DOHC1311

第27巻第2号                2013/11/1
XXVII-XXVII-XXVII-XXVII-XXVII-XXVII-XXVII-XXVII-XXVII-XXVII-XXVII

DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]
(kaz-mori[at-mark]cc.tuat.ac.jp)
http://www.avis.ne.jp/~uriuri/kaz/dohc/dohchp-j.html


(c)講談社
 

【これは絶対面白い】

W.ブロック/橘玲『不道徳な経済学』

擁護できないものを擁護する 講談社+α文庫(¥880)

 副題になっている「擁護できないものを擁護する(Defending The Undefendable)」というウォルター・ブロックの原書の翻訳ということになっているが、「訳者あとがき」で橘氏が述べているように「意訳」「超訳」である。「原文を逐語的に日本語に移し変えるのではなく、私がこの本を読んでいたときのように、適宜、日本の現状にあてはめて訳し直している」のだという。だから、翻訳調だったりする部分は皆無で、とても読みやすい。さらには、原著は1976年にアメリカで出版されたものであるが、この本では現代日本の「2ちゃんねらー」や「ホリエモン」が語られている。もちろん、副題にあるように「2ちゃんねらー」や「ホリエモン」を擁護する論が展開されていて、なるほどと説得されてしまうのだ。

 たとえば「2ちゃんねらー」の章では、インターネットの匿名掲示板に他人を誹謗中傷するような書き込みをすることを熱烈に擁護している。言論の自由は何より尊重されるべきものであり、言論の自由を守るためには、こうした卑劣な言論の自由も守らねばならないからだ。そして、「ホリエモン」の章で擁護されるのは「お金を儲けること」である。金儲け、特に額に汗して働くことなく「株転がし」で大金を稼いだり、金の力を使ってさらに貧しいものから搾取したり、他人の無知につけ込んで卑劣な手段で金を巻き上げたりすることは、悪いことだと考えられている。しかし、この本ではこうした「金儲け」も徹底的に擁護するのだ。その他にも、到底「擁護できない」と思われる「売春婦」「麻薬密売人」「ニセ札づくり」「ブラック企業経営者(ここは守が現代風に超訳)」さらには「満員の映画館で“火事だ!”叫ぶ奴」までを擁護し、彼らを「ヒーロー」と讃えるのである。

 こうした論の基盤とされる立場は、「リバタリアニズム(Libertarianism)」と呼ばれる。英語で自由を意味するリバティー(Liberty)から派生した言葉なので「自由主義」と訳すべきところであるが、あいにく「自由主義」は既に「リベラリズム(Liberalism)」の訳語として使われてしまっている。しかも困ったことに、政治における「リベラリズム」は自由であることを最優先にするのではなく、むしろ「自由を制限する」立場なのである。規制緩和をして自由にやらせるのではなく、弱肉強食による格差が生じないよう強者を抑え弱者を助けるのが政治的には「リベラル」とされる。(実は、私も以前から「自由民主党」より「(旧)社会党」の方がなぜリベラルだとされるのか不思議に思っていたのだが、この本を読んで初めて納得がいった。)

 そこで、本来の意味での「自由主義」を意味する言葉として作られたのが「リバタリアニズム」なのである。リバタリアン(リバタリアニズム信奉者)は国家の市場への介入を認めず、すべてを徹底的に自由にすべきであると主張する。そこで、「自由至上主義」や「自由原理主義」という訳語が使われることもある。人にとって一番重要なものは自由であるというわけである。すべてを自由にすれば「見えざる神の手」がすべての人を幸福にしてくれる。そう、リバタリアニズムはアダム・スミスの『国富論』を経済以外のすべてに拡張したものでもある。

 そうはいっても、皆が勝手に自由を主張しあったらうまく行かないのではないかと思うのだが、この本を読むと、そうした心配はほとんどの場合、中途半端に自由を制限しているために生じていることがわかる。リバタリアンは自由原理を徹底することでそうした問題が解消することを見事に説明してみせる。「売春婦」も「麻薬密売人」も非難されるのは売春や麻薬が規制されているからであって、性や麻薬の売買を自由に行なえることにすれば、何も非難されることにはならない。自由原理を突き詰めて考えると世の中の見方が変わる。リバタリアニズムの魅力はこの徹底することの清々しさにあると思う。うーん、面白い。(守 一雄)

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