新興宗教からの帰還

宗教的誤信の形成と放棄についての事例報告

守 一雄

【はじめに】

 浅見(1987)、ブロムリー・シュウプ(1986)、川崎(1990)など、新興宗教の反社会的活動について論じた書物は多い。また、オウム真理教のように犯罪集団であることが法廷で争われる事態も進行中である。こうした新興宗教に入信し、学業を放棄してしまう大学生も全国に数多く存在する。しかし、その事例報告は少ない。 本報告は、大学在学中に新興宗教に入信し、大学を中退した後、家族などのねばり強い説得によって、新興宗教から脱出した者が、筆者の指導の下、自分自身の体験についてまとめたものである。ただし、本人の了解を得て、本人が特定できないよう一部を改変した上で、事例として報告する。そこで、本来であれば、本人と守との共著とすべきものであるが、守が単独で発表していることを明記しておく。こうした報告が、宗教的な誤信がどのように信じられ、多くの批判にもかかわらずなぜ修正されないのか、そしてその信念を捨てるために、どのような情報が必要であったのかについて多くの人々に知ってもらう一助となれば幸いである。

【本人による報告】

 私は、19xx年8月、ある新興宗教に勧誘されて以来、5年半の間、その組織のために献身的に働いた。その出会いによって、私の信念も行動も生活も、突然、劇的な変化を遂げることになったのだが、それは、そこで行われた教育を真実だと思い込み、人生を委ねる価値があると信じたからだ。ところが、現在の自分は、それが大変な誤信であったことを知っている。いかにして信じるようになったのか、なぜ5年半も信じ続けたのか、どういうきっかけで誤りに気づいたのか、振り返ってみたい。

1.信念の形成
(1)出会い

 出会いは、大学在学中4年生の夏休みに一人で出かけた、海外旅行の第1日目であった。旅に期待していたのは、世界を見、多くの人々に出会うことによって、新しい自分を発見すること、一人で成し遂げることによって自信を持つことであった。

 街角で声をかけてきたその人は「キリスト教関係のボランティア」だと述べ、親切にホテルの紹介などしてくれた。しばらく話しているうちに、私が何のために旅しているのか、将来どんなことをしたいのか、とても興味深そうに聞くのだった。互いに教師を目指しているという点で話が合い、誘われるままボランティアの人が集まっているというセンターを訪れることになった。その人の親切が、勧誘を目的とした意図的なものだとは気づかなかった。センターには、私のように初めて訪れた人も含めて20人ほどの若者が集まり、食事をしていた。観光の情報交換も打ち切られ、そのボランティア活動の中心となる理念を紹介するということで、ビデオを見せられた。

 ビデオの内容は、戦争や飢餓など、世界のさまざまな未解決の問題を生々しい映像にしたもので、何とかしなければと思わずにいられなかった。すると、それを解決できる理論があるから、ぜひ聴いてほしいと言う。これがこの新興宗教の基本的な教義であり、一通り聴くには30時間もかかるうえ、さらに多くの犠牲が強いられようとは、思いもしなかった。私は時差ぼけの頭で、講義形式のビデオをぼんやり聴いていた。宗教的な内容に違和感を感じたのは、確かだった。

(2)深まり
 しかし、その翌日も次の日も、朝から迎えに来られて、私は断われずにいた。それは、そこにいる人たちがとても熱心で、献身的であり、本当に私の為になると確信している様子であるからだった。私がやめると言い出したなら、彼らがどんなにがっかりするか、またどれほど強く説得しようとするか、明らかだった。私は滞在予定を延ばし、とにかく最後まで聴くと約束してしまった。自分の中の警戒心に対しては、もし途中でやめてしまったら、それまで費やした時間が無駄になってしまうし、優柔不断なために変な人々に関わってしまったという、嫌な思い出だけが残ってしまう、と言い訳していた。最後まで聴けば何か得るものがあるだろうと、自分の行動を正当化したかったのだ。

(3)新しい始まり
 一週間ほどで最後まで聴いて、それが終わりではなくて始まりであることがわかった。結論を聞いてしまってからそこを去るには、それを否定する別の理論を主張するか、どんなに非難されようと、自分の意志を貫いて立ち去るかしなければならなかった。教義の内容は、キリスト教らしく聖書をふんだんに用いて、結論としては、イエス=キリストに代わるメシヤがすでに現れているというのである。私はキリスト教についても、聖書についても知識がなかったので、反論する材料がなかった。さまざまな社会問題も、これなら解決できるという確固たる態度に対抗できる思想も持ち合わせていなかった。神だとか心霊だとか見えない世界を科学的に解明するとし、一見筋が通ったような理論に圧倒されるだけだった。

