まえがき


 本書は、大学3年生程度の読者に、認知心理学への道案内をすることを目指して書いたものである。認知心理学は、心理学の中で、最も新しい領域であり、本シリーズの他の4巻に比べると、類書も少ない。それでも、既に30点が公刊されている中で、新たに1点を加えようとするからには、今までの本にない何か新しい視点を持っている必要がある。そこで、本書では、心理学の特徴である実験研究についての記述を思い切って減らして、認知心理学の特徴である理論的なモデルを紹介することに重点を置くことにした。
 従来の心理学では、実験的なデータの蓄積からレンガを積み重ねるように理論を作り上げていくというボトム・アップ的な研究方法が優勢であった。しかし、こうしたボトム・アップ的な記述法では、いろいろなトピックごとに実験データが羅列されることになりがちである。こうした点を逆手にとって、あえて独立したトピックをたくさん並べるという方針をとった概論書もあり、これはこれで好評なようである。しかし、そうしたトピックの羅列だけでは、認知心理学の表面的な面白さだけしか伝えることができない。個々の実験やトピックが理解できても、人間の認知という大きな研究対象の理解につながらないからである。
 実は、本文の中でも詳しく触れるように、実験中心の研究法への反省から、包括的なモデルづくりを目指したことが、認知心理学の重要な特徴のひとつでもある。個々のトピックや実験データを羅列したのでは、こうした特徴をうまく伝えることもできない。そこで、本書では、代表的な包括的モデルを紹介することに重点を置くことにしたのである。
 本書でも詳しく紹介するJ.R.アンダーソンなどの認知心理学者たちは、1970年代以降、種々の包括的なモデルを提唱してきた。こうした包括的なモデルの利点は、個々の現象に共通するような人間の認知の特徴について総合的な視野を与えてくれることであるが、難点としては、たくさんの仮説の複合体であるためにモデルの正しさの検証が難しいことである。また、モデルが大規模なものになればなるほど、そのモデルについての説明も簡単ではない。そこで、認知心理学の概論書や入門書では、そうしたモデルのほんの一部を紹介するだけで、あとは興味を持った読者が原著にあたってみることを勧めることになってしまっていた。
 それでも、英語を母国語とする読者ならば、入門書を読んだあとで、そうしたモデルについて知るために原書を読むこともそんなに無理なことではないだろう。しかし、日本人の読者にとっては、日本語で書かれた入門書を読むことと、英語で書かれた専門書を読むこととの間にはギャップがありすぎる。そこで、本書では、従来の概論書や入門書よりも一歩踏み込んでこうしたモデルの解説を試みた。もちろん、限られた紙幅の中で、一つのモデルについて詳しい解説を加えようとすれば、取り上げられるモデルの数をしぼらざるをえない。本書では、筆者の判断で、最も重要であると思われるモデルを選んだが、結果的には、これらのモデルはほとんどが原書の翻訳がないものであった。念のために言えば、翻訳書が出版されていないことはこうした書物の心理学的な重要度が低いためではなく、現実社会における「営業上」の理由による。
  これからの認知心理学を勉強する人は、自分でモデル作りをしたり、実験論文だけでなく多くのモデルを吟味したりする必要がある。そのとき、少なくともひとつ典型的なモデルについて学んでおけば、新しいモデルの理解にも役立つはずである。もちろん、最終的には、それぞれの原書を読むことが必要となるであろう。本書での紹介が道案内として役に立てば幸いである。
 本書の成立にあたっては、九州大学の行場次朗氏に、企画の段階から適切なアドバイスをいただき、途中くじけそうになる筆者を何度も勇気づけていただいた。行場氏なしには本書は完成しなかったであろう。ここに改めて深く感謝の意を表したい。筑波大学の海保博之先生、香川大学の堀啓造氏、東京大学の市川伸一氏をはじめ、認知心理学関係の同僚研究者のみなさんにも、草稿の段階から何度も目を通していただき、たくさんの有益なコメントをしていただいた。ここで厚くお礼を申し上げたい。また、初学者の目で表現のわかりにくさをチェックして下さった岩波書店の桑原氏にも深く感謝の意を表わしたい。読者の代表として、1節を書き終えるごとに草稿を読み、常に厳しい批判をしてくれた妻の秀子にも感謝している。それでも、内容についての最終的な責任は筆者にある。思い違いや勉強不足による誤りをご指摘下さればありがたいと思う。
   1995年2月                         守 一雄
【 www版掲載1996/2/13】
目次へ戻る