平成の大改革というけれど・・・・・・
 明治維新、戦後の復興期、そして、現代の平成の大改革。誰も彼も口をそろえて、今は、大改革期という。戦後日本は、政府と国民が一体となって歩んできた結果、戦後の復興期を乗り越え、高度成長期を作り出した。こうした右肩上がり経済の中で、わが国は何もかもが思うとおりに進んできたといっても過言ではありません。しかし、わが国はバブル経済の崩壊後、デフレ経済への道をたどり、景気の低迷が続き、国家財政においても約700兆円の借金を抱え、もはや財政危機に直面いている。地方においても、今まで何でも国に頼ってきた付けが借金という形で残ってしまった結果、国同様厳しい財政状況を強いられている。
 しかし、この間、地方の生活基盤である道路、橋、下水道等のインフラ整備は着実に進んだのは、事実である。公共事業は、費用対効果の面で税金がいかに効率よく使われたかが問われる。例えば、地方の高速道路網の整備、新幹線整備、ダム建設、ローカル空港建設等の大型公共事業は、費用対効果の面でどうなのか。税金が適切に使われているのか。この点については、議論の分かれるところであり、地方と国とでは、考え方が違う。
 税収が潤沢でいくらでも公共投資が出来る時代では、このような問題はなかったが、今日のように税収不足が続き、その赤字分を借入金で補うような予算書の中では、大型公共事業着手はなかなか簡単には行きません。
 さて、ここで国民は一体この改革時期において、今までとは違いどのような意識改革が必要なのでしょうか。以下に、検証してみました。

 
総論ではわかるが、やっていることは旧態依然の行動⇒改革と言葉では使っているが、「改革は誰か他の人がやってくれるもので、自分自身は今までどおりでいい。そのうち、変わってくるさ。」と思っている人が多いのではないでしょうか。例えば、どこかの議員さんはあるあいさつの中で、「現在日本は、平成の大改革期にあります。・・・」と日本の置かれている現状をお話しますが、ではご自身改革に対してどのような考えを持っておられるのでしょうか。はなはだ疑問を感じることがあります。(議員さんの例を出しましたが、一般の方々も同様です。)問題は、その矛盾に気が付かないことです。改革はひとり一人の意識の改革、行動の改革から始まるのです。

 長野県は9月から知事への表敬訪問や陳情について自粛すると発表しました。地元要望という陳情についても、県民の声ホットラインや公聴部門で対応したり、電話やファックス、あるいは、車座集会で知事が直接要望を聞くことができるとのことです。こうした事をもって、改革を進めるとのことです。
 
 地方分権の始まり
 国では財政が厳しくなり、税収が落ち込む中で、今後は地方交付税を減らさなくてはならない状況になってきている現在。地方は、自主的な合併を余儀なくされている面もあります。こうした中、国は、中央集権システムから、地方に権限を移譲し(しかし、予算も伴わなくては本来の分権にはならない)、地方分権を進めたい考えだ。しかし、地方には地方の考えがあり、そう簡単には国の思った方向には進まない。国は国で、なんとか地方分権を進めるためにも、アメとムチを用意した合併特例法を整備して、市町村の合併を促進しているのが現状だ。

 千曲市が誕生する
 2003年9月1日に長野県千曲市が「平成の大合併時代」の長野県ではトップを切って、誕生する。更埴市、戸倉町、上山田町の一市二町が千曲市となり、約65,000人の人口となり、長野県6番目の市となる。

 改革は個人の意識改革から
 改革は私たちの今までの生活習慣を変えなければ成り立たないだろうし、個人個人の変える意志がなければ改革は進まない。まずは、指導的な立場にある人たちが自らを変えていくことが必要不可欠である。