******************* 宗家の歴史 *******************


本家(上田市丸子町東内 )


戦時中の作者の大叔父(分家 貞雄(三男)陸軍中将)の長女の結婚式
祖父作三(長男)は近衛兵(天皇の護衛官)



当家7代目 母(久江)の初節句(大正12年3月)



当家5代目:荻原作右衛門(戒名:瑞光院南山得壽居士)( 庄屋・地主・村会議員)

写真の右端が当家5代目荻原作右衛門 ( 作者の祖父(荻原作三:建築士)の父 )

中央が作右衛門 妻(賑)の弟(直方) 

相田直方(弁護士)の嫡男嫡子相田秀方(下段中央の子供)は、

敗戦前、日本満州国の満州鉄道社長 ((株)大連機械製作所 )。



旧上田駅前にて(昭和27年 撮影)
荻原作三の父は荻原作右衛門(当家5代目 戒名:瑞光院南山得壽居士
当地(江戸時代:幕府直轄地=天領)の庄屋)

作三の母は、賑(瑞雲院徳光永壽大姉 相田平左衛門(上田藩:火盗改奉行)の娘)

作者の母は、一人娘(当家世襲嫡子)のため

作者の父(倫:徳法院峻明宗倫居士)は婿養子

元長野県地方事務所所長・県庁物価対策課長:実家は上田市福田 宮島家(当時(上田藩)の庄屋)

現当主(宮島家8代目)は元高等学校校長

溝口太右衛門嫡子(溝口徳太郎 (祖母:荻原多可の父)の遺影 )
(菩提寺:上田市 月窓寺)


写真は5代目 溝口篤太郎(祖母荻原多可の父) ( 中小姓 [ 祐筆(書記官)・御奥鍵役・勘定方 ] )

遺影と孫達: 右端 作者の母(荻原久江 (当家7代目 6歳の時 )

4代目 溝口太右衛門( 1856年〜1936年 江戸詰 )の嫡子 戒名: 良明院善翁教道居士。

撮影:昭和3年



178年以前の枕屏風
(明石藩主:松平斉韶 画)


松平斉韶(戒名:嵩嶽院殿韶空天瑞輝徳大居士)
「巣嶽」は、松平斉韶の雅号


溝口徳太郎の母(旧姓:島崎縫(1834〜1927)の誕生祝に、

明石7代藩主:松平斉韶(享年66歳) が自ら描いて、

縫の父 島崎磯之丞(側用心)に贈った枕屏風。

縫が溝口太右衛門(徳太郎の父)に嫁ぐ時に持参したもの。

我が家の歴史的宝物です。


上田市新田旧溝口邸(敷地400坪 上田藩からの拝領地)

( 現在は他人に売却し、溝口家とは関係のない他人の物件になっている。 )

作者の自宅は、作者の祖祖母(相田平左衛門の娘)の実家(上田市中央1)です。

相田平左衛門(奉行)の上田藩からの拝領地(400坪)です。


相田家は、その後東京へ移住。


[信濃上田藩]

最後の上田藩主(松平伊賀守(忠礼公 徳川将軍家老中・京都所司代)は、アメリカへ留学しました。

[ 松平忠礼(享年46歳) ]

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作者の母 久江(当宗家嫡子7代目(一人娘)) 平成24年4月8日(日) 他界(享年90歳)

戒名:徳 豊 院 慈 天 悠 久 大 姉

菩提寺:嶺南山全芳院(曹洞宗)


作者の父と母


作者生後一ヶ月 中央は母の母(多可)



父:( 戒名:徳法院峻明宗倫居士 享年82歳 )(当家の婿養子)

   国立東京農工大学卒 元長野県地方事務所所長・県庁物価対策課長

   退官後: 長野県千曲市商工会議所 事務局長

   父(倫)の実家は上田市福田の大地主(庄屋)(戦前:2万坪)

   戦後:農地改革で政府に強制没収され、現在6000坪になってしまいました。

   現当主(8代目)は、元長野県立高等学校 校長。


母(一人娘):( 戒名:徳豊院慈天悠久大姉 享年90歳 平成24年4月8日(日)逝去)

   ・長野県立上田高等女学校卒(現 県立上田染谷ヶ丘高等学校)

   ・公認会計士(私立上田大原簿記学校卒)

   ・花道師範(順天古流)



当家一族の墓群。周辺は、石垣で囲まれています。



菩提寺:嶺南山 全芳院(曹洞宗)  上田市腰越

墓地: 上田市東内 ( 山全部が本家所有地)。

     中段左端が宗家&本家の墓(中段5塔)。

     宗家・本家・分家の墓場(西暦1700年〜現在)。

     周辺は、他家の墓。

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以下溝口篤太郎( 上田藩士 祖母多可の父 )の事

信州上田藩の中小姓[ 祐筆(書記官)、御奥鍵役、勘定方 ]
溝口太右衛門( 江戸詰 )を検証してみました。
御徒士目付、勘定方と出世し、万延2年(1861年)に中小姓( 祐筆 )になりました。

4代目 溝口太右衛門( 〜1883年 戒名:誠心院重厳超敬居士 )( 江戸詰め )
5代目 溝口篤太郎( 1857年に江戸浅草藩邸に生まる 戒名:良明院善翁教道居士 )
6代目 溝口功(篤太郎嫡男)は嫡子なし。篤太郎の娘達は全て嫁入り。
    作者の母の母が徳太郎の嫡女嫡子(溝口家の継承者となる)。
    溝口家は、6代目:功で終わる。



溝口家の墓(上田市月窓寺)
現在は作者が管理


上田城址本丸跡地で旧藩士の記念撮影(昭和初期)。

藩士最上段左端が溝口徳太郎 (添付写真左:上田藩 最後の藩主(松平忠礼:子爵) )



溝口 縫(溝口徳太郎の母)とその孫達  右端:作者の祖母(多可)(母(久江)の母)

右端:作者の祖母(戒名:壽徳院梅香貞心大姉)

写真中央は、溝口徳太郎の母 溝口 縫(1834年〜1927年)

兵庫県明石藩7代目藩主 松平斉韶

(戒名:嵩嶽院殿韻空天瑞輝徳大居士 菩提寺:明石市 長寿院)

の側用人の島崎礒之丞の娘 縫( 戒名:長松院鶴応延壽大姉 1834年〜1927年)

とその孫達(写真右端が作者の祖母(多可(戒名:壽徳院梅香貞心大姉))

溝口篤太郎は上田藩廃藩置県後、長野県中学校上田支校

( 旧上田藩校 明倫堂 創立文化8年 現上田高等学校 )の教諭に就任(明治8年)。

その後、長野県小県郡和田尋常高等小学校初代校長に就任(明治41年)。

現国会議員羽田孜の父親武嗣郎(元国会議員)は、和田村尋常小学校時代の教え子である。

羽田武嗣郎(長野県小県郡 和田村 羽田家の4男)と

作者の祖母多可(溝口篤太郎長女)は同級生です。





上田市立博物館保管古文書(上田藩士 溝口家)

上記古文書の訳(1)


上記古文書の訳(2)


上記古文書の訳(3)


上記古文書の訳(4)


上記古文書の訳(5)


上記古文書の訳(6)


上記古文書の訳(7)


上記古文書の訳(8)


上記古文書の訳(9)


上記古文書の訳(10)