県政の憂鬱(ゆううつ)・・・
 いま、長野県の県政は、県民を向いているのだろうか。どこか検討違いのところに議論が集中しているように思える。言い方を変えれば、本流をそれて支流の議論がされている。枝葉の部分が多すぎて、いいかげんにしてくれと叫びたくなるのは、私だけだろうか。
 県の財政が厳しく、県民の生活も大変厳しくなっている。行政は一体となってこの南極を切り抜けることが必要だ。もちろん、県だけでも市町村だけでも、景気を良くできるものではない。グローバル化のなかで、国際経済が影響する現在である。
 だからこそ、県レベルで出来ることはしっかり行っておくべきだ。
 

田中知事に苦言をていしたい

 そこで、知事に苦言をていしたい。第一に、私事と公務(正確に言えば、個人的感情と知事職)をごちゃ混ぜにしてほしくないということだ。改革理念は誠に、すばらしいものである。知事が本業としている「作家」であれば、この位の記述はお手のものだろう。しかし、絵に書いたもちでは、何の価値もない。いかに実現するか、その結果が評価になる。
 したがって、いまは評価できない。それどころか、実現できないのは、知事の姿勢に拠るものであることを自覚できなければ、永久にその実現を封印されてしまう。それでいいのか。
 知事は、理念・理想をいだき行政にあたっているはずです。それが実現できない場合は、議会のせいにするのではないでしょうね。少なくとも、多少の妥協はしても、自らが掲げた理念・理想を実現させることを優先させなければ、県政改革は少しも進まないばかりか、県民益ならず、県民不利益を招くだけだ。
 その原因が、知事自身の個人的な意地や怨念であったならば、県民を巻き添えにした県民に対する背任行為と言ってもいいだろう。
 
 第二に、県民が支持したのは、崇高な理念と実行力だ。しかし、実行力の解釈が間違っていませんか。わがまま勝手、我をとおし、謝ることを知らない。もっと、謙虚に正直であってほしい。
 論議をはぐらかして、枝葉の部分に注意を引くことは、止めてほしい。本論が頓挫してしまう。知事の支持率が下がるのも無理はない。もう10%も下がれば、いよいよ死に体となってしまう。
 年金未納問題で、同じ公表した人でも、話題になる人とならない人がいた。自らの給与を減額すれば、県民は理解すると思ったのか。そうじゃない。もっと謙虚に、「申し訳なかった」の一言がほしいのである。泰阜村の住民票異動問題でも、裁判所の判決に対して、謙虚に受け止める姿勢が全くない。
 県民には、どう写っただろうか。我の強い、いこじな行動と写ったのではないだろうか。普通、このようなトップには、人はついてこない。いずれ裸の王様になってしまうことだろう。残念なことだ。


議会と長野市長との関係改善を・・・
 なんとか、知事には初心に返って、そして、周りとうまく協力できる関係作りをしてほしい。
そして、過渡的ではあっても改革を前進させる努力をしてほしいのである。
 特に、県議会と鷲澤長野市長との確執をすてて、寛大な姿勢を見せていただきたい。そして、真の県民益を考えることに専念してもらいたい。