がいくつもある。
今日は一家総出ってことでイヌ狐も連れて行く。
冬の間、寒いし暗いしでろくな散歩もさせてやらなかったらすっかりいじけちまって
シャブ中みたいな犬面になっていた。
まあ、本日は存分に山を駆け回ってウサギでも雉でもいのししでも何でも捕まえてくれ!
赤松の雑木の登山道は正直パッとしない。
里山は広葉樹がいい。
といっても葉っぱの落ちたこの時期はなんもかんもいっしょか・・。
なかなかあなどれない勾配になってきた。
さすが戦国の山城があった山だ。
で、1時間ほどで山頂。
開けた眺めの良い気持ちの良い野っ原。山桜の巨木があったりして4月の終わり頃には
最高のお花見ができそうだ。
ここは戦国時代に上杉謙信方の大将の城があった場所なのよ。
後方の山は武田信玄方の大将の城があった旭山。
「葛山城」
標高812mの葛山が城址。城主落合備中守は村上義清に従い上杉謙信に属しており、
城は上杉方の重要な前進基地でした。
北信濃を掌中に収めんとする武田信玄は、弘治3年(1557年)2月越後は雪まだ深く上杉軍が
出陣できない時期を見はからい、部将馬場美濃守に命じ1万7千余人をもって当城を攻撃しました。
攻防戦は激しく展開し、城兵は走りなれた峰の堅塁をよく守り、疲れる色なく武田勢は進撃の
手がかりに悩み攻めあぐねた形でした。
城は水が不自由でしたが、城兵は敵の目にふれる崖から米を落し、水は充分にあるかの如く見せかけました。
武田方は葛山中腹にある静松寺の僧を責め、攻城の道を問い、水利の便がよくないことを聞き、
風上にまわって方々から火を放ちましたl。得意の火攻めは春先の風にあおられて火勢はたちまち
山を包み葛山城の防塁は燃えあがる炎の中でくずれ落ち、2月15日城は遂に落城しました。
悲惨な落城のため哀れをきわめたのは、城内で逃げ場を失った女たちで城主の落合備中守が
討死するのをみると、多くの女達が峰の上から身を投げて死にました。
姫谷という名で呼ばれる谷の底からは、のちの世まで女の悲鳴が聞えたものだと伝えられています
実は葛山だけの登山のつもりだったんだけど、思いのほか早く登頂しちゃったんで
姫谷を挟んで東側に見える大峰山にまで足をのばすことにした。
ナッチャカととっとと下山していったのだがかみさんとへろ助がなかなかこない。
「にいちゃん、熊に食べられちゃったんかなぁ?」と心配する妹であったが、実は
蕗っ玉の群生地を見つけて採るのに夢中だったらしい・・・・おかげで今晩のご飯の
おかずは蕗味噌でした。
春が生まれてますねぇ〜。
左のおっぱいの葛山を下った、胸の谷間にある集落。
レッドデータブックに載ってそうな『古き良き農家』の廃屋
この谷間の集落、やぐらにセットされたスピーカーからは大音量でラジオが流れてるのよ。
な、な、なんでぇ???ってくらい余計なおせっかい。
もう、うるさいだけじゃん・・・・と思うのだけど
実は谷の底から聞こえてる女の悲鳴をカムフラージュする為だったりして・・・・。
戸隠に通ずるバードラインを横断したら右のおっぱいの大峰山の尾根に取り付きます。
大峰山の西側には山頂までの登山道ってなくて舗装路移動になっちゃうんだけど
それじゃあ面白くないってんで送電線の作業道を登っていきました。
なかなか楽しいZ道でした。
で、右のおっぱいの先っちょにほどなく登頂。
ここには模擬天守が建っている。
内部は「蝶と自然の博物館」になっていて歴史とは全く関係なし。
なんだかちくびピアスみたいで俺的には興ざめ。
子供らは博物館が見たいと入った。
【歴史】大峰城は武田方の旭山城の向城として天文年間に上杉方が築いた山城で、
葛山城主・落合備中守の家臣であった大峰蔵人が守っていたと云われている。
天文二十二年(1553年)から始まった川中島の戦いで、大峰城周辺の山城は両軍の
最前線地帯となり激しい死闘が繰り広げられるが、結局善光寺一帯は武田方の支配
となり大峰城も落城した。
ここからの下りは歌が丘歩道と物見岩歩道の2本があるのだが
もれなく物見岩歩道を選択。
立派な赤松林の登山道。
そーいえば、うちのばあさんは箱清水っていう善光寺の裏手の町の出身。
ばあさんの弟でたけしさんっていうじいさんはこの大峰山に関しては隅から隅まで
知り尽くした元祖アウトドアマンで秋になると松茸を山ほど採ってきていた。
葛山と対照的に明るく岩あり木の根ありのバリエーションに跳んだ楽しい歩道。
昼過ぎから陽が射し、青空が広がった。
物見岩
戦乱の世、上杉謙信がここから善光寺平を眺め、策を練った岩
県警の山岳救助隊の訓練場でもあり、メジャーなロッククライミングのゲレンデ。
今日も10人くらい岩に張り付いていた。
歌が丘に着いたところで登山道はおしまい。
あとは舗装路をちんたら1kmほど歩くと車の止めてある往生寺の駐車場につきます。
車に着いたのが13時50分。
善光寺がへそだとしたら左のおっぱいから右のおっぱいへ登って下るの約4時間の
お気軽ハイキングどえした。
おしまい
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