第5巻第2号   (プリンタが新しくなりました)    1991/11/1
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DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(PDC00137, dmori@c1shin.cs.shinshu-u.ac.jp)



 「A:こんところ、えろーさむーおまんな。B:そらそーでっせ、もう11月やない。A:ほんま11月なんやの、そーいやまだM教官のDOHCの掲示10月分のままやんけ。せんせも忙しんかいの。B:そーなんちゃいまっか?」という会話が聞かれます。
と11月7日の「受講者の声」ノートに書かれてしまいました。発行が遅れたことお詫び申し上げます。
  第2巻第6号(1989/3/1)竹内久美子『浮気人類進化論』晶文社\1200、第4巻第3号(1990/12/1)竹内久美子『男と女の進化論』新潮社1250円に続く3冊目の「進化論」の本の紹介ですが、今度は竹内久美子さんの本ではありません。もっとも、竹内久美子さんの『そんなバカな!』(文芸春秋社\1300)もオススメしておきます。

【これは絶対面白い】

中原英臣・佐川峻『ウイルス進化論』

泰流社(\1,800+税)


 「進化はウイルス感染によって起こる伝染病である」というのが「ウイルス進化論」のエッセンスである。進化が起こるためには、生物の基である遺伝子に変化が起こらなければならないが、ダーウィンの進化論を発展させた「総合説」では「突然変異」によって遺伝子の変化が起こると考えてきた。しかし、「突然変異」による遺伝子の変化は「デタラメ」に起こるものであり、いくら何十億年という長い年月をかけても本当に意味のある変化が生み出されうるのかという疑問が常に提示されてきた。
 バイオテクノロジーの本質は「遺伝子操作」である。遺伝子操作の技術によって、人間はまったく新しい生物を作り出すことができる。その際、遺伝子の操作に使われるのは「ベクター」と呼ばれる遺伝子の運び屋である。ベクターには、プラスミドやバクテリオファージなどが使われるが、これらは結局ウイルスの仲間である。(この辺の話は立花・利根川『精神と物質』を読んだ君には良く分かるよネ。)人間の病気の基となる「悪い奴」は「ウイルス」と呼ばれ、そうでないものは「プラスミド」などと呼ばれると考えれば良い。つまり、ウイルスは「遺伝子の運び屋」なのである。そして、ウイルスが遺伝子を運ぶのだとすれば、ウイルスによって生物の遺伝子が変えられる可能性があるということだ。
 ところで、ネオ・ダーウィニスムとも呼ばれる「総合説」のもう一つの柱は「自然淘汰」である。ダーウィンはこの「自然淘汰」のアイデアを家畜の「人為淘汰」から思いついたと言われている。同じように、「人為遺伝子操作」と同じことが自然界においてもウイルスによって行われている(「自然遺伝子操作」)と考えれば、それがまさに「ウイルス進化論」となる。
  実はこのアイデアは、『ウイルス進化論』が出版される前に、小松左京『はみだし生物学』(新潮文庫\360)にも述べられている。そして、実はこの『はみだし生物学』こそ絶対のオススメなのである。しかし、鳴呼!!この本は「品切れ」で手に入らないのだ。諸君、新潮社(03-3266-5111)に『FOCUS』の廃刊と『はみだし生物学』の復刊を求めるファックスをどんどん送りつけようではないか。 (守 一雄)
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