 そのうえ、もしこれが真理だったら、と考えたとき、その掲げる理想は十分魅力的だった。むしろ、自分が世界と人類のために役立つ何かができるということは、とても希望を与えるものであった。現在の自分は本来の姿ではないが、メシヤに従えば理想的な人間になれるというのである。しかも、私が選ばれた人間であり、この出会いは偶然ではなく、歴史をかけて準備されたものだと説かれて、私は自分が背負わされた使命に興奮を覚えずにいられなかった。

(4)決意
 具体的に何をすればよいのか全くわからなかったものの、10日程の教育により、私はこの道を行かねばならないと決意していた。メシヤを見捨てて自分の道を行くということは、神を裏切ることであり、自分だけでなく、家族や子孫にまで影響が及ぶのだと思わされていたので、道は一つしかないように思えた。強制されたわけでもなく、自分で選んだと信じていた。しかし、講義の内容からも、メンバーの何気ない会話からも、他の選択は許されないように感じていた。

 新しい者同士で話し合うことはよくないとされていたし、家族や友人は真理を知らないために、反対するに違いないから、知らせない方がよいと言われた。はじめの頃感じていた懐疑的な心もなくなり、メンバーとの仲間意識が強まるばかりだった。

 いかにも、科学的、論理的に聞こえた「新しい真理」の講義と崇高な理想。そこに集う若者たちの自信に満ちた、献身的な態度。他との接触がないまま、検証も不可能な一方的な情報。自分が選ばれた者だというエリート意識と自分の使命に対する責任感。こうして、私の判断力はすっかり崩されてしまったのだ。私は、自分でも生まれ変わったつもりになろうと努力したので、新しい価値観をそのまま受け入れてしまうのは、簡単なことだった。

 [8月に最初の絵はがきが家族および友達に届いた時点から守は新興宗教への入信を確信し、家族に実情を説明するとともに、救出活動を開始した。守宛に直接本人から手紙が届いたのはその年の12月だった。その手紙にはこう記されている。「私がアメリカに来て、4カ月がすぎました。家族をはじめ、先生や友達に心配をかけ、迷惑をかけたことを申し訳なく思います。けれど、一時的に熱くなってやっているわけではなく、日毎に確信して、真剣に歩んでいます。御存じと思いますが、○○(具体的宗教団体名)というところにいます。日本でも、アメリカでも非難をあび、迫害をうけてきたようですが、私たちは自分たちの利益のためなどではなく、理想の世界を実現するためにやっているのです。私のような者が言っても信用できないでしょうし、父も気が狂ったと言ってますけれど、一日も早く、本当のことを知っていただきたいと思うのです。」○○教の世間での評判、家族や友達の意見をよくわかった上で、なおかつ自分の信念の正しさを確信していることがよくわかる。]

2.信念の維持、強化
(1)自主判断の停止
 この教えのなかには、「堕落した人間は神の本来の願いがわからず、自分で判断することは罪を犯すことになるので、すべて神の意志を知るメシヤに委ねなければならない。」という考えがある。結婚相手さえもメシヤに決められるわけだが、日常生活においては、メシヤの代身としてのリーダーたちに全てを報告し、連絡し相談することが、神に近づく道であるとされている。

 だから、新しく入った者は、自分で判断しないように訓練される。小さなことでも相談せずに行動したことは、叱られたり、全体の前で激しく非難される。何か失敗があれば、メンバーが心からリーダーに従っていないせいだとされる。どういう時に叱られ、どういう時ほめられるかによって、次第にリーダーの願う通りに行動することが最も賢いことだと悟るようになる。

 私が良いメンバーであろうとすればするほど、リーダーの命令には従順であり、リーダーの許可なしには何も行動できないようになってしまったのである。

(2)組織の中で生きる
 私はすぐに、「献身」と呼ばれる共同生活に入った。活動の大部分は、新しいメンバー獲得のための伝道と、生活のための資金集めだった。自分の歩みが世界を変えるような切迫感を持っての毎日は、とても充実していた。自分が神に必要とされていると実感すると、自分の力に限界はないような気さえしていた。もちろん、嫌なことも、批判的な気持ちになることもあった。しかし、組織の中でなくては、生きていけないと思っていた。なぜなら、外の世界は堕落しており、誘惑が多く、信仰を失いかねないからである。信仰を失うということは、罪であり、必ず不幸になると言われていた。自分だけでなく家族や子孫にまでたたりがある、とメンバーは本気で信じていた。

