第12巻第4号              1999/1/1
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DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)



  新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞDOHCをご愛読ください。

【これは絶対面白い】

大槻義彦『「文科系」が国を滅ぼす』

KKベストセラーズ\1300

 「文科系エリートたちは、大学で遊びに遊んで、大学院に進学せず、それでいて政治や経済の中枢を握り、この国を食いものにしてきた。」(p.5)

 第1章「ぶざまな文科系エリートたち」露呈された戦後文科系教育の欠陥
 第2章「理工系エリートのひとり勝ち」技術大国「日本」を作り上げてきた理工系
 第3章「理工系と文科系の深い溝」文科系教育のお粗末な実態
 第4章「あまりにお粗末な日本の大学院」文科系の大学院はなぜ存在するのか
 第5章「欧米の大学院でのエリート教育」日米の大学院生−−勉強時間の比較
 第6章「間違いだらけの日本の「高等教育」」片手間仕事になされている大学院の教育
 第7章「大学・大学院大改革への提言」「大量入学・少数卒業」の実現へ

 上に掲げた「目次」の一部からもわかるように、この本は結局のところ「日本の高等教育改革への提言」の書である。当然、欧米の高等教育との比較がなされるわけだが、この本ではさらに「理工系」と「文科系」の比較もなされる。そしてタイトルにもあるように、「日本の文科系の高等教育が特にお粗末だ」というわけなのだ。

 日本の繁栄を支えてきたのは技術大国「日本」を作り上げた理工系のエリートだった。高度成長期の右肩上がりの時代には、政治や経済などの文科系エリートの仕事は誰がやってもなんとかなった。ほとんどアメリカの言うとおりにしているだけで良かったからである。文科系エリートの「舵取り」のお粗末さは、技術力に支えられた経済成長が覆い隠してくれた。選手の能力が飛び抜けて良ければ監督の采配ミスが目立たないのと同じことだ。そうした中で文科系エリートは、理工系エリートの倍近い高給を得て「ノーパンしゃぶしゃぶ遊び」などをしていたのだ。

 ところが、経済が成熟して一方的な右肩上がりが期待できなくなってくると、文科系エリートの「舵取り」の能力が問われるようになる。ところが、総理大臣も野党党首も、大銀行の頭取も、実はボンクラだったのだから、国際競争に勝てるはずがないのである。その必然的な結果が今回の金融破綻であり、不況であるというのである。(まだJリーグが華やかだったころ各チームが競って外国人監督を雇った際に、よく言われたジョークに、「総理大臣もゴルバチョフかサッチャーかキッシンジャーを雇った方がいいんじゃないか」というのがあったが、あれは本当だったのだ。)

 このDOHCでは、大学改革に関わる本を今までいくつも紹介してきたが、考えてみるとそのほとんどが「文科系エリート」によって書かれたものだった。こうした「文科系エリート」たちは、国内の理工系との差には目をつぶって、欧米との差ばかりを強調しがちだった。留学する機会さえあれば、すぐにでも外国との比較ができるのに対し、理工系と文科系は同じ大学内でさえ行き来する研究者はマレで、その比較は意外となされてこなかった。しかし、この本の第3章に理工系と文科系の学部生のモデルケースが描かれているように、「理工系の学生のほうがずっと勉強が大変」であることは以前からよく知られていた。理工系エリートはテレビに出たり、こういう一般大衆向けの本を書いたりしないため、あまり表立って文科系エリートを批判することがなかっただけなのかもしれない。だからこの本は、理工系エリートでありながらタレント教授でもある大槻先生だからこそ書けた本なのだろう。文科系の身ではあっても理工系シンパの私としては、耳が痛い部分も多いものの、大槻先生の主張には基本的に賛成である。

            (守 一雄)


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