第11巻第8号              1998/5/1
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DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)


 青葉の美しい季節になりました。今年のゴールデンウィークも「不況」とはいえ、多くの人々が行楽に出かけることでしょう。そして、全国の行楽地や高速道路のサービスエリアには山のようにゴミが出るのです。「ゴミ持ち帰り運動」や「ゴミの分別収集」などの対策もとられていますが、小手先の対応にすぎません。持って帰ったゴミもどこかに捨てねばなりません。ダイオキシン対策のためにゴミを燃さないことにしても、どこかに捨てなければならないことに変わりはありません。燃やせるゴミだって、燃やした後に灰が残り、空気中には二酸化炭素が放出されるのです。結局、私たち人間が活動すると必ず何かしらのゴミが出るわけです。今世紀は工業の急速の発展によって、「物質的な豊かさと繁栄の世紀」となりました。しかし、21世紀まであとわずかになった今、改めて振り返ってみると、20世紀は次代に重いツケを残す「ゴミ作りの世紀」だったようです。       (守 一雄)



【これは絶対面白い】

佐野眞一『日本のゴミ』

ちくま文庫\900


 プロローグとエピローグに挟まれた12の章のすべてで、物事の「終わり」に焦点があてられている。自動車の終わり、衣料の終わり、OA機器の終わり、紙の終わり、電池の終わり、ビルの終わり、水の終わり、医療の終わり、食の終わり、器の終わり、核の終わり、そして、生きものの終わり、そう私たち自身も死ねばゴミとなって、みんなから疎まれるのである。物事を「終わり」から眺めなおしてみるという著者の視点は新鮮で面白い。しかも、どの章も重大な問題提起がなされている。

 「生産されたものは百パーセントゴミになる。」というゴミ処理連合会専務理事の言葉を真剣に受け止めよう。自動車・パソコン・携帯電話・・・などなど、新品の時には誰もが欲しがるものも、古くなったり、壊れたりしてしまえば確実にゴミになり、誰も見向きもしない。新製品の開発は華やかに報じられるが、製品の最後には目が向けられない。物事に始まりがあるように終わりがあるのは当然のことなのであるが、誰もが「終わり」の部分には目を向けたがらないのだ。しかし、もう目をつぶって「知らないフリ」をしていてもなんとかなるという段階を越えてしまった。新しく物を買うときには、それが最終的にどう処分されるかを考えてみる癖をつけよう。果物そのものよりも「フルーツゼリー」の方が食べやすいし、おシャレっぽいが、プラスチックのスプーンとカップは確実にゴミになる。一方、果物の皮はゴミのようだが、ちゃんと自然に還る。果物は偉い。

 自動車の廃車処理問題は特に深刻である。東京都八丈島では、住民の保有台数にほぼ匹敵する数の廃車が島内に野積みにされて問題になったのだという。税金を使って、その一部をなんとか処理したが、問題の解決にはほど遠い。そもそも車を作りすぎたのだ。日本全国の保有台数を1列に並べると、道路の総延長の1.5倍にも達してしまう。日本にある自動車の3台に1台は道に置くことさえできないのだ。「車が売れない」のも「不況」のせいばかりでなく、そろそろ誰もがこうした問題に気づいてきたからなのだろう。

 それでも、ゴミ問題に関してはマスコミはまったく頼りにならないことも知っておくべきである。テレビも新聞もスポンサーはゴミを作る方の側だからだ。森林保護のキャンペーンを張っている日本の新聞社が広告収入を増やすために増ページをし、森林消費のペースを速めている。32ページの新聞のうち17ページは広告。チラシも含めると3/4以上が紙ゴミである。ゴミを出さないためには製品を作らない、つまり消費者が買わないことが一番手っ取り早いが、CMで成り立つテレビが不買キャンペーンをするはずがない。

 うーん、いつもそうなのだが、ゴミ問題はどうにかしなければと思っても結局どうしたらいいかわからない。こうした本も読めば憂鬱になるだけである。それでもやはり、できるだけ多くの人がこうした現実を知るべきだと思う。この本はぜひ、買って読んでもらいたい。そして、読み終わったらゴミにしないで友達にも読んでもらってね。(守 一雄)


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