 さらに、あまりにも捨てたものが多いために、何があっても組織にしがみついているしかなかった。献身を決意する際、学業も仕事もあきらめることを強いられるし、反対する家族や友との縁も切る覚悟だったのだ。一度組織にはいると、私有財産は組織に捧げてしまうのが普通で、衣食住のすべてが組織に委ねられていたから、実際問題としても、元の生活に戻るのは困難だった。

(3)反対者への反発
 こうした信念は、反対の声が強いほど、さらに強化されたように思う。教祖や組織の悪口を言われると、悔しさ故にますます、早く自分たちの目指す世界を造らなければ、と思うのだった。家族や友人に理解されずに反対されればなおさらで、自分だけが選ばれた者という意識が高まり、彼らの分も自分が頑張らなければと思うのだった。

 キリスト教牧師や反対する父母などによって、メンバーが強制改宗させられると聞かされ、私たちは恐れ、内部での団結が強まるのだった。

(4)信念の深まり
 伝道活動を通して、他人に自分の信じている教義を伝えるということも、自らの信念の強化に影響したようである。わかりやすく説明するためには、教義を繰り返し学んで覚えなければならないので、定期的に修練会を開いて教義の教え込みを受けた。

 また、説得力を持つために、自分がその教えによって成長したことを見せねばならないし、相手のために必ず役立つという自信と熱意がないといけない。組織への不満や、心の迷いなどはかけらも見せまいとする。新しいメンバーの前で良き先輩を演じるうちに、組織に全てを捧げた、従順なメンバーとならざるを得ない。組織をやめる正当な理由というものは、一つもなかった。自分から離れていく人も多かったが、私たちはそういう人を、裏切り者とか、信仰が弱かったとか、悪霊につかれたなどといって、次第に忘れてしまうのだった。

3.信念の放棄
(1)家族による強制的説得
 自分の信念について検討する機会を私に与えてくれたのは、家族であった。幾度かの失敗を重ねながらも、そうした機会を作ろうと、繰り返し努力を続けていた。家族による説得の多くは、強制的なものではあった。それは、こうした状況下では唯一の有効な手段であったからである。

 家族やキリスト教牧師の強制的説得に対し、私は逆に彼らを説得しようと考えていた。しかし、すぐにそうしたことは、困難であることがわかった。そこで、せめて私だけでもメシヤの為に働かねば、と決意した。逃げられない、仲間に連絡もできないとわかると、私は抵抗し、自分の殻に閉じ込もろうとした。

(2)説得の方法
 毎日、次々と情報が与えられた。一方からは、聖書をキリスト教の立場から見直すことによって、教義の偽りとごまかしを指摘され、もう一方からは組織の裏事情、メシヤの経歴や、さまざまな社会問題が実証されるのだった。

 私からみれば、牧師たちは自分の利益のためにやっているとおもっていたし、反対派の言葉は信頼できない、聴くに値しないと聞き流していた。家族もずっとそばにいて、共に学び、必死で私をやめさせようとした。しかし、私こそ家族のためにやっていると思い込んでいたので、話は平行線をたどるばかりだった。

(3)きっかけ
 何日かが過ぎて、説得者の言葉に少しだけ心を動かされた。「あなたがこの活動に加わろうとしたのは、真理に従おうとしたからだろう。真理の前に謙虚になろうとする姿勢は、今も変わるべきではない。たとえ、今まで信じてきたものを否定することになったとしても。」

 そこで、ようやく私は、自分の信念が間違っている可能性を認めることとなった。もし万が一間違っていたら、私は大変なことをしたことになる。家族や多くの人に迷惑をかけてしまった。何よりも、自分が勧誘することによって、他の人々の人生をも狂わせたことになる、と考えると恐ろしかった。

 やめるには、間違っているという確証が必要だったし、戻るには、それでも正しいという確信が必要だった。できることなら、逃げ帰りたかったが、真剣に結論を出す覚悟を決めた。

(4)心の整理
 私は、二つの相反する結論の間を、何度も行ったり来たりしなければならなかった。説得者の話を聞けば、反論できず、間違いを認めざるを得ないと思っても、一人になって考えると、あれこれ理屈をつけてやはり自分の心は変われないと思うのだった。心が分裂しそうなほど、苦しいときだった。

 次第に、やめてもいいのだと結論するための確証を求めるようになった。自分と同じ立場でやめる決意をした、元メンバーたちに話を聞いたことが、私にとって大きな励みとなった。

