第8巻第6号               1995/3/1
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DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(PDC00137, kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)



 3月になりました。春です。だからというわけではありませんが、インターネットのネットサーフィンができるようにもなりました。世界中に散らばるwwwサーバを渡り歩いてただただ感心しています。ワハハハ、「インターネット」「ネットサーフィン」「wwwサーバ」って何だ?と思った君はぜひ下の本を読んでみましょう。これは未来の話ではありません。この教育学部でももうイーサネットが張り巡らされ、最も本格的なインターネットへの道であるIP接続が可能になっているのです。教養部(繊維学部)の湯田先生はもうwwwサーバ(azumi.shinsu-u.ac.jp)で情報提供を始めています。私たち教育心理学科(4月から心理臨床専攻と改称)も近いうちにwwwサーバを用意するつもりです。
(名前はzenkoji.shinshu-u.ac.jpを予定しています。)               (守 一雄)

【これは絶対面白い】

前野和久『インターネットのすべて』

PHP研究所\850


 新聞などでも「インターネット」という言葉がよく記事に出てくるようになり、インターネントを紹介する本も相次いで出版されている。わずか数冊しか読んでない状態で推薦書を紹介するのもかなりの冒険だが、新書版で安く、内容もわかりやすいこの本を選んでみた。「まだ、パソコンも使ってないよ」という人にでもわかるように書かれている。巻末に参考文献も出ているし、入門用として良いと思う。
 インターネット関係だけではたいした情報提供ができないので、別の話題でもひとつ。

保坂展人『危ない公文式早期教育』

太郎次郎社\1,650


 衝撃的なタイトルであるが、公文式のすべてが悪いと言っているわけではない。また、公文式だけが悪いと言っているわけでもない。著者が言いたいのは「公文式に代表される種々の早期教育を過剰にやると危ない」ということである。
 1958年に大阪で始まった公文式学習法は、1970年代の後半から80年代にかけて爆発的に全国に広まった。当初は算数・数学だけだったが、その後英語や国語の教材が加わり、また小学生からのはずだったのが、いつのまにか幼児、乳児へと対象年齢を下げてきて、この本によれば、新生児や胎児までが教育対象とされているという。
 この公文式がまだ急成長する前、私は東京教育大学教育学部心理学科の学生だった。高校では教わらなかった心理学を勉強するようになり、家庭教師などもやるようになると、誰でも心理学を教育に活かしたいと考えるものである。そのころ心理学の世界では、行動主義心理学が全盛であり、教官は誰もが行動科学としての心理学を熱っぽく語っていた。教官に勧められて読んだスキナーの『ウォールデン・ツー』が本当に理想郷のように思えたほどであるから、私には、公文式のプリント教材は、スキナーの考案したプログラム学習を理想的な形で具体化したものに思えた。そこで、当時していた家庭教師先でも、公文式によく似た教材を自作して教えていたものだった。
 実は行動主義心理学の限界を知った今でも、学校での計算練習や漢字の書き取り練習には公文式が最適な方法であろうと思っている。一律に学年でレベルを区切り、能力別クラス編成もままならない学校教育よりも、自分の能力にあった「ちょうどの学習」をマイペースで進めるのが公文式だと思っていたからである。
 ところが、「2歳で方程式」「2歳で読書」「全国レベルで順位付け競争」となるとこれは違うぞという気がしてくる。そして、その背後に「子どもの数の減少による顧客の拡大競争」や「早期教育産業」があるのだとすると、大いに気をつける必要がある。
 それでも、早期教育が本当に危ないかどうかは私にはわからない。だから、保坂氏の主張に全面的に賛成というわけでもない。ただひとつハッキリしていることは、ウチの子には早期教育らしいものをやらなかったということである。それも、別に「危険だから」とか「効果がないから」といった理由ではなく、「面倒くさかったから」である。このズボラが吉と出るか凶と出るか、まだ誰にもわからない。                      (守 一雄)


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