第7巻第3号              1993/12/1
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DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(PDC00137, kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)


 今月紹介する本は、竹内靖雄さんの近刊2冊です。(といっても、1冊は昨年の9月刊ですから1年以上も前の本です。)竹内靖雄さんの本は、第5巻の第1号(1991/10/01)で、『経済倫理学のすすめ』(中公新書\600)をちょっとだけ紹介したことがあります。『経済倫理学のすすめ』も『正義と嫉妬の経済学』も難しいタイトルがついているため、難しい本のように思えるかも知れませんが、たいへん面白い本です。(あえて難しいタイトルをつけるのが、竹内さんの好みのようです。)この2冊の本は、どちらも、人間の感情(正義とか嫉妬とか倫理とか)を勘定(お金の問題=経済学)と結びつけて論じたものです。
 政府税調の答申が出されて、所得税減税やら、消費税の税率アップやらの話題がマスコミをにぎわせていますが、『正義と嫉妬の経済学』では「税金の経済倫理学」という章に、こんな面白い記述があります。「サラリーマンの重税感という『神話』がある。この神話によれば、サラリーマンだけはその給与所得を確実に捕捉され、給料をもらう前に税金を天引きされてしまう、これに反して自営業者や農家は・・・・というわけである。/ここに大いなる錯覚がある。給料から所得税を源泉徴収されているということになっているサラリーマンは、よく考えてみると、実は税金を納めていない階層なのである。源泉徴収分はたしかにその人の所得税ということになっている。しかし給料の明細書という書類の上でしか見たことのない、自分の財布にも銀行口座にも一度も入ったことのない、この見かけの税金分は、サラリーマンが稼ぎだした所得の一部というよりも、企業がその従業員の雇用と賃金支払いに見合って課せられている『雇用税』とでもいうべきものではないか。」(ウーン、納得!!!)この他にも、「教育の経済倫理学」の章もあり、アッと驚くような指摘がたくさんなされています。
 わりとやさしいタイトルがつけられた最新刊『迷信の見えざる手』でも、こうした「経済倫理学」的な見方で最近の社会現象が分析されています。この本では、上述のサラリーマンの重税感のような「神話」を、「迷信」と呼び代えて、種々の迷信が経済倫理学の立場から訂正されているわけで、『人間この信じやすきもの』の経済学版といった感じです。(ウッ、また宣伝してしまった。)
 この『迷信の見えざる手』にも、教育に関する章があり、「いじめ」についての分析がなされています。その要点は、「いじめは『閉鎖集団』で起こる。軍隊、刑務所、そして学校が現代の代表的な『閉鎖集団』である。学校でいじめをなくすには、行きたい学校を自由に選んで行けるように、学校の民営化、自由化を実現するほかない。」というものです。教育関係者の書く「いじめ」論にはないスパットした切り口で、ナルホドと感心させられました。
 「全体としては、読んで楽しめる『消費用の情報』であると同時に、微量の毒も調合してあり、漢方薬的な効果、つまり長い目でみれば精神の健康を増進するという効果もねらっている。」と前書きに書かれているとおり、政治改革・死刑廃止・宗教・戦争・反戦論など難しそうな話題を、わかりやすく面白く論じています。ぜひ、ご覧下さい。 (守 一雄)

【これは絶対面白い】

竹内靖雄『経済倫理学のすすめ』

中公新書\600(1989年12月初版)

竹内靖雄『正義と嫉妬の経済学』

講談社\1,800(1992年9月刊)

竹内靖雄『迷信の見えざる手』

講談社\1,800(1993年9月刊)


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