毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]
(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)
ノストラダムスの大予言の期日が迫るにつれて、この恐ろしい予言に関わる本がたくさん出版されることになるだろう。というよりも、もう何しろあと10ヶ月しか残されていないのだから、関連する本はもう書店に並びはじめている。これらの本は、間違いなく売れるだろう。しかし、そうした本を読んでも助かる方法は書かれていないはずだ。本を読んだくらいで助かることができるようなことなら、何も恐ろしがることもないわけで、「恐怖の大王」から逃れる方法はないのだ。恐ろしいことは確実に起こる。恐怖のあまり自殺をする人も出てくるだろう。菊池氏のこの本でも、そうした危惧が書かれていて、「これが私の1999年に向けての予言である」と明言されている。
それでは、いったい私たちは何をすべきなのだろうか?菊池氏のこの本にはどんな答が書かれているのだろうか?それは今からでも、間に合うのか?
実は、菊池氏の結論は以下の通りである。「予言は、それを信じてしまう心理メカニズムを徹底的に分析し、これを理解することができれば、不安の対象ではなくなる。」ノストラダムスの予言の恐怖から逃れる方法は、「そんなものは当たらない」と否定することではなく、「予言の恐ろしさとは何か」をきちんと理解することなのである。
この結論をここに書いてしまってよいかどうか、しばらく迷った。推理小説の犯人を教えてしまうようなものだからである。しかし、『刑事コロンボ』のように犯人が初めから分かっていても面白いものもある。「犯人だ誰か」ということよりも、「犯人を追いつめていくプロセス」が面白いからである。この本もそれに近い。(現にこの本の「はじめに」の部分でこの結論が著者自身によって明かされている。)
菊池コロンボは、まず予言の定義からはじめる。「予言なんて当たるはずがない」と決めつけてしまわないことが正しい科学的態度である。当たる予言だってあるのだ。というよりも、人々が予言が信じる理由の最大のものは「当たるから」である。しかし、多くの場合それは「当たったようにみえるだけの錯覚」なのである。「なぜ予言が当たったようにみえるのか」、この錯覚を起こすメカニズムこそが心理学と関わる部分であり、この本の中核部分となる。『予言の心理学』という書名も、「予言について心理学的に分析したもの」というだけでなく、「予言をきっかけに心理学の研究方法を学ぶ本」という意味づけもある。(もっとも、ここでいう心理学は認知心理学をはじめとする科学的心理学であって、フロイトやユングの心理学ではないことも菊池コロンボは丁寧に説明してくれている。)記述もわかりやすく、心理学の入門書としても使える本である。
最後は評者による一連の予測で締めくくろう。菊池氏も恐れているように、ノストラダムスの予言に時期に合わせて、不安を煽るような本がたくさん出版されることになるに違いない。そうしたバカ騒ぎを起こさせないためにも、この本が書かれたのであり、菊池氏の本を読めば、そうした本がいかに愚にもつかないものかはよくわかるはずである。それではこの本によってそうしたバカ騒ぎが防げるかというと、残念ながらそれは難しいだろう。バカ騒ぎをするような人のほとんどは菊池氏のこの本は買わないだろうからである。そして、世間では、菊池氏のこの本を買う人よりも、ノストラダムスの予言を煽るような本を買う人の方が圧倒的に多いのである。この予測が外れることを祈る。 (守 一雄)