 こうして私は、自分が誤った信念を持っていたのだということを、認めることができた。組織の中にいた私にとって、生活の全てが、その信念のもとに行われていたので、どう生きたら良いのかわからなくなってしまった。自由とか解放感は全く感じられず、ただ無力感、屈辱感、自責の念に駆られるばかりであった。しかし、長い時間はかかったが、周りの人々の助けによって、新たな出発をすることができた。

 [なお、本人は、休学期間が5年以上にわたったため、大学卒業はならなかった。しかし、「社会復帰」後、通信教育や国立大学の科目等履修生制度を使って必要な単位を修得し、所定の審査を経て、学位授与機構から学士の学位を取得、さらに教員免許状も取得して、現在は通常の社会人として後進の指導にあたっている。]

【認知社会心理学からの考察:本人の分析】


 [以上の体験について、本人自身による分析もなされている。以下ではそれを紹介する。一部守による加筆・修正があるが、基本的には本人自身による分析である。]

 ギロビッチ(1991)は、誤信がどのように生み出されるか、またそれがなぜ信じられ続けるのかについて、認知的要因と動機的、社会的要因をあげ、認知社会心理学的観点から検討している。そこで、これに従って認知的要因・動機的要因・社会的要因に分けて考察したい。

1.認知的要因
 ギロビッチ(1991)が言う誤信の「認知的要因」とは、「人間の情報処理能力の不完全さ」である。そこには、「単なる偶然が支配するランダムな現象の中に、規則性や秩序があるように感じてしまう」、「統計学的な回帰の結果生じたにすぎない現象に、無理な意味づけをしてしまう」、「仮説に合致する情報だけを捜そうとする」とともに、「重要な情報が現実に入手できないことも多く、不完全で偏りのあるデータに基づいて結論を引き出したり、信念を検証したりしてしまう」といった認知傾向が含まれる。

 さらには、「あいまいで一貫性のないデータを期待や先入観で解釈しがちなこと」、「既有の信念に合致する情報は額面どおりに受け入れられやすく、反対に、信念に反する情報は批判的に吟味されたり、割り引いて扱われたりすること」から、一度持たれた信念は、新たな情報が提供されても、簡単には修正されないことになる。

 私の体験では、出会った教義は全く新しい情報として認知されたことになる。紹介されるという形でなかったら、自分から関わることはなかったに違いない。それを、なぜ十分な検証もせずに、真理であると結論してしまったのであろうか。なぜ、何年間も修正されなかったのだろうか。

(1.1)誤る可能性を忘れていたこと
 まず、人間が誤った判断をしがちであるという認識が欠けていたといえよう。私は、善悪の判断は自分でできると過信していた。人生が急変化するような重大な決断をしたのに、自分が誤った見方をしてしまう可能性があるとは、考えてもいなかった。

 ギロビッチ(1991)も、「だまされやすい人や頭の悪い人が誤った考えをもってしまうわけではない。」と述べている。むしろ、頭が良く、自分の判断能力に自信をもっているような人こそが誤信を起こしやすいのである。また、宗教的カルトのマインド・コントロールについて研究しているハッサン(1988)も、「自分だけは決してだまされないと考えている、それが問題なのだ。自分は弱くないと信じる必要があるということこそ、じつは私たちの弱点なのであって、カルトの勧誘者たちは、いともたやすくそこへつけこむのである。」と述べている。

 [本事例でも、まさに本人のこうした自信がかえって宗教的な誤信に陥る原因の一つとなっていたわけである。]

(1.2)偏った情報
 与えられた情報はあまりに一方的で偏りがあるものだということに、注意を払わなかったことが問題であるといえよう。たとえば、聖書の解釈は正統のキリスト教とは全く違うと知りながら、比較検討をしようともしなかった。家族や友人の意見を聞いたり、社会での一般的な評価を調べたりしたら、正しい情報は得られたはずなのに、私が完全に信じ込むまでは、その機会が持てなかった。

 [ハッサン(1988)は、カルトのマインド・コントロールの構成要素の一つに、情報コントロールをあげている。川上(1994)も、情報のコントロールがいかに古くから為政者たちに活用されてきたか、また現在でもいかに広い範囲で活用されているかをまとめているが、そうしたこと情報操作に対する対策はほとんど教育されていない。]

