第19巻第9号                         2006/6/1
XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX

DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX-XIX

毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)


 発行の遅れが常態化して、ついに6月も半ば近くになりました。なんとか発行のつじつま合わせの文章と本の紹介を書きます。

 今回は科研費と国連の類似点の話です。まずは、科研費の話。連休明けに例年通り、科研費の内定の発表がありました。既に、基盤Bと萌芽研究の2件で継続が内定していたのに加え、今年度さらに基盤C企画研究の申請が通り、同時に3件という今までにない大忙しの年になりました。しかも、新規に獲得した企画研究というのは、国際研究集会の企画のためのものであり、今年度中に国際研究集会を企画しなければなりません。

 以前に比べ、内定が出るのが早くなったとはいえ、5月初めに内定が出てから本格的に研究計画を立て、翌年の3月末までには研究を終えるという科研費のシステムにはかなり無理があります。それでも、3年4年と継続するものは最初の半年くらいが準備期間に取られたとしても、実質的な研究期間が十分確保されるので、なんとかなるのですが、1年の研究計画のものではそんな余裕はありません。時間的には一番適している夏休みに研究集会を企画したくても、準備が間に合わないわけです。結局、日本心理学会の大会が予定されている11月に併せて同じ会場で行うことにしました。

 半年先のこととはいえ、招待する外国人研究者にも予定がありますから、早めに招待の打診をしないと機会を逸する危険があります。研究費を出す方の論理で言えば、「そうした打診を済ませた上で申請をしているはずだ」ということになるのでしょうが、見通しもないまま「日本招待の空手形」を出すわけにはいきません。やはり、お金がもらえることが確定しないと、そう簡単に声をかけるわけにはいかないのです。

 それでも、電子メールのおかげでずいぶん楽になりました。2週間ほどで7人の招待者がほぼ確定し、会場も確保できたので、5月半ばにはこの国際研究集会にInternational Roundtable on Memory: IROM2006と名付け、ウェブページも開設しました。

 5月末には、継続して科研費をもらっている方の研究成果発表にAPS(Association for Psychological Science)に出かけることにもなっていて、大急ぎで発表の準備をしました。今年のAPSはニューヨークでした。例によって、ポスター発表にすぎませんが、ニュージーランドの共同研究者との発表もあり、2件のポスターの準備をしなければなりません。私はポスター発表の場合でも、発表内容を論文にまとめたものを会場で配れるよう準備しておくことを自分に課してきたので、論文の執筆もしないとなりません。(もっとも、今回はもう2年以上前に投稿しているものがあったので、それの配布用を30部ほど印刷・製本しただけでした。)

 ニューヨークでは、国連本部に行ってみるつもりでしたが、結局外から国連ビルを眺めただけでした。そして、やっとここで国連の話につながるのです。

 さて、科研費と国連との類似点は、科研で行った学会の会場がニューヨークだったというつまらないオチではありません。日本という国が科学の振興のために行っている科学研究費補助金の総額と、国連の年間予算総額とが共に約1,800億円しかないということです。かなりの金額のようですが、日本が米軍に払っているいわゆる「思いやり予算」約2,400億円より少ないのです。日本の国家予算の1/500にすぎません。(守 一雄)


 
(c)集英社

【これは絶対面白い】

河辺一郎
『日本の外交は国民に何を隠しているのか』

集英社新書¥693


 日本は国連の分担金をちゃんと払っている「優等生」だとばかり思っていたが、実はