12月定例会 一般質問 和田英幸


 1番、三政会 和田英幸でございます。



 私は、国の地方分権一括法が本年7月に成


立し、特にその中の「市町村の合併の特例に


関する法律(合併特例法)」の改正成立後、


県下では初めての大きな動きとなったこのた


びの「更埴地域一市二町の合併を前提とした


合併協議会設立に対する合意」について、議


会初日に市長から経過報告を受けたところで


ありますが、内容全般についてより詳しくお


聞きしたいと思っております。



 まず、質問に入る前に、ひとことお断りを


いたします。私は、更埴市議会にあって、現


在合併促進特別委員会に所属しており、これ


までの経過については説明を受けており


ます。本来ならば、合併問題に関する質問は


差し控えるところではございますが、更埴地


域の広域合併問題については、ここにたどり


着くまでの経過、そして、今後の方針、今後


どのように展開していくのかという問題につ


いて、市民にとっては、大変注目するところ


であり、国や県、または近接の関係市町村に


とっても、関心の高い問題でありますので、


もう少し詳しい話をわかりやすく市長の生の


声で直接市民に対しご答弁いただきたく、質


問に対してのご了解をお願いいたします。


 はじめに、広域合併の問題、特に一市三町


の合併問題につきましては、過去議会におい


て何回となく質問がされておりますが、私自


身が関わる質問とすれば、平成10年の3月


定例議会で、三政会の代表質問で同僚の宮下


議員がしております。また、私自身同年6月


定例議会と平成11年9月定例議会におい


て、一市三町の合併問題について質問をして


おります。


 平成10年3月定例議会の三政会代表の質


問に対しては、市長は「これからも理事者あ


るいは議会が腹を割って話し合いをして、で


きるだけ意見の交換をしながら早い時期に合


併の方へ進むように取り組んでいきたい」と


合併に対し、積極的な答弁をしておられまし


た。


しかし、相手のあることだから、慎重に粘


り強く機会あるごとに話し合いを進めていき


たいという慎重な姿勢でもありました。


 また、平成10年6月定例議会における、


一市三町の広域合併推進に対する質問とし


て、私は合併するには一市三町の枠組みが適


当な地域であるという認識をする中で、坂城


町において合併を進めにくいと言うことにな


れば、合併を段階的に考えて、一市二町を早


期に進め、次の段階を考えていくということ


も選択肢のひとつとして検討していく時期で


はないかという質問をいたしました。


市長の答弁では、一市二町の先行も選択肢


の一つではあるとしながらも「戸倉町の町長


が代わったばかりであり、首長間でも話を進


めるが、議会としても話し合いを進めていた


だきたい」ということでした。


また、平成11年9月定例議会においては、


坂城町の選挙後の経過でその後状況に変化は


あるのかお尋ねいたしましたが、「坂城町と


しては議会の意向もあるということで、慎重


な姿勢をとっている」とのことでした。


坂城町を除く、一市二町が任意の合併協議


会を設立することで合意したということは、


これから合併の是非を地域住民に問うていく


いわば出発点に立ったにすぎませんが、広域


合併に対して、一市三町の議員をはじめとす


る多くの方々がこれまでの調査・研究に携わ


り、約17年を要した時間を考えると9月以


降今日までの急展開は、まことにドラマチッ


クであり、感動を誘うものであります。


 私自身においても、青年会議所を通じて運


動してきた経過や議員としての信条の一環と


して、常に合併問題については注目し続け、


その状況について質問をしてきたことを考え


ますと胸が熱くなる思いでおります。


 しかし、今回の合意については、坂城町が


難色を示し、不参加を決意したことには若干


の無念さは残ります。今まで、ごみ、し尿、


あるいは、福祉施設等の行政面や社会的な面


での昔からの古いおつきあいの中で、いつも


一緒にやって来た訳ですから、何か一抹の寂


しさを感じる決定であります。


 この合併問題は坂城町の皆様が町の将来を


見据えてどうするかを考えることであります


が、私はこの地域がより良くなるためには坂


城町を含めた一市三町であることは今でも確


