第20巻第10号               2007/7/7
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DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(kaz-mori[at-mark]cc.tuat.ac.jp)

http://www.avis.ne.jp/~uriuri/kaz/dohc/dohchp-j.html

  
(c)講談社
 

【これは絶対面白い】

福岡伸一『生物と無生物のあいだ』

講談社現代新書(¥777)


 特別に用意されたのであろう「腰巻」には、書名よりも大きな文字で「生命とは何か?」と書かれている。生物と無生物との本質的な違いである「生命」とはいったい何なのかが書かれているのだろうと思って読み始めると、見事に期待を裏切られる。

 もちろん、「いい意味で」である。分子生物学の最先端をわかりやすく解説した本というよりは、生命の不思議を探る知的冒険の旅行記か、未知の犯人を巧妙な捜査で追いつめる刑事ミステリーか、少なくとも理系の本というよりは文系の味わいある本なのである。それでいて、読んでいくうちに分子生物学の最先端の一部がすんなりと理解できてしまう。

 思えば、著者の福岡氏に「裏切られた」のはこれが初めてではなかった。以前に読んだ、『もう牛を食べても安心か』(文春新書)も『プリオン説はほんとうか?』(講談社ブルーバックス)も、タイトルに引かれて読み始めたのだが、タイトルへの直接の答えよりも、その過程で示される分子生物学の研究手法の面白さ、そして何よりも生命現象の不思議さの方へぐいぐいと引っ張っていかれたのだった。

 今回の本もそうであった。「目次」を見れば、第1章「ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク」第2章「アンサング・ヒーロー」第3章「フォー・レター・ワード」第4章「シャルガフのパズル」第5章「サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ」と、まるで先月までハマっていた垣根涼介の痛快アクション小説の続きのようである。実際、この本も摩天楼がそびえるニューヨーク・マンハッタン島を周遊する観光船サークルラインの旅から始まるのだ。科学書から想像する味気ない文章とは対称的な、上質な小説の始まりのようである。

 語り口に引き込まれるようについていくと、小さな謎が提示される。あなたが科学者だったら、それをどう解決するかと問われるのである。福岡氏は、その謎を解明するために活躍した科学者をひとりずつ紹介しながら、その謎がいかに解かれたかの種明かしをしていく。そして、そこで紹介される人物像が、とびっきり魅力的なのである。福岡氏の描き方も上手なのだろうが、おそらくそれ以上に科学の最前線で活躍する人物そのものが、常人にない魅力を持っているのだろう。

 物語(そう、もうこれは科学書ではなく、物語である)は、小さな謎をひとつずつ解き明かしながら、生命の本質とは何かという大きな謎へ進んでいく。そして、本書のほぼ真ん中を過ぎたあたりで、その答えが示される。(ここではミステリー紹介の常道に従って答えは明かさない。)私たちの身体は分子レベルで見れば、すべてが常に入れ替わっている。1年前の私を作っていた分子はもう今の身体のどこにも存在していないのだという。

 後半は、生命現象に重要な働きをすると思われるタンパク質を見つけ出す福岡氏自身の研究の旅に同行することになる。福岡氏は、未知のタンパク質を見つけ出すことを、新種の“蝶”を採取することになぞらえている。その問いは、「物理化学的にはきわめて安定で不活性ですらある細胞膜が、生物学的にはなぜかくもダイナミックかつ高速に変化変形しうるのだろうか」というもので、そこには未知のタンパク質が働いているに違いないのだ。そのタンパク質を見つけ出し、それを構成する数百個のアミノ酸配列を見つけ出すことが“蝶”の採取に相当するのである。しかも、それをライバルたちよりも早くなしとげねばならない。科学の世界では最初の発見者だけが栄誉を得ることができる。二番手ではダメなのだ。

 福岡氏は幸い、このタンパク質を見つけ出すことに成功する。しかし、生命の神秘への探検は簡単には終わらない。最後には見事などんでん返しも用意されている。読み終えてからしばらく余韻を楽しむことができる本である。             (守 一雄)


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