この度、登録有形文化財に桃山風呂が指定されました。
1.キジの欄間と象山の扁額(桃山風呂・脱衣室)

建物は木造平屋建、内部は桃山調の書院造りを中心とし、虹梁(こうりょう)・柱・桝組など天平や鎌倉の形式を交えています。
脱衣所に入ると雉子の木彫欄間が目に止まります。越後の奇得な彫刻師相崎武吉の作品です。彼は雉子を愛育して10年、喜怒哀楽をも仔細に会得し、一旦放しても呼べばまた手元に戻るまで飼い馴らし、雉子の各種生態を全知全能を傾けつくして彫刻した力作です。 桃山風呂ができた昭和28年、脱衣室欄間に収めました。
脱衣室から浴室への入口には佐久間象山(さくまぞうざん)の「洒心」(さいしん)の額が掲げられています。「洒」は洗う・清めるという意味で、身体ばかりか心も洗うという訓諭が込められております。
象山(1811〜1864)は、松代藩の御用掛りとして湯田中温泉とゆかりの深い人物です。象山の思想は「東洋の道徳と西洋の芸(技術)」という言葉で言い尽くされております。吉田松蔭の密航に連座して蟄居を命ぜられ松代聚遠楼(しゅえんろう)(野天風呂はこの庭園を擬した)に閉ざされ、のち1864年(元治元年)京都三条に於いて刺殺されました。

2.桃山風呂の建築様式と泥舟(でいしゅう)の扁額

桃山風呂の建物は木造平屋建で、建坪199F、内部の浴槽は楕円形、タイル張り。浴槽の縁、洗い場は花崗岩敷です。奥には温泉蒸風呂があります。脱衣場の床はけやきの寄木細工、柱は杉、梁はけやき、浴室の格天井は松の一枚板を用いています。昭和25年から3年ががりで建設されました。外観は安土桃山時代の建築様式を取り入れた入母屋造唐破風の純日本風で破風の下には高橋泥舟の「清舎」(せいしゃ)の扁額があります。
高橋泥舟(1835〜1903)は山岡鉄舟・勝海舟とともに幕末の三舟と並び称された人物で、西郷との駿府会議を成就し、江戸を戦火から免がれさせた影の功労者(鉄舟の駿府行推薦者)でもありました。泥舟の書は彼が生涯清貧を貫いたのに相応しく枯淡な味わいがあります。
温泉蒸し風呂内部

3.野天岩風呂と五重塔・石燈籠

池泉庭園式大野天風呂は石のイメージが強い。
赤御影石の五重塔は11mで兼六園のそれと高さを競っています。
石燈籠の中台には徳川の松の紋があり、徳川御三家の一つ紀州和歌山家にあったものです。
二万貫の礎石は当地湯宮神社脇の民家から調達したもので約400mの道のりを道幅一杯にして小半日を要しました。いずれの設備品も昭和29年野天風呂完成までに関係者より譲り受けたものです。

4.町文化財指定  五輪塔

五輪塔は桃山風呂建設の時に出現したもので、その後、野天風呂築山に移設し、町の文化財に指定されました。この塔は湯田中温泉の古墳時代から中世にかけての文化地帯を象徴するものです。