信いたします。これ以上は言う立場にありま


せんが、事情が変われば、いつでも参加して


もらえるよう道をあけておくことも合意事項


に入っていますので、早期の合流を希望して、


今後の動きを見守りたいと思います。


 それでは、一市二町(更埴市、戸倉町、上


山田町)の合併問題について、通告にしたが


い順次質問をいたします。


まず、1として、各首長、各議会の合併に


対する認識についてであります。



 質問の冒頭、一市二町の枠組みのことにつ


いて触れますが、我々経過を知っている者に


は、一市二町というと更埴市、戸倉町、上山


田町のことを指していることは当然わかりま


す。しかし、地域住民の中には、一市二町と


いうと更埴市と戸倉町、坂城町の旧埴科郡の


二町をあわせた組み合わせと思われている方


もいると聞いております。


 そもそも一市三町の枠組みについても住民


への啓発がされないままに、行政・議会が主


導で決めてきた経緯がありますので、その枠


から坂城町が抜けたから一市二町(更埴市、


戸倉町、上山田町)であると。では、なぜ坂


城町が抜けたのかという事実に対しても、い


ろいろな疑問や憶測、お互いの不信や思い過


ごしを呼んでしまいます。さらに、更埴市の


住民からすれば長野市との合併を主張する方


もおりますし、坂城町の中には上田市との合


併を主張する方もおると聞いております。こ


うした状況を背景として、協議会設置の合意


に至るまでに首長間においてはいろいろな話


し合いが行われたのではないかと推測いたし


ます。


 そこで、各首長、各議会の認識についてお


聞きするわけであります。



 はじめに、これから手続きの中で住民への


啓発やPR活動がいろいろされていく訳です


が、一市二町が協議会設置の合意に至るまで


の段階で、11月5日には一市三町の首長会


議があり、宮坂市長もこの会議に参加して合


併問題の話がおこなわれ、坂城町を除く一市


二町でとりあえず検討を進めることになった


との報告が、議会初日にありました。



 そこで、1点目として、このときに各議会


に置いては、一市二町で合併に関して検討を


進めることの認識の合意がまだとれてない状


況であったと思います。各首長間に考え方や


意見のずれはなかったのか、合意に至るまで


のこれまでの経過についてお伺いをいたしま


す。



つぎに、一市二町で合併の具体的な検討を


始めることについて、坂城町では町長も議会


も了解したと言うことですが、新聞報道によ


れば、坂城町が準備会議に参加しない理由に


ついて、中沢一(ひとし)坂城町長は、「住


民の意思が盛り上がっていない」と説明して


います。歴史的にも、地理的にも、経済的に


もいろいろな要素が絡み合う坂城町だけに複


雑な感情や考え方があろうかと思います。



 そこで、2点目として、坂城町が参加しな


かった理由について、市長はどのようにとら


えているのかお伺いをいたします。




2として、一市二町の首長・議長・議会特


別委員会委員長が集まって開催された会議の


合意内容についていくつかの質問をいたしま


す。


議会初日の諸情勢の報告の中で、この会議


は11月5日の合意を受けて、戸倉町の呼び


かけで首長・議会代表者が集まって、開催さ


れたと報告がありました。


合意された内容として、


@合併協議会に至るまでの間、いろいろな手


 順や段階が必要であるので、事務担当者も


 含め研究調査を行うこと。


A住民の理解を求めるため、合併の必要性や


 新しいまちづくりなどの構想等をまとめ、


 啓発や話し合いを進めること。


B(任意の)合併協議会の設立を目標に、準


 備会議を持ち、研究・検討を進めること。


 なお、準備会の開催については、更埴市が


 まとめ役になること。


C坂城町については、事情が変わった場合、


 いつでも参加してもらえるよう道を開いて


 おくこと。


であります。


 @つ目の合意事項のように、合併協議会が


設置される前後から、新市が誕生するまでの


間には、いろいろな手続きや法律による様々


手順があります。


平成7年9月1日に新市になった、東京「あ


きる野市」の例を見ますと、ここでは、準備


段階の合併促進協議会では、四市町村で協議


