第11巻第10号              1998/7/1
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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)


 S大学のK学部では、学部運営の中心的役割を果たす各種委員会の長を、年度末の教授会の時に選挙で選出します。こうした選挙では票が割れるために第1回の投票で過半数を越えることはありません。そこで、必ず上位2名による決選投票が行われることになるのですが、決選投票で逆転することはほとんどありません。ここで面白いことが起こります。この決選投票で破れた候補者が、「必ず」次の委員会の長の第1回選挙で第1位となり、決選投票を経て、長に選ばれることになるのです。そして、その時次点だった人が、さらにまた次の委員会の長に選ばれることになります。最初の選挙でのちょっとした票の偏りが、次回以降の選挙結果に大きく影響してしまうわけです。

 どうしてこんなことが起こるのかというと、「自分以外なら誰でもいい」(委員会の長は基本的に誰もやりたがる人はいない)という心理が働くからです。なんとも無責任な選挙ということですが、実は、世の中の決めごとのほとんどはこうしたいいかげんな決まり方になりがちです。それは、「決めなければならないことのほとんどはほとんどの人にとって、どうでもいいこと」だからです。そのため、「特に不都合がないかぎりは賛成する」という消極的な賛成派がいつでも「最大の浮動票層」となり、「原案」であれ、1次投票の結果であれ、賛成票を投じることになるからです。

 「ちょっとした票の偏り」が結局はすべてを決めてしまうということも重要です。誰かが、うまくこうした「ちょっとした偏り」を作り出すことができれば、実質的な決定者となることができるからです。教授会の席上で、テーブルごとに「○○さんにしようぜ」などと言って、即興の票まとめをする「テーブル奉行」がでてきますが、結局のところ、こうした人が重要な「しきり役」を果たすことになるのです。

 この「決めなければならないことのほとんどはほとんどの人にとって、どうでもいいことだ」ということは、言われてみればそのとおりですが、今までそうハッキリ認識したことはありませんでした。世の中の決めごとがどのようになされているのか、ちょっとしたきっかけを作りだし、世の中を実質的に「しきっている」のは誰か、などについて、これほど見事に分析してみせた本はありません。ぜひ、一読をオススメします。(守 一雄)



【これは絶対面白い】

林 理『「しきり」の心理学』

学陽書房\1900


 「日本には優れたリーダーがいない」とか、「これからの大学運営には学長などの強いリーダーシップが必要だ」とか、リーダー論は相変わらず盛んである。しかし、物事を決めているのは、本当にリーダーなのだろうか?(日本をリードしているのは、本当に橋本龍太郎さんなのだろうか?)そもそも、物事の決定はどのようになされているのだろうか?

 この本では、まず、リーダーには「公式のリーダー」と「非公式のリーダー」とがあり、実際に物事を決めているのは、「非公式のリーダー」であることが述べられる。「非公式のリーダー」こそが、「しきる人」なのである。そして、なぜ「非公式のリーダー」が必要となるのか?「非公式のリーダー」はどうやってできるのか?「非公式のリーダー」とはどんな人か?などが、社会心理学の研究成果を基に論じられている。

 「非公式のリーダー」が行う「しきり行動」の4類型を、「まあまあ」型「ゴリ押し」型「おれだよ」型「小学校の遠足(引率教諭)」型とし、几帳面さの4類型を、「思いこんだら百年目」型「ドマジメ優等生」型「生徒指導ごもっとも」型「チェック魔」型とするなどの命名にも、著者のセンスや遊び心が感じられて読んでいて楽しい。

 著者の林理(はやしおさむ)氏は東京工業大学心理学研究室助手(社会心理学)、1961年生まれ。東京大学大型計算機センターが利用者に配布している『センターニュース』の「ユーザから」欄の常連執筆者である。いつも気の利いた意見や見識が述べられていて愛読していたのだが、この初めての単著も「さすがこの著者ならでは」と期待通りの面白い本であった。この本によれば、私もかなりの「しきる人」らしい。   (守 一雄)

 


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