第3巻第11号                    1990/8/1
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DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY


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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

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 暑中お見舞い申し上げます。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。暑い。  残暑お見舞い申し上げます。      (守 一雄)

【これは絶対面白い】  

D.R.グリフィン『動物は何を考えているか』 

(渡辺政隆訳) 

どうぶつ社 \3,090  


 この暑さの中、木陰でただじっとうずくまる犬を見ていると、犬は毛皮を着て、汗腺もなく、さぞかし暑いだろうなあと思う。しかし、「犬が暑いと思っている」と考えることは、厳密な科学的思考では排除されてきた。意識的な思考をしているのは我々人間だけであって、ペットのや犬や猫がどんなに「意識的に見える」行動をとろうとも、動物に意識があると考えることはタブーとされてきた。
 行動主義心理学が人間や実験動物について、意識の存在を否定し、もっぱら行動の機械的なメカニズムだけに関心を払ってきたことは知っていたが、著者のグリフィンによれば、行動生態学者やその他の生物科学者たちも、動物に対しては意識の存在を否定しており、「広義の行動主義者」であるという。さらに、意識の存在に興味を感じているナチュラリストたちでさえ、「意識」「思考」「感情」などの用語をできるだけ避けて、機械論的な説明が可能であるところでは努めてそちらを用いるという「意味論的行動主義」も根強く残っている。
 こうした行動主義の拘束着を脱ぎ捨てて、動物にも意識があるという可能性をもっと真剣に考え直してみようというのが、グリフィンの主張である。動物に意識があるという確証がないことは事実だが、それは意識がないということの証明ではない。少なくとも、頭から意識の存在を否定してかかるのは止めようというわけである。人間の場合でも、自分以外の他者に意識があることを厳密に証明することはできない。いわゆる「独我論」である。しかし、一部のひねくれ者哲学者を除けば、人々は独我論を信じていない。その一方で、人間だけに意識を認める「独種論」は、こんなにも広くはびこっているのである。
  哺乳動物だけでなく、昆虫にまで意識の存在を考えたくなるような、たくさんの研究例が紹介され、動物行動学の本としても面白い。                             (守 一雄)
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html化1996.5.18