(1.3)あいまいな教義とその正当化
 私の信じた教義においてはまさに、偶然と言うものはあり得ず、神だとか霊だとかいう目に見えない世界によって、全ての現象が説明づけられていた。たとえば、世界で起こっているあらゆる問題も、メシヤと彼の信者たちの活動と関係があるように解釈されていた。つまり、組織にとって都合の良いように事後的に説明づけられるのだが、信じ込んでいるものにとって、それは教義の正しさを証明する材料として認知されるのである。

 [「神」や「愛」など、具体性がなく定義付けがあいまいなものによって説明をするかぎり、どんなことでも説明が可能であり、また、その説明の反証を見つけることができない。ハッサン(1988)も「カルトのいちばん効果的な教義とは、証明も評価もできない教義である」と述べている。「信じる者が救われる」という教義は、たとえ救われない者が現れても、「信心が足りなかったから救われなかったのだ」という説明が可能である。「信じていること」の証明や評価が「救われること」によってのみなされうるのだとすれば、この教義は決して「間違い」になることはない。]

(1.4)偏った情報の意図的選択
 私たちはよく「神体験」とか「霊体験」とか呼んで、信仰の証し合いをしたものだった。教義上意味のある数字に特に注目したり、日常の何気ない出来事も、教義に照らして解釈するのが習慣となっていたので、神体験はいたるところにあった。自分自身や仲間のそうした体験から、ますます信念の正しさを実感するのだった。

 一方、後に宗教から脱却するよう強制的説得を受けたとき、与えられる情報は信念に反するものばかりであったので、私はそのあら捜しばかりしていた。言葉が少し間違っているだけでもその情報は「信じるに値しない、意味のないものだ」と安心して、自分の信念の方を疑ってみることには、ならなかったのである。

 こうして、自分の信念に合致する情報は注目され、信念に反する情報は特に厳密に批判的に吟味され、意味のないものとされることによって、信念が強化されるだけでなく、信念の修正の妨げになったのだと考えられる。

 [この部分は、ギロビッチ(1991)にある「仮説に合致する情報だけを捜そうとする傾向」そのままである。つまり、自分の信念に合致する情報は注目され、積極的に捜してまで信念に反する情報は特に厳密に批判的に吟味され、意味のないものとされることによって、ますます信念は正しいものと評価されてしまうのである。]

2.動機的要因
 ギロビッチ(1991)のいう「動機的要因」とは「そう思いたい」という動機が誤信を起こしているというものである。特に、ギロビッチは「認知と動機とが共謀して、誤信を引き起こす」という新しい解釈を示している。つまり、第1節で考察した認知的要因に動機的な要因が付け加わることで、いっそう誤信が起こりやすくなるというわけである。

(2.1)動機によるあいまいな判断基準
 信念を持ったときに比べて、信念を捨てるときの方が困難であったのは、私自身の信じたいという動機によって、判断基準が変えられてしまったためと思われる。私にとって、教義は魅力的であり、それを信じた方がそれまでの自分より、ずっと幸福な価値ある人生を得られると思えた。一方、やめることには神を裏切る恐怖と、現実社会へ戻ることへの不安と絶望を感じ、想像することさえできなかった。

 だから、教義は私の信じたい仮説であったため、甘い基準で判断し、それまでの自分の生き方を捨てることさえできたのに対し、教義が誤っているというさまざまな情報は、私の信じたくない仮説であったために、できる限り批判的な解釈を試みようとして、なかなか受け入れることができなかったのである。

(2.2)自分の行動の正当化
 新しく持った信念によって、私の人生は中断されることになったが、その選択が正しかったと思い続けるために、教義は絶対的に真理であり続けて欲しかった。やり直すことが不可能にみえるほど捨てたものが多かったので、自分が愚かな選択をしたとは思いたくない。

 そのために、情報を正しく判断することができずに、信念について再検討するどころか、信仰を強めるような情報ばかりを捜したり、判断基準を歪めたりしたのだと考えられる。

(2.3)動機の限界
 しかしながら、動機に合うように認知能力を働かせるのには、限界があるようである。信じたいという動機は変わらなくても、信じ続けるための証拠がことごとく否定されてしまったとき、間違っている可能性を認めざるを得なかった。組織の偏った環境に居続けたなら、反対意見を聞いたとしても信念を正当化する手段はあっただろう。しかし、現実世界を知覚し始めたとき、信じたいという思いから、信じていて良いのだろうかという疑問に変わったのである。

 このことは、動機が認知システムによって制限されることを示している。正しい情報が与えられ、正しい解釈がされるならば、信じたいと望んでも信じるわけにはいかないのである。ところが、1節で示したように、私たちの認知能力には欠点もあるために、動機によって認知的システムはかなり影響を受けるというわけである。

(2.4)まとめ
 宗教的誤信が形成され、それが強化されていく過程においても、認知的要因あるいは動機的要因のどちらか一方で説明するには無理がある。ギロビッチの指摘するように、動機と認知が共謀して信じたいことを信じるようになる、と考えられるのではないだろうか。

 [ここで述べられている「動機による認知の歪み」は、フロイトの精神分析理論における「合理化」や、フェスティンガーの「認知的不協和」理論として、心理学関係者にはよく知られていたことであった。こうした人間の心理が、マインドコントロールをする側に悪用される一方で、それを防ぐ方法を教育してこなかったことも批判されるべきであろう。]

3.社会的要因
 ギロビッチ(1991)は、人づての情報の持つ歪みについて論じ、マスメディアなどの情報提供者が、視聴者や読者の興味を引くため、あるいは時間枠・紙面の都合から伝達内容を歪めがちであることが、誤信の強い原因になる、と述べている。特に、「しばしば利己的なイデオロギーや考えを持っているところから、人は他人にあることを信じさせたいと思うことがあり、こうした動機からも誇張や省略が起こる。」という。そこで、情報源や伝達過程における情報の歪みに注意を払う必要性を説いている。

 確かに、情報に対して十分に懐疑的であり続けることができたなら、私も新興宗教に関わったりしなかったかも知れない。情報源によっては眉に唾することは普通にしていたし、新興宗教といえばあやしげなイメージも抱いていた。それでも信じてしまったのはこれまで述べたような認知的、動機的要因の落し穴にはまってしまったことの他に、新興宗教という集団の持つ特異性にも目を向ける必要があるのではないだろうか。つまり、誤信が形成され、またそれが修正されにくいのは、認知的要因・動機的要因に加えて、さらに社会的要因が関わっているからである。そこで次に、社会的要因について検討してみたい。

(3.1)新興宗教における情報の意図的な歪み
 新興宗教では盛んに勧誘活動をするが、そこには自分たちの信じている特定のイデオロギーを相手にも信じさせたいという強い動機がある。ギロビッチによれば、公共的な宣伝活動においても意図的な脚色があるようだが、世界中の人が信じれば理想世界が実現すると教えられている排他的な宗教的信念の場合は、なおさら情報の操作が正当化されてしまう。

 たとえば、偽りの団体を装ったり、宗教ではないように振舞ったりすることから始まり、メンバーの信仰の深さによって与えられる情報の量も質も変えられたりするが、それらもより大きな目的のためには善なることとされていた。さらに、信じ込んでしまえば、組織内の情報のみが信頼できるものと思っているのだから、そうした環境に身を任せ続ける限り、自分の信念を検証し、誤りに気づく可能性はほとんどないように思える。

(3.2)マインド・コントロールの分析
 ハッサン(1988)が研究した多くのカルトグループに最も一般的な手口であるというマインド・コントロールの例をあげてみよう。

 大部分のカルトでは、厳格なスケジュールの下で、達成すべき目標や仕事を割り当てられ、自由時間と行動が制限されている。リーダーの許可なしに行動できなかったり、個人主義はけなされる。グループ独特の儀礼的行動があり、リーダーの命令に対する服従が最も大切とされる。

 思想コントロールは、メンバーに徹底的な教え込みをして、そのグループの教えと新しい言語体系を身につけさせ、また自分の心を「集中した」状態に保つため思考停止の技術を使えるようにすることである。グループに対する批判的な言葉は前もって説明づけられ、自分自身の否定的な感情も思考停止の技術を使って追い出してしまう。

 感情コントロールは、人の感情の幅を巧みな操作で狭くしようとするものである。罪責感は集団への順応と追従を作り出すものであり、恐怖感は外部の敵に対する恐怖と、リーダーの懲罰に対する恐怖とによって、メンバーを結束させるのに使われる。忠誠心と献身が高く評価され、不平や批判は許されない。対人関係もコントロールすることによって、感情を否定したり抑圧することを要求する。

 そして、情報コントロールは、グループ以外のマスメディアには最小限しか接する機会を与えなかったり、メンバーに互いを監視させて不適当な言動は報告させることによって、批判的情報に触れさせない。仕事を果たすために知る必要があることだけを教えられたり、いろいろな次元の真理を持つことによっても、情報がコントロールされる。

 私のいたグループでもこれらの全てが行われていたと思う。このような環境におかれることによって、誤った信念が人々の心を支配し、信念が正当化され続け、自分からその信念を捨てるのは非常に困難になってしまう。善悪の基準もすっかり変え、人格を破壊して、事実上組織の奴隷にしてしまう。

 もちろん、全ての新興宗教が悪意を持って人々をだましているというのではない。しかし、誰でも悩みの一つ二つは持ち、幸福を願うわけだから、そこにつけこまれ、目に見えない世界のもっともらしい理論を展開されたら、誤った判断をしてしまう人はたくさんいる。そうした誤信を生み出す組織の存在は社会的問題ではなかろうか。

(3.3)信じやすい人々
 正しい判断ができずに、新興宗教の手口にのせられてしまう人自身には、問題はないだろうか。さらに、そういう人々を生み出した家庭や社会に責任はないだろうか。

 一つには、受験教育の弊害の現れだという見方がある。テストの点数さえよければよいという風潮のため、自主的、批判的判断力が養われないこと、勉強勉強で、心の友を作る暇がなく、師弟の人格的触れ合いも薄れ、孤独な若者が多いことなどがあげられる。

 もう一つには、真の自立ができていない、ということが指摘されている。自分の進路に心から納得していない若者、親からみればいい子たちであるが、自己実現できなかった不満を持っている若者たちが、自己実現の道と錯覚して新興宗教にはいることが多いという。

 現代社会に生きる全ての若者が新興宗教に入るわけではないし、若者でなくても入る人々もいるのだから、安易に因果関係を認めるつもりはないが、要因の一つとしてあげられると思う。

(3.4)信仰の自由と誤信
 宗教的信念の場合、特に批判がされにくく、されたとしても教派間の論争としてとらえられがちであるため、誤信はさらに修正されにくいのではないだろうか。普通、他人に迷惑をかけない限り、信仰の自由が主張されているので、あえて信仰を否定するような批判は避けるだろう。信者にとっても批判されることは宗教迫害であったり、自分たちの勢力を恐れる他教派の解釈であったり、無知な人の言葉であったり、と言い訳はいくらでも準備されている。

(3.5)まとめ
 以上、現代社会におけるさまざまな情報には、人々を意図的にコントロールして、一つのイデオロギーを信じさせようとするものが多いこと、そうしたものを批判的に見ることができず、信じ込んでしまいがちな人々を、社会が生み出していることを述べてきた。さらに宗教的であるがためになおさら修正されにくいということも述べた。このような社会的な要因は、個人の誤信の形成だけではなく、それを多くの人に広めるという点で大きな役割を果たしているようである。

 [ここでも、誤信を積極的に作り出そうとする側が種々のテクニックを駆使している一方で、子どもたちや一般の人たちをそうした誤信から守るための方策がいかになされていないかが痛感される。憲法で信仰の自由が保障されており、学校教育もそれに則って行われている以上、特定の宗教を批判することはできないとしても、宗教を含む種々の思想に批判的な思考ができることをもっと積極的に推進するべきではないだろうか。]

4.信念の放棄についての考察
 これまで、認知的、動機的、社会的要因から自分の宗教的誤信について考察してみた。そして、一度持たれた信念は強化され続け、修正されにくいことを示した。それでは私はなぜ、誤信の放棄に成功したのだろうか。

(4.1)救出、説得の意義
 私のような宗教的な誤信の場合、本人の人格と人生とが破壊されると同時に、反社会的行動も起こしかねないので、家族を中心に救出活動が起こっている。その方法論はそれぞれの経験からさまざまであるが、一例としてハッサン(1988)が救出カウンセリングの鍵としているものを引用してみよう。

_親密な関係と信頼感をきずく。
_目標重視のコミュニケーションをする。
_人格のモデルを作り上げる。
_カルト以前の人格に触れる。
_現実世界をいろいろな角度から眺めさせる。
_間接的に情報を与えて思考停止の作用を避ける。
_カルトの外での幸せな未来を描かせて、恐怖の教え込みを解く。
_マインド・コントロールとは何か、また破壊的カルトの特徴とは何かを具体的に説明してやる。


 救出する側にとって、単に組織をやめさせることが目的なのではなく、本来の自己を取り戻し自分で判断できるように、必要な情報を与えて援助してやるという点で一致しているようである。もし他からの働きかけがなかったら、私自身で誤りに気づくことは不可能だったということは、前にも述べてきた。私に必要だったのは、組織から完全に離れたところで自分自身で信念を検証する機会と、それまで隠されていた情報だったのだ。

