第10巻第11号              1997/8/1
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DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)



 今から2年半ほど前の1995年1月、文芸春秋社発行の月刊誌『マルコポーロ』(1995年2月号)に「戦後世界史最大のタブー・ナチ『ガス室』はなかった」という記事が掲載されました。この記事に対して、在日イスラエル大使館などが抗議をし、結果的にはこの雑誌そのものが廃刊となってしまいました。いわゆる「マルコポーロ廃刊事件」です。
 「この記事の著者西岡昌紀という人は専門のジャーナリストではなく、内科医である。いわばこの道のアマチュアで、そのアマチュアが海外のネオナチなどの言説を真実と思いこみ、事情も知らないまま「勇み足」をしてしまった。一方、記事を掲載した雑誌『マルコポーロ』の方も、『週刊文春』のやり手編集長として知られていた花田紀凱氏が鳴り物入りで就任したものの、思ったより部数が伸びず、焦ってこんなガセネタをつかんでしまったのだ。」当時のマスコミ報道では、こんな説明がなされていました。
 しかし、一方では「いくら間違った記事であったとしても、何も廃刊にするまでのことはないのでは?」という疑問も出され、「『マルコポーロ』側は反論のためのスペースも用意していたのに、上層部の政治的判断で廃刊になった。」とも報道されました。私にもこうした廃刊の経緯はきわめて不可解に感じられましたので、その記事そのものを読みたいと思い、長野市内の書店を探し回ったのですが、手に入れることはできませんでした。
 そして、その後すっかり忘れてしまっていたのですが、最近この記事の著者が本を出したことを知り、早速読んでみました。読んでみると、うーん、確かにこれは衝撃的です。
 ちなみに、この本を読んでわかったことですが、西岡氏の主張は日本ではほとんど知られていませんが、外国では「ホロコースト見直し論者」として知られているのだそうです。早速インターネットで検索してみると、確かにそうした見直し論者たちのホームページがあり、それに対抗する「反」見直し論者のホームページもありました。

【これは絶対面白い】

西岡昌紀

『アウシュウィッツ「ガス室」の真実』

日新報道\2000


  著者の西岡氏は『マルコポーロ』廃刊後も大手パソコン通信を使って自身の主張を展開し続けてきた。以下は、西岡氏自身による主張のまとめである。
1)ナチスドイツが、ユダヤ人に不当な差別迫害を加えた事は、明白な史実である。しかし、そのナチスドイツですら、言われている様に「ユダヤ人の絶滅」などを計画した事は無かった。当時のドイツ政府が計画した事は、ヨーロッパの全ユダヤ人を戦後ロシアなどの「東方地域」に強制移住させる事だった。(それは、もちろん不当な事である。)
2)アウシュウィッツをはじめとする強制収容所の建設目的は、戦争中はユダヤ人を労働力として利用し、戦後はロシアなどに強制移住させる為の準備施設としての物だった。ところが、ソ連戦線でドイツが敗退した結果、ユダヤ人の東方への強制移住計画など全く不可能と成り、他方、戦争の影響で、それらの収容所の生活環境が悪化した。その為、強制収容所では特にチフスをはじめとする疾病が大発生し、多くのユダヤ人が悲劇的な死を遂げた。
3)一方、連合軍は、戦争中から、戦時宣伝の一環として、ドイツが強制収容所でユダヤ人を大量に処刑していると言う宣伝を行ない、その様な宣伝の中で、「ガス室大量殺人」の話を流布していた。
4)戦争末期から戦争直後にドイツの収容所を解放した連合軍は、そこで多くの病死者の死体を発見した。そして、それらの死体の山を、まるで「ガス室大量殺人」の犠牲者であったかの様に発表、宣伝した。
  こうした主張が正しいとすれば、まさに衝撃的である。しかし、なぜこのような「事実」が正しく知らされないまま、「ガス室大量虐殺」が世界史の「定説」となってしまったのであろうか?そしてこの「定説」に異議を唱えることや見直しを迫ることがどうしてタブー視されるのであろうか?その答は本書を読んでのお楽しみである。 (守 一雄)
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