第10巻第10号              1997/7/1
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DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)



【これは絶対面白い】

角田房子『閔妃暗殺』

新潮文庫\600

角田房子『わが祖国』

新潮文庫\480

角田房子『悲しみの島サハリン』

新潮文庫\529


 サッカーのワールドカップ2002年大会が日韓共同開催となり、日韓の長い歴史の中で初めての「対等な共同作業」がなされることになった。
 しかし、私たち戦後世代の日本人は驚くほど韓国・朝鮮のことを知らない。彼らの日本に対する豊富な知識とのアンバランスさは信じられないほどだ。最近のベストセラー野村進『コリアン世界の旅』(講談社\1,800)は、こうしたアンバランスに気づく絶好の本だと思った。
 その後、角田房子『閔妃(ミンビ)暗殺』(新潮文庫)を読んで、本当に「ガッツーンと頭を殴られたようなショック」を受けた。この本は、19世紀末の朝鮮王朝末期に君臨した才色兼備の王妃閔妃の波瀾万丈の一生についてのノンフィクションだが、私は隣国の王妃を日本の公使が暗殺したという事実をこの本で初めて知った。学校で教わった記憶もない。伊藤博文が韓国人に暗殺されたことは知っていたのだから、無意識のうちに「都合の悪いことは忘れてしまう」という人間心理が働いたのかもしれない。もちろん韓国・朝鮮で閔妃暗殺事件を知らない人はいない。
 閔妃暗殺を知っていたという日本人でもこの話は知らないだろう。同じ著者の『わが祖国』(新潮文庫)では「韓国近代農業の父」と呼ばれる禹長春(う・ながはる)博士の一生が綴られている。禹長春は日本に生まれ、育種学の研究で世界的に有名になる。ところが、52歳になってから日本での恵まれた境遇を捨ててまで、祖国へと渡って農業振興のためにその半生を捧げる。なんとこの禹博士は閔妃暗殺に加わり日本に亡命して日本人女性と結婚した禹範善(ウ・ボムソン)の子どもなのだ。日韓の暗い過去の中の一条の輝かしい光なのだが、韓国では誰でも知っている禹博士も日本ではほとんど知られていない。
 朝鮮半島に対する日本の責任が思わぬところにも残っている。角田房子『悲しみの島サハリン』(新潮文庫)では、戦後半世紀を経た今もサハリンに残されて故郷の朝鮮半島にも日本にも帰れない人たちの悲しい現状が報告されている。
 「従軍慰安婦問題でペコペコ頭を下げるのは自虐的だ」といった発言を声高にする人々が最近登場してきている。従軍慰安婦問題だけでなく、過去の戦争を美化しようとする「失言」が一部の政治家などから漏れるたびに政府は謝罪を繰り返してきた。しかし、最も大事なことは過去の事実をきちんと後世に伝えることである。しかも、これは意識的にやらねばならない。放っておくと私たちは物事を自分の都合のいいように歪めて理解したり、記憶したりしてしまい、とんでもない判断ミスをしてしまうからである。
 人間の判断の誤りについて専門的に研究している心理学者の私でさえ、ちょっと油断すると危ない。実は、つい最近まで「太平洋戦争は悪い戦争だったが、日清・日露戦争は良い戦争だった」となんとなく思っていた。勝ち負けだけで善悪を決めるという幼い頃の素朴な判断を修正しないままきてしまっていたのだ。
 角田房子さんの三部作は読みごたえがあり、どの本も感動的である。が、何にもまして、私たち戦後世代が「日韓の歴史についていかに何も知らされないできたか」が痛感されるのである。
                     (守 一雄=信州大学助教授、認知心理学)
(今月号のDOHCは7月6日付け『信濃毎日新聞』の読書欄「本の森」にも掲載されます。)
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