読者へのガイド(守 一雄)
0.本書成立の経緯
本書の出発点は、守(1996)であった。その数年前までは私自身、コネクショニストモデルや、PDPモデルなどについては用語を聞いたことがある程度で、ほとんど何も知らない状態だった。ふとした経緯から勉強を始めてみると、心理学にとってきわめて重要なモデルであることがわかり、非力を省みず、にわかに本を出版することにしたり、関連する学会でワークショップやシンポジウムを企画することになった。
本書は、そうしたワークショップやシンポジウムの発表メンバーを基に、さらにできるだけ輪を広げて、コネクショニストモデルの普及に役立てようと考えて企画したものである。いろいろな事情で、ワークショップのメンバー全員が執筆陣に加わるということにはならなかったが、その分、新たなメンバーを加えて、当初の計画以上の充実した内容になったと思う。
編者には出版に向けて最も熱心に活動してくれた都築さんと、上記のような経緯から守があたり、さらに特にお願いして楠見さんに加わってもらった。3人が編者を務めることにより、各章の執筆者に対しては、ちょうど学会誌の審査者のような立場で、原稿を査読し、何度も書き換えをお願いした。全面的な書き換えをお願いした章も複数に上った。編者からのいろいろな要求にご協力くださった執筆者の皆さんには改めて感謝申し上げたい。最後に、企画の段階から相談にのってくださり、本書の完成までご協力くださった北大路書房の関一明さん・北川芳美さんにも感謝したい。
1.本書の構成
本書に収録した12章は、大きく3つに分けられる。本章を含む最初の5つの章はコネクショニストモデルについての種々の視点からの概観である。第6章から11章までの6つの章では、コネクショニストモデルを用いたオリジナルの研究例が報告される。そして、最後のやや長い章(第12章)は、コネクショニストモデルについての数理的な基礎をまとめたものである。全体として、やさしい解説的な章から、やや専門的な研究例、そして基礎とはいえ数式を多用した数理的解説の最終章へと難易度の順に章を並べた。また、それぞれのグループ内でも比較的易しいものからやや難しいものへと配置した。
そして、読者への案内としてこの「ガイド」と、最後に、さらに深く学ぶために、巻末に主要文献の紹介と関連学会・研究機関・ソフトウエアに関してインターネットでの有用な情報が得られるサイトの紹介のページを編者が用意した。
各章はそれぞれ独立に読んでもわかるようなものであるので、興味のあるところから読み始めても差し支えない。各章の著者には「学部の3,4年生程度の読者にとって十分理解できるレベル」での記述をお願いした。具体的には、文科系読者へのやさしい入門書である守(1996)の次のレベルの読者を想定しつつも、最終的には数理的な基礎の理解にまで到達できることを目指した。それでも、あらかじめ以下の概要を読んでおくと理解がしやすいと思う。
2.用語の統一・数式の取り扱いについて
(1)用語の統一について
各章の概要を紹介する前に、本書における専門用語の表記について述べておきたいと思う。コネクショニストモデルでは、神経細胞を模した仮想的な神経細胞である「ユニット(units)」とそのユニット間の「結合強度(connection weight)」を種々の学習則を用いて変更していくことがなされる。ところが、この最も基本的な用語である「ユニット」と「結合強度」が必ずしも統一的に用いられてきているわけではない。第1章でも述べるように、コネクショニストモデルは数学者から臨床家まで幅広い研究者が研究をしており、共通のモデルで議論ができるという利点を提供してくれているのであるが、どうしてもそれぞれの研究分野ごとの微妙な用語法の差異も生じてくる。また、訳語としての表記のゆれも生じる。本書では「ユニット」「結合強度」に統一したが、他書では、「細胞」「ノード」などや、「結合荷重」「結合の重み」などと表記されている場合があることに注意していただきたい。
一方、「コネクショニストモデル」「ニューラルネットワークモデル(神経回路網モデル)」「並列分散処理モデル(PDPモデル)」など、この研究分野全体に関わる用語も研究者によっていろいろに用いられてきている。それぞれの用語は大部分において重なりがあるが、それでも「ユニット」や「結合強度」のようにどれかに統一して表記できるほどでもない。そこで、本書では原著者の用語法をそのままにしてある。読者には、まず初めはこれらの用語間の違いを気にすることなく、相互に言い換え可能なものとして理解を進めることとし、徐々に各用語間の違いを感じ取ってもらえればいいと思う。
