第11巻第9号              1998/6/1
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DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)


 先月の14-15日に乗鞍で本学の学長が主催する「教養教育に関するフォーラム」が開かれ、私も参加してきました。このフォーラムは大学改革のいろいろな試みの一つとして現学長が数年前に始めたもので、「研究にばかり目を向けがちな大学教官に教育の重要性を再認識させよう」という方針の下、信州大学の各学部から教官数名ずつが参加して「より良き大学教育のために」勉強したり討議したりするものです。京都大学の高等教育教授システム開発センター長の梶田叡一先生を講師にお招きして、授業の改善や学生による授業評価などについて、深夜まで議論を闘わせました。

 確かにここ数年来の大学改革では「教育の重視」が一貫した流れとなっています。しかし、今回紹介する本では「研究の重視」こそが日本の大学を再生させる処方箋であると論じています。以前に、井口和基氏の『三セクター分立の概念』(近代文芸社)をDOHCで紹介しましたが、この本はこれに優るとも劣らない大学改革の本質をついた好著だと思います。私はフォーラムの参加の直前にこの本を読み、著者の主張に感銘を受けました。そこで、学長にも1冊差し上げてきました。学生をはじめ、多くの大学関係者にもぜひ読んでいただきたいと思います。                     (守 一雄)



【これは絶対面白い】

岡本浩一『大学改革私論』

新曜社\1900


 本の書き出しに、「本書の内容は、つぎの一言で要約することができる。」と書かれ、次の行に本当に一行で「研究助成金に定率加算金を導入せよ。」と書かれている。では、「定率加算金」とは何か。それは、大学の教官が科研費などの研究費を獲得した際に、その教官の所属大学にも一般経費として、「獲得研究費の50%程度に相当する額を加算」して獲得させるものである。たとえば、1000万円の研究費を獲得した教官の所属大学には、さらに500万円が加算され計1500万円が与えられるということで、この500万円の部分が「定率加算金」である。

 アメリカではこうした「定率加算金」の制度が確立している。日本ではどうかというと、定率加算金はゼロである。1000万円の研究費は、1000万円ポッキリであって、大学には一銭も支給されない。日本では研究費というのは、「その研究に直接に必要な経費だけ」を想定している。しかし、どんな研究でも必ずなんらかの間接的な経費が必要となるものである。たとえば、研究費で実験器具を購入すれば、それを置く台や、附属機器をしまう棚が必要となる。研究にはコピー機やファクスなども使われるが、特別に支給される研究費でコピー機やファクスなどの事務機器は買うことができない。

 では、一般の事務機器を買うための予算はどうなっているのかというと、「教官あたり積算校費」という一般経費が一律に与えられているのでそれを使うのである。しかし、この「積算校費」は一定で、「直接的な研究費」をたくさん獲得してたくさんの研究をやっても増やしてはもらえない。だから、研究費をもらって研究すればするほど「間接的な経費」は足が出ることになる。反対に研究をしなくても「積算校費」は一定額支給されるから、経費が不足する心配はない。

大学では教官の研究の事務的な部分を事務官がサポートする体制になっているが、研究熱心な教官ほど事務的な仕事も増え、事務官の負担が増える。ここでも反対に教官が研究をしなければ、事務官の仕事も楽になる。つまり、日本のシステムでは「直接的な研究費」をたくさん獲得するほど、赤字になり、周りの人々の仕事も増えることになるのだ。

 しかし、「定率加算金」制度が導入されれば、すべてが逆転する。「直接的な研究費」を獲得すればするほど大学全体も潤うため、研究熱心な教官が大学内で優遇されるようになるだろう。これは任期制や独立法人化などの他の改革よりも、ずっと効果的なはずである。こうした本論がまず述べられた後、各論が述べられる。各論もどれも示唆に富んだものである。岡本氏は東洋英和女学院大学教授(社会心理学)、1955年生まれ。(守 一雄)


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