第7巻第5号                      1994/2/1
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DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(PDC00137, kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)


【これは絶対面白い】

室井尚・吉岡洋
『情報と生命:脳・コンピュータ・宇宙』

新曜社\1,648


佐倉統
『動きはじめた人工生命』

生命へ回帰するコンピュータのゆくえ

同文書院\1,800


 現代社会をたった一つのキーワードで言い表すとすれば、それは間違いなく「情報」であろう。そして、学問の世界においても「情報」は、現代の学問すべてに共通する重要なキーワードである。生命でさえ、突き詰めれば「情報」の一形態に過ぎないことになってしまう。『情報と生命』は、その「情報」という概念を切り口(あるいは視点)にして、「「文科系的知」としての哲学、社会学、美学、倫理学、心理学、文学、歴史学、言語学、人類学等々と、「理科系的知」としての物理学、数学、化学、生物学、地学、情報理論等々の諸科学」が「統合・再配置」された近未来の知の世界をオリエンテーリングするための地図を描いたものであるという。と書くとなにやらカッコいいが、SF小説やら映画やらコンピュータ・ゲームやらと現代科学の流行語とをごちゃ混ぜにして喜んでいる哲学者気どりの情報オタク(または、情報オタクっぽい哲学者)のエッセイ(絵のないマンガ=おしゃべり)である。読んでも役に立つわけでもないし、混沌とした現代科学がわかってくるわけでもない。ただただ頭の中がかき混ぜられて、おもしろいだけである。スペースシャトルに乗って宇宙へ行って帰ってきても、別に何の役にも立たないのと同じことである(悪口ではなくて、スペースシャトルに乗るくらいおもしろいということ)。
  さて、生命も情報の一形態に過ぎないとすると、自然界の生命体の他にも、人工的な生命を作ることが原理的には可能であることになる。なんら知的なふるまいをするわけではないが、「自己複製」だけを目的としたプログラムをコンピュータのメモリの中に作ってやると、「自己複製」のミスから「新種」が生じ、「生存競争」によってどちらかが勝ち残ったり、住み分けが起こったりして、「進化」もする。こんな人工生命を作って、その個体発生から進化までを眺める。これは、究極の知的遊びである。でも、そんなことをしたら、そのうちその「人工生命」に人類が滅ぼされて、なんてことが起こりかねないのでは、と心配する人もあるだろう。そうした心配が無用のものかどうかも含めて『動きはじめた人工生命』では、各種の人工生命にまつわる話が述べられる。これもまた、頭の中がグワーッとかき混ぜられて、おもしろい。
 これら2冊の本は、著者も(著者の専門も)違うのだが、読んだ感じも内容も驚くほどよく似ている。注が多いこと、著者が饒舌なこと、がそんな感じを持たせるのだろうが、やはり基本的にテーマが同じからなのであろう。両書に共通に登場して来る主な人物は次のとおりである。『利己的な遺伝子』や『ブラインドウォッチメイカー』のR.ドーキンス、『サイボーグ・フェミニズム』のD.ハラウェイ、『マインズ・アイ』や『ゲーデル・エッシャー・バッハ』のD.ホフスタッター、『カオス』のJ.グリック、『電脳生物たち』のH.モラヴェック、『ソフトウェア』のR.ラッカー、日本人では、西垣通、養老孟司、そして不思議なことに紫式部。 (守 一雄)


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