実は私自身も明確な区別ができるわけではないが、ほぼ次のように理解している。「ニューラルネットワークモデル(神経回路網モデル)」は、神経系をモデル化したことを前面に押し出した用語であり、従来のコンピュータによる処理(「シリコン系」)との対比が念頭に置かれている。理工系の研究者が好んで用いる用語である。「並列分散処理モデル(PDPモデル)」もまた従来のコンピュータによる処理(「継時処理」「直列処理」「中央処理」)との対比で命名されているが、ここでは処理方法に焦点が当てられている。ラメルハート(D.E.Rumelhart)とマクレランド(J.L.McClelland)らの心理学者が中心となった研究グループが命名したこともあり、心理学者が好んで使ってきた。その後、必ずしも分散処理でないようなモデルも考慮に入れられるようになったため、その基本的なメカニズムである「結合(connection)」に基づく「コネクショニズム」や「コネクショニストモデル」と呼ばれることが多くなった。「コネクショニズム」ももともとは心理学の由緒ある用語でもあるため、現在では心理学者はこちらを好んで用いているようである。
(2)数式の取り扱いについて
守(1996)では、文系の読者にとっての理解のしやすさを最優先して、数式をほとんど使わない説明をしていた。しかし、研究を進めていくためには数式の理解は不可欠である。そこで、本書では数式による表記や説明も用いることにした。それでも、理工系の類書では省略されるような数式の意味や式の展開の過程についても説明を加えることで心理学を学ぶ学生・研究者の多くを占める文系の読者への配慮をした。
実は、守(1996)で数式があまり用いられていなかったのは、私自身、数式の理解がにがてだからである。それでも編者としてすべての章を読み、文系読者の代表として、各著者にできるだけわかりやすい説明をお願いした。その際にわかったことであるが、「数式はそれ一つに1頁分の情報が凝縮されている」と考えて、時間をかけてでもじっくり理解する努力をすることが重要である。数式が多用されている本では、よく「数式に慣れていない読者は、数式を飛ばして読み進んでもよい」というようなことが書かれているが、読み飛ばしていたのでは、いつまで経っても理解はできない。数式は読み飛ばさずに、あわてずにじっくり時間をかけて理解することを読者にお願いしたい。結局は、それが理解への早道なのである。
3.各章の概要
第1章「コネクショニストモデルによる新しい心理学研究の展開」では、本書全体の導入として、心理学の研究におけるコネクショニストモデルの意義を種々の論点からまとめている。他章を読む前にこの章を読んでおくと、各章におけるモデルの意義がよくわかると思う。
第2章「認知発達のシンボルモデルとコネクショニストモデル」では、認知発達の領域における伝統的なシンボルモデルと新しいコネクショニストモデルとが対比されながら、両者の利点と難点が指摘されている。そして、2つのモデルを統合することによって両者の利点を活かしたより説明力の高いモデルが作れるという提案がなされている。コネクショニストモデルは、神経レベルからシンボリックレベルまでを段階的につなぐことができることも指摘され、第1章で述べたコネクショニストモデルの利点がより詳しく論じられている。本章では、プランケットらが開発したtlearnというシミュレーションソフトの紹介もなされている。このソフトウエアが付属しているPlunkett & Elman(1997)や、その大本であるエルマンらの大著(1996/1998)へのガイドとしても役立つと思う。
第3章「単純再帰ネットワーク(エルマン・ネット)による文法の獲得」は、コネクショニストモデルによる文法規則の学習に焦点をあてた解説がなされている。コネクショニストモデルによる文法学習は、大嶋(1997)、竹中・高野(1998)、玉森・乾(1999)などオリジナルな研究もなされているので、本書でも第2部のようなオリジナルな研究例の紹介を予定していたが、諸般の事情により叶わなかった。それでも、言語の持つ時系列的データをコネクショニストモデルでどう取り扱うかは外せない重要なトピックなので、編者の一人の守が代表的な研究例であるエルマンの一連の研究を紹介することにしたものである。同じ著者による章が連続しないよう第3章に配置したが、内容的には、最も易しいレベルであると思う。
