第10巻第5号              1997/2/1
X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X

DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohchp-j.html
X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X-X

毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)



【これは絶対面白い】

下條信輔『サブリミナル・マインド』

中公新書\820


清水義範『シナプスの入江』

福武文庫\500


清水義範『催眠術師』

福武文庫\550


 それぞれの本の帯にはこう書かれている。「自分の心は自分が一番よく知っている」この信念は正しいか(『サブリミナル・マインド』)。「自分だけはかからない」そういうあなたが一番あぶない(『催眠術師』)。「おれは本当にいるのだろうか」自分の存在すらあやしい!?(『シナプスの入江』)。
 下條氏の本は、視覚研究の第一線の研究者で海外での研究歴も長い著者が東大の教養学部でやっている心理学入門の講義をまとめたものである。さすがは下條氏、研究もすばらしいが講義も並みではない。そして、さすがは東大、教養課程の講義もこんなに「血湧き肉踊るように」面白いのだ。(もっとも、この下條氏2ヶ月後の4月からは東大を捨ててカリフォルニア工科大学へ行っちゃうそうである。)
 下條氏は、心理学入門の講義をするにあたって、「現代の心理学を全部ひっくるめて見たとき、それらの底に一貫するメッセージは何だろう、それを講義全体のメイン・テーマとしよう」と考えたのだという。そして、「そんなものは見あたらないことに気づいて、慌てた」。ここまでなら私も同じことができそうに思う。ただ、私だったら別に慌てることもなく「現代心理学とは一貫したメッセージなどないゴッタ煮の学問だ」と開き直って、いろいろな分野から面白い研究をつまみ食いして「お子さまランチ」のような講義をすることだろう。しかし、下條氏は違う。いろいろ思案を重ね、「人は自分で思っているほど、自分の心の動きをわかっていない」という主張こそが「現代の心理学と関連諸学の歩みを五十年、百年のスケールでおおづかみに理解しようとするとき、浮かび上がってくる“セントラル・ドグマ(中心教義)”である」という結論にたどりついたのである。これは今まで、おそらく世界中を見渡しても、誰も言わなかったことである。しかし、東大教養学部の教室に座って講義を聴いているつもりで本を読み進めていくと、本当にいろいろな心理学の分野の研究から、確かにこの中心的なドグマが浮かび上がってくる。普通の新書の5割増しの厚さであるが、読み終わるのが惜しいと感じる本である。
 それでも「やっぱり新書は難しそうでイヤ」という方々には、面白おかしい小説を書くことでは第一人者の清水義範の2つの長編小説の方をまず読むことをお勧めしたい。それにしても、いつも思うのだが、小説家の感覚は鋭い。日本で一番優秀な心理学者が苦心して見つけだしたテーマを天性の勘で嗅ぎだしてしまうのである。清水義範といえば、『永遠のジャックアンドベティ』や『国語入試問題必勝法』など、小説とは思えない題材を見事に作品に仕上げる奇才であるが、本格的な長編小説も書いていたのである。『シナプスの入江』は「記憶とはあてにならないものだが、自分の存在証明はこの記憶に支えられているのだ」というテーマで書かれたもので単行本は1993年刊。もう一冊の『催眠術師』は「自分のこころが本当に自分のものなのか」というテーマを「催眠術」をキーワードにして書いたもので1994年が初出である。オウム事件を既に知っている今となっては、「マインドコントロール」や「洗脳」という言葉を知らない人がいないくらいであるが、この小説はあのオウム事件が発覚する前に書かれていたのである。どちらを読んでも、自分のこころのはかなさや自分の存在のあやうさが認識され不思議な気分になる。
 下條氏の本は科学がそれ自体で立派なエンターティメントであることを教えてくれるし、清水氏の本は小説とは思えないほど勉強になる。こんなに面白くてためになる本が、3冊買っても2000円でお釣りがくる。さあ、買って読もう。(そして、読み終わったら考えよう。これらの本を買って読んだのは、あなた自身がそうしようと決めたことなのか。そして、そもそもこれらの本を買って読んだのはあなた自身なのか。) (守 一雄)
DOHCメニュー