(4.2)認知と動機による誤信の修正
 私が自分の信念の誤りを認め、放棄するしかないと結論づけるまでには、大きな葛藤があった。しかし、現実を正しく認知するにつれて、また、真理に従いたいという元々の動機によって、信じ続けることはできなくなった。つまり、信じていた情報に偽りがあったこと、違った立場に立てば別の解釈も有り得ること、信じ続けたとしても理想は実現せず、自分も幸福にはなれないということに気づいたとき、もはや誤った信念に固執する必要はなくなったのだ。

 [実は、本人に誤りを気づかせるために、家族をはじめとする多くの親戚・友人・教師・ボランティア活動家が何年にもわたって苦闘を続けてきた。しかし、最終的には「あっけないほど」の感じでその苦闘は終わった。本人は、「もし他からの働きかけがなかったら、私自身で誤りに気づくことは不可能だった」と述べているのだが、いくら働きかけても気づいてくれない時期が長く続いたこともまた事実なのだ。私の目から見ると、本人が宗教的誤信に気づくきっかけとなったのは、まさに本人がその宗教に対して疑いを持ち始めたからであって、トートロジーに陥ってしまうのである。確かに、「強制的」にでも説得する機会を作ることは効果があったと考えるべきだろう。しかし、実際にはこうした「強制的な説得」も一度目は「失敗」に終わっているのである。そうした意味で、本人自身によるこうした報告がなされてもなお、どうすれば誤った信仰から人を目覚めさせることができるのかは、まだまだ謎の部分が多いと言わざるをえない。]

【本人による結論】

 私自身の誤信の体験を通して、私たちの心は誤った信念を持ちやすいこと、一度信じ込まれた信念は非常に修正されにくいことを論じてきた。最後に、誤信を持たないように予め防ぐための手だてについて論じておくことも必要であろう。

 ギロビッチ(1991)は、宗教的な信念については触れていないが、誤信を防ぐために身につける習慣として、次のことをあげている。

・最終結論を出す前に、見過ごしていた「目に見えない」データがなかったかどうかを問い直してみる習慣
・すでに持っている仮説や信念でどんな結果でも説明づけてしまわずに「逆の場合を考える」方略を用いる習慣
・情報のもともとの発信源はどこかということ、そして、そこから自分に届くまでの間にどれだけの歪みが–意図的なあるいは意図しない歪みが–混入している可能性があるか、ということを自問する習慣などである。

 さらにそうした有益な習慣を身につけるためには、科学教育、特に社会科学などの確率論的な科学の教育が有効であることを示唆している。これらのことから、教育への期待が高まる。学校教育はもちろん、家庭や社会においても、誤信を防ぐための習慣がつけられるべきである。確かに、いかに人間が誤った信念を持ちやすいか知っていれば、軽率な判断は防げるだろうし、マインド・コントロールに対する知識があれば、それが使われる状況は自ら避けることができるだろう。

 さらに、無批判に情報を受け入れるのでなく、批判的に吟味したり、人に頼らず自分で問題を解決することを促すような教育が、重要ではないかと考える。親や教師の言うことに、そのまま従う子どもがいい子と評価されるのは好ましくないし、マスメディアや権威あるものに必要以上に左右されるのは、危険でさえある。

 誤信と一口に言ってもさまざまな程度があるが、私が問題にしてきた宗教的な誤信は、人の価値観をすっかり変えてしまうほどの影響力を持つため、危険なものといえよう。科学の発展した現代に迷信を信じる人は少ないという見方もあるが、実はその虜になっている人は意外に多いのである。誰もが誤信を持ちやすいということを考慮すれば、新興宗教などもなくなるとは考えにくい。私たちは自分の判断力を過信せずに、信念を検証しようとする真の科学的な態度を身につけなければならない。

 [以上の結論は、本人自身によるものである。実際に人生観を変えるほどの信仰を体験してきた本人ならではの説得力のある結論であると思う。教育学部に身を置く者としては、特に「教育への期待」の部分を心に銘記して、今まで以上に誤信を防ぐための教育に力を注ぎたいと思う次第である。]

【引用文献】

浅見定雄(1987)
『統一協会=原理運動』日基教団出版局
D.ブロムリー・A.シュウプ(1986)
『アメリカ「新宗教」事情』(稲沢五郎訳) ジャプラン出版
T.ギロビッチ(1991)
『人間この信じやすきもの:迷信・誤信は どうして生まれるか』(守一雄・守秀子訳) 新曜社
S.ハッサン(1988)
『マインド・コントロールの恐怖』 (浅見定雄訳) 恒友出版
川上和久(1994)
『情報操作のトリック』講談社現代新書
川崎経子(1990)
『統一協会の素顔』教文館