をしていたが合併の合意には至らず、二市町


(秋川市と五日市町)の先行合併となり、残


る二町村(日の出町と檜原村)は時期尚早と


して参加しなかったと言うことです。


更埴地域と様子が似ているわけですが、あ


きる野市の例では、任意の合併協議会である


「秋川市・五日市町合併促進協議会」が平成


4年4月8日に設置されました。


 この間、二度ほど二町村への呼びかけはし


たようですが、回答がなく、10年後に対等


に考えていくと言うことになったそうであり


ます。ここの例でいけば、平成5年には新市


の、将来構想である建設計画案の策定に着手


し始めていますので、二町村に対する呼びか


けは、このあたりが限界であっただろうと推


測いたします。


そして、二年半後の平成6年9月末には一


市一町両議会の議決を経て、法定の合併協議


会が設置されたのであります。


それから、7ヶ月後の平成7年5月に合併


協定調印式が行われ、平成7年9月1日にあ


きる野市が誕生したわけであります。


任意の合併協議会が設置されてから、実に


3年5ヶ月を要しております。これは、あく


までも先進地の参考例であり、しかも二市町


の合併例でありますから、これが三市町にな


ると、更に慎重な話し合いが必要であり、か


なりの時間がかかることは容易に想像できま


す。


そこで、5点ほど市長にお伺いをいたしま


す。



1点目として、坂城町の合流の問題であり


ます、あきる野市の例から見てもわかります


ように、任意の合併協議会設立のあたりが事


実上の限界だろうと思いますが、それに対す


る市長のご所見と、いずれは見切ることもあ


り得るということでよいのかお伺いをいたし


ます。



2点目として、平成17年3月末で合併特


例法の期限が切れるわけですが、一市二町合


併準備会のまとめ役を引き受けた宮坂市長と


して、これから新市発足までどのくらいの期


間が必要と考えるか。また、任意の合併協議


会の設置はいつ頃と考えるかお伺いをいたし


ます。



 また、今後、任意の合併協議会が設立され


ていく中で、合併に関する情報を市民に公表


して、市民合意を得る(いわゆるコンセンサ


スを得る)ことが一番重要なことと考えます。


 なぜなら、これまでの市長の答弁では、議


会や首長の合意がなければ、合併に関するメ


リット・デメリットについての情報提供や啓


発はしないということでありましたから、市


民抜きの行政主導による合併論議が先行して


いるからであります。


 ここで約17年間にわたる一市三町の合併


問題は一気に進んだ訳であります。しかし、


その間には、経済状況の変化や国・県・市町


村の財政事情をはじめ多様な時代の変化があ


って、市民の感情や考えも変化しております。


こうした経過の中で、今後どのように進めて


いくのか、その舵取り役である更埴市長の責


任は重大であります。また、それを取り巻く


各首長・各議会はまとめ役である宮坂市長を


信頼し、歩調を合わせながら慎重に作業を進


めることがさらに重要であろうと思います。


市長は新聞報道によれば、「一つのボタン


を掛け違うだけで難しくなってしまう」と言


われておりますことは全くその通りであると


思います。



 「合併を推進するうえでの留意点」として、


あきる野市の例で言えば、



@首長、議会が合併に対する強い信念を持つ


A早い段階から全庁的に事務調整をする


B合併予定期日を明確にする


C住民に対する説明を繰り返し実施してコン


 センサスを得る


D新市建設計画が総花的にならないように注


 意する


というようなことが言われております。



そこで、3点目として、今後進めていくう


えで留意すべきことは何か、準備会のまとめ


役を承諾した宮坂市長としてのお考えをお伺


いいたします。



4点目として、来年度の予算付けには、こ


うした動きに相応した額の予算を付ける必要


があると思いますが、市長のお考えをお伺い


いたします。



5点目として、事務局を引き受けたわけで


すから、当然「合併対策室」(同時に準備会


議事務局となる訳ですが)を設置して専門職


員を置いて対応していく必要があると思いま


す。行政改革の最中ではありますが、必要と


思いますので市長のお考えをお伺いいたしま


して、質問を終わります。