第4章「レスコーラ・ワグナー学習則:学習心理学とコネクショニズムの接点」では、動物学習における条件付けモデルとして知られるレスコーラ・ワグナーモデルと、コネクショニズムにおける学習則(デルタ則)とが基本的に同等であることがやさしく解説されている。両者の同等性を数式として同じになることを通して証明しようとしているため、数式を理解することが必要となるが、ぜひ一つずつ理解しながら読み進むことで数式にも慣れていただきたい。この章では、Excelなど表計算ソフトを用いた簡単なシミュレーションのやり方も紹介される。パソコンがあれば、表計算ソフトも付属しているはずなので、ぜひ実際にシミュレーションを体験してみることをお勧めする。
第5章「脳損傷とニューラルネットワークモデル --- 神経心理学への適用例 ---」では、実際の神経系を研究対象としている研究者と、仮想の神経系であるニューラルネットワークの研究者との共同研究について紹介している。この章では、実際の人間の神経系では行うことができない「破壊実験」が人工的なニューラルネットワークモデルでは可能なことを活用した研究例が紹介される。学習が成立した後で、ネットワークをいろいろなやり方で破壊することにより、脳損傷患者が示す失読症や記憶障害の症状を再現し、そのことを通して脳損傷の機能的意味を確認しようとするわけである。ネットワークモデルの成績と患者の症状とには多くの類似点が見いだされていて、こうした研究方法の有効性が期待されるとともに、問題点や課題も論じられている。
第6章から第11章までの6つの章では、執筆者のオリジナルな研究例が報告されている。第6章「ニューラルネットワークモデルによる自然認識の分析と評価」は、中学校理科の学習教材を学習者がどのように認識しているのかを類推する一つの方法を提示するものである。学習者の頭の中を直接に覗くことはできないが、ネットワークではユニットの活性値やユニット間の結合強度を調べることができる。この研究では、乾電池と抵抗とをそれぞれ直列や並列につないだ電気回路が学習者にどのように認識されているのかを、学習者である大学生と3層からなる階層型ネットワークとを対比させて分析している。特に、学習者が公式などを用いて分析的に正しい答えを導き出す場合ではなく、直感的に判断するような全体的処理とネットワークモデルとがうまく対応していることが示されている。
第7章の「集団システムの安定性とコネクショニスト・モデル」では、人間一人ひとりをユニットと見なすと、人間集団のふるまいをコネクショニストモデルとして表せることが報告されている。この章では、特に、ネットワークの構造と安定性との関係をコネクショニストモデルで調べることで、人間集団における構造と安定性への示唆がえられることが示される。具体的には、集団内のメンバーがそれぞれどれくらいのメンバー同士と結合しあっているかという「結合度」という指標を考え、それを変化させたときに集団全体の安定性がどう獲得されどう維持されるかを、コネクショニストモデルでシミュレーションすることで検証しようとしたものである。
第8章「メンバーの相互作用による組織の自己組織化プロセスのモデル」でも、ユニットを個人に対応させるアナロジーによる社会心理学的な研究が報告されている。3次元の入力からのシナプス結合強度ベクトルを持つユニットを相互に結合させたネットワークを作り、競合学習と呼ばれる手続きで学習をさせると、各ユニットは相互に結合した近くのユニットと影響しあいながら、シナプス結合強度を変化させていく。これはちょうど、いろいろな入力情報への「感度」ベクトルを持つ個人個人が、互いに影響しあいながら、各自の情報感度ベクトルを変化させていくことにたとえられる。この章では、こうしたネットワークモデルを使って、QCサークル活動によって各メンバーの能力が向上していく様子やメンバーの中からリーダーが生まれてくる様子がシミュレーションされている。
第9章「集団意思決定におけるコミュニケーション・モードとリスキーシフトに関する並列制約充足モデル」もまた、コネクショニストモデルを社会心理学的な問題に適用した研究である。ここでは、個人よりも集団で討議した後の方が、よりリスクの高い選択がなされやすいという「リスキー・シフト」現象と、そのリスキー・シフトが対面討議と電子メール討議とでは違ってくることを心理実験で確認し、コネクショニスト・モデルによるシミュレーションによってそれを再現したオリジナルな研究が報告されている。この研究では、人間一人を一つのユニットと見なすのではなく、一人ひとりの頭の中にネットワーク構造を持つ複数のユニットを考え、そのユニットの一部が、他の人々と結びついているという2段階の相互結合型ネットワークモデルが用いられている。また、他の章でのネットワークと違って、結合強度が事例からの学習によって決められるのではなく、研究者が実験条件と対応づけて結合強度をあらかじめ設定するという方法が採られている。
