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WordsWorth
of June

Hyakusetsu Futou

Never Give Up!

Through unyielding perseverance

 

 

6月の四字熟語

百折不撓

四字熟語に秘められた先人の思い

 

copy by Ko Tamura

a staff writer of zuzu creations

 

易名変貌幾辛艱

 臨険未為児女顔

 百折不撓金鉄心

 毎思父母涙初潸

 

名を易え貌を変えて幾辛艱

 険に臨んで未だ児女の顔をなさず

百折不撓金鉄の心

 父母を思う毎に涙初めて溢る

 

* * * *

 

1994年11月23日、貴乃花、第65代横綱に昇進。
その折彼は、日本相撲協会の使者に対して「謹んでお受けいたします。今後も不撓不屈の精神、力士として相撲道に不惜身命*を貫く所存です」と口上を述べている。
 

* 不惜身命(ふしゃくしんみょう):
仏教語で「仏法のためには命を惜しまずに捧げる事。」 

 

* * * *

  hyakusetsu futou

ひゃくせつ‐ふとう
【百折不撓】

「何度挫折しても志を曲げず、国の大事にあたっても動揺することがない風があった」という原典の意から「いくたびの苦難にも負けぬ強靱な精神の錬磨」を意味するものである。

 

「易名変貌幾辛艱 臨険未為児女顔 百折不撓金鉄心 毎思父母涙初潸」


名を易え貌を変えて幾辛艱 険に臨んで未だ児女の顔をなさず
百折不撓金鉄の心 父母を思う毎に涙初めて溢る

* * * *

類似熟語
ふとう‐ふくつ【不撓不屈】
困難にあってもひるまず、くじけないこと。「―の精神」

* * * *

「百折不撓」「不撓不屈」といったことわざを耳にするとカーネギー・サンダースの人生を思いだす。ケンタッキー・フライド・チキンの創始者である彼は、さまざまな職業を転々とした末、アメリカ ケンタッキー州コービンの町の国道25号線沿いに『サンダース・カフェ』という店を運営するに至った。40 才で店を構えてから25年余が過ぎた。

 店の25 年間の道のりは、それ以前の彼の起伏に富んだ人生と同様、決して平坦なものではなかったが、彼の人生にふりかかってきた数々の逆境を彼が乗り越えてきたように、そしてまた彼の不断の努力のおかげで、カフェは繁盛していた。
 ところが、近くに新しいハイウェイが作られたことで、状況は一変してしまう。『サンダース・カフェ』に立ち寄る旅行者の数は激減し、結果的に彼は75,000 ドルで店を手放さざるをえなかった。税金や掛金の支払いを済ませると、金はほとんど金は残らなかった。彼は66歳を迎えようとしていというのに。
 ほとんどすべてを失ってしまったカーネル・サンダース。彼に残された選択は、年金をもらい細々と生活することだけ。だが、状況は彼の思惑に反した。年金の毎月の支給額がわずか105ドルと知った時、カーネルは愕然となる。そして彼は再び生きて行く糧を探し求めるのであった。
 彼に残されたものは、中古のフォード社製の車、そしてサンダース・カフェで最も人気のあった、彼考案の「7つの島からとれた11種類のハーブとスパイス」を使い、圧力釜で作るフライドチキンの作り方だけ。
 数日間考えた末、カーネルが思いついたことは、自分が完成させた「オリジナル・レシピ、フライドチキン」を他のレストランに紹介し、気に入ってくれ、店のメニューに加えることを希望する店があったら、作り方を伝授し、その代わりにフライドチキンが売れた分だけ1ピースにつき5セントのロイヤリティをもらうという契約を結ぶことだった。
 知り合いのレストランを訪ねてまわるわけではなかった。みず知らずのレストランの従業員用のドアをノックして回らなければならなかった。
 自分のフライドチキンの調理法を気に入ってくれるかどうかの前に、まず話を聞いてもらうことができるかが問題だった。
 またロイヤリティの話も簡単に承諾してくれるとは思えない。フライドチキンそのものはどこにでもある料理だったし、当時はまだフランチャイズの概念が、人々に浸透していなかったからだ。わずかに残っている資金が、いつまで持つかも判らない。
 そして、65 歳という年齢の自分が、肉体的にも精神的にもいつまで頑張れるか疑問だった。
 それでも彼はレストランを訪ね歩く旅に出る決心をした。それ以外に自分に残されている選択が考えられなかったのだ。「私に『引退』という言葉はいらない。たとえどんな困難が待っていようとも、私はあきらめない。今までがそうであったように、これからも何回でも立ち上がる。命ある限り私は働き続ける」そう彼は自分自身に誓ったのであった。
 「さて、もう一度最初からやり直すか。」65 歳のカーネル・サンダースは、中古のフォードにハーブとスパイスを詰めたビン、それに圧力釜を詰め込み、どこへ向かうともなくコービンの町を後にしたのである。旅の途中、彼は車の中で寝泊りを繰り返した。食べるものは見本で作ったフライドチキンだけだった日も珍しくなかった。
 こうして彼が1,000 軒を越えるレストランを訪ねてまわり、ケンタッキー・フライド・チキンを広めていったことは、今では伝説となっている。

 1952年ユタ州で第1号の契約店を得た後、約10年間に全米で600 のレストランと契約を結ぶことに成功。65 歳の老人が伝説を作り始めてから40 年の月日が流れた1996年、ケンタッキー・フライド・チキンは、世界約 80 カ国1万軒近い店舗数を構えるまでに成長した。年間に使われているチキンを並べていくと、284,000 マイルにもなる。これは地球を1周もする距離である。すべては105ドルの年金を手にした65 歳の老人から始まったのだ。

 74歳の時、1964年、彼はこの商売の権利をジョン・ブラウン2世に売却、自らは一線から退き、役員としてブラウンの会社に残ったのである。ブラウンもまた商才のある人で、このチェーンを急成長させ海外にも進出。1969年までに全世界に3500 のフランチャイズ店を創った。
その後、ケンタッキー・フライド・チキンは1971年 Heublein に買収されるが、その Heublein が1982年RJRナビスコに買収されてその傘下に入り、1986年には今度はペプシコーラに買収される。この時の値段は8億4千万ドル(900億円)。サンダースがブラウンに売却した時の値段は200万ドル(7億円)であった。

 

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