さらに勉強するために


「知覚や認知にかかわる人工知能の研究は、『理論的心理学』と呼ぶのが適している。」
(Longuet-Higgins,1981,p.200)

  本書の読者の中には、既に心理学(あるいは認知心理学)についてある程度の知識を持っている人もいるだろう。そうした読者は、本書を読み進めるうちに、「何かこの本は今までの心理学(あるいは認知心理学)とは違うのではないか」という疑問を持たれたことと思う。従来の心理学では、実験が最重視され、具体的なデータを示して論ずることが必須条件であった。心理学実験は、そうしたデータ収集のための最大の武器であり、実験方法をいろいろ工夫して、問題となっている現象をいかに実証的なデータにするかが心理学者の腕の見せどころであると考えられてきた。「それが、この本では、そうした心理学の実験や具体的なデータがほとんど示されていない。どこまで本当なんだかわからないような理論やらモデルやらが紹介されるだけで、実証的に論じられているところがない。さらには、コンピュータ・シミュレーションが重視され、心理学というよりも、コンピュータ科学や人工知能学のようである。」
  実は、本書ではあえてそうした書き方をしてきた(言わば、「確信犯」である)。その理由は、認知心理学が「認知革命」の結果生まれてきた、今までの心理学とはまったく違う心理学であることをハッキリさせたかったからである。『認知革命』という書名の本が出版され、そうした革命があったことは、心理学者の多くが知っているにちがいない。しかし、そのほとんどは、この革命の重大さを充分に受けとめていないようである。おそらく、「自由にモデル作りをすることを縛ってきた行動主義心理学のタガがはずれた」という程度にしか受けとめられていない。
  そうした心理学体制擁護派の目からみれば、本書で紹介してきたような認知心理学は心理学ではなく、むしろ人工知能学であると感じられるであろう。もちろん、そうした心理学体制擁護派認知心理学者も人工知能学の研究成果を評価し、自分の研究に取り入れたりもしている。ただし、「心理学者はやはり実験を捨てるべきではない。そうしないと、心理学者としてのアイデンティティが失われてしまう。シミュレーションやモデル作りは、人工知能学者に任せておけばよい。」という信念は捨てていないのである。
 心理学者と人工知能学者とは、認知科学の両輪として「分業しつつも」共同で研究をしていけばよいという「分業論」も、当面は成り立つであろう。しかし、心理学者がいつまでも実験だけにしがみついていれば良いという時代はもう終わったと考えるべきである。第一に、既に述べたように、これは革命である。革命とは、今までの体制が否定されることである。そして、革命の後、歴史は逆戻りするのではなく、新しい体制が敷かれる。本当の共同研究はそれぞれの領域の研究者が日常的に顔を突き合わせて啓発し合う中からしか生まれてこないことは、過去の事実がよく示している。同じ大学内であっても、心理学は文系の学部で実験を、人工知能学者は理工系の学部でシミュレーションをというのでは、そうした日常的な接触は限られたものにならざるをえない。同じ心理学科の中で実験もシミュレーションも行なわれる必要があるのである。
 現に、心理学の先進国アメリカでは、こうした新しい体制下で認知心理学が研究されている。本書で、紹介したアンダーソンもコスリンもラメハートもマクレランドも心理学科の教授である。シャンクも心理学科の教授を兼任している。「ニューウェルは人工知能学者ではないか」と言われるかも知れないが、それを言うなら、従来の心理学でも生理学者のパヴロフが必ず紹介されていたではないか。また、ニューウェルは、アメリカ心理学の父ウィリアム・ジェームズの名を冠したハーバード大学での名誉ある心理学講義の講師を務めている。Soarモデルの全容がまとめられているNewell(1990)は、この講義に基づいているが、ニューウェルは明らかに自分を心理学者の一人と考えてこの講義をしている。
 さらには、冒頭にも引用したように、人工知能学を心理学の一部に位置づける考え方は古くから存在している。「実験認知心理学」という用語もよく使われるようになってきた。これは、従来の実験心理学のパラダイムの中で、認知を研究する「認知の実験心理学」を意味している。もし、認知心理学のすべてが実験に基づくものであるとするならば、「実験認知心理学」という用語は不必要なはずである。こうした用語が用いられるのは、明らかに認知心理学が「実験認知心理学」と「理論認知心理学」とから成り立つことが前提とされているからである。言うまでもないことだが、この「理論認知心理学」が差し示す研究領域は、現状では人工知能学にほとんど重なるにちがいない。より厳密に言えば、人工知能学も、どうすれば人工知能が作れるのかを研究する理論的な研究と実際に役に立つ人工知能を作る工学的な研究とに分かれる。理論認知心理学はこの理論的人工知能学であり、心理学者こそがその研究の中心となるべきなのである。
【これから認知心理学の研究者を目指す人に】
 最後に、本書で紹介してきたような理論認知心理学をこれから学ぼうとする若い読者にいくつかアドバイスをしておきたい。日本における認知心理学は明らかに「実験認知心理学」に偏っているのが実情である。(実は、筆者自身もどちらかといえば実験認知心理学者である。)しかし、だからといって現状追認で実験認知心理学だけを紹介したのでは、これから認知心理学を学ぼうとする若い読者への道案内としては不適当である。本書をあえて理論認知心理学よりの書き方にしたのは、既に出版されている認知心理学書の多くが実験認知心理学的であることとのバランスを取りたいと考えたからである。
 本書で紹介したアンダーソンやシャンクと親交のある日本の研究者はそのほとんどが工学系の学部や研究所に所属している。そこで、読者が、シミュレーションや大きなモデル作りなどを自分でも実際にやってみたいと考えるならば、工学系の学部で人工知能学やコンピュータ科学を学ぶ必要がある。もう既に文系の学部に入って心理学を専攻している読者には、そのような機会を積極的に探し、他大学や他学部の授業を聴講することをお勧めする。大学院進学の際に、工学系に進むことも選択肢の一つである。最近できた大学院の中には、東京工業大学の総合理工学研究科や名古屋大学の人間情報学研究科など文系と理工系とが融合しているものもある。
 もう一つの選択肢としてぜひ推奨したいのは、アメリカの大学に留学することである。上記のようにアメリカの大学では理論的な認知心理学の研究が盛んであるし、もちろん実験的な認知心理学も学べる。日本の大学の心理学科でも、このようなスタイルの研究が増えていくことを強く願う次第である。(日本の大学で教鞭をとる心理学者の一人として、日本の大学の心理学科を推奨できないことをとても残念に思う。日本の心理学にも早く「認知革命」が起きることを強く願って本書を終える。【この部分、本ではカット】)
【 www版掲載1996/2/13】
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