第10章「感性工学データのARTネットワークによる分析」では、ニューラルネットワークをデータ解析に活用した研究例が報告される。ここで用いられたニューラルネットワークは、グロスバーグが開発した「適応共鳴理論(Adaptive Resonance Theory:ART)ネットワーク」と呼ばれるものである。感性工学は、人間の感性を工学的な手法で研究しようとする分野で、「心理」工学でもある。この章で報告される研究は、認知的プロセスを直接モデル化しようとしたものではなく、クラスター分析に相当するよりよい計算方法を開発しようとしたものである。ARTネットワークに基づくクラスター分析は、従来のクラスター分析と違って、アルゴリズムがシンプルなため、新しいデータが加わっても再計算が簡単である上、分類結果もより優れていることが種々の適用例によって報告されている。
第11章「言語理解における多義性の処理--プライミング実験とコネクショニスト・モデルによるシミュレーション--」は、プライミング手法を用いた心理実験で得られたデータを相互結合型のネットワークで再現し、人間が多義語を処理する際のメカニズムを解明しようとするものである。この章で述べたようなコネクショニストモデルの利点を活かして、心理実験データとそうしたデータが得られるメカニズムとの対応付けが目指されている。同じ著者たちによる学会誌論文をやさしくまとめなおしたものであり、学会誌論文ではわかりにくい専門的な部分を省いて、重要なポイントに絞って説明がなされている。この章を読んでから、当該論文に読み進むことを推奨したい。
第12章「ニューラルネットワークモデルの数理的基礎」は最後に総復習として、ニューラルネットワークモデルの基礎から主要なモデルまでを数理的に解説したものである。ネットワークモデルを作って、シミュレーションをおこなうような研究をするためには、結局は数理的な理解が不可欠となる。そうした意味で、総復習というよりも、研究を始めるための「入門」でもある。実は、この章はもともとはまさに「入門」として書かれたものである。しかし、他の章との難易度の比較から、最終的には一番最後に置かれることになってしまった。この章に引き続く「主要文献・ウェブサイト・学会紹介」とともに、次のレベルに進むためのステップとして活用していただければ幸いである。
4.文献
エルマンほか 1996/1998 『認知発達と生得性−心はどこから来るのか−』乾 敏郎・今井むつみ・山下博志共訳、共立出版,1998.(Elman, J. L., Bates, E. A., Johnson, M. H., Karmiloff-Smith, A., Parisi, D, and Plunkett, K. "Rethinking Innateness: A connectionist perspective on development", MIT Press, 1996)
守 一雄 1996 『やさしいPDPモデルの話:文系読者のためのニューラルネットワーク理論入門』新曜社
大嶋百合子 1997 ことばの意味の学習に関するニューラルネットワークモデル−人称代名詞の場合− 『心理学評論』第40巻第3号 361-376.
Plunkett. K., & Elman, J. L. 1997 "Excercises in Rethinking Innateness: A Handbook for Connectionist Simulations." MIT Press: Cambridge, MA.
竹中浩・高野陽太郎 1998 人工文法学習のsimple recurrent networkモデルの検証『日本心理学会第60回大会発表論文集』(立教大学, p.636.
玉森彩弥香・乾 敏郎 1999 Elmanネットによる統語範疇の配列と格関係の学習 『認知科学』第6巻第3号 359-368.
都築誉史・Alan H. Kawamoto・行廣隆次 1999 語彙的多義性の処理に関する並列分散処理モデル--文脈と共に提示された多義語の認知に関する実験データの理論的統合--『認知科学』第6巻 91-104.
【www版掲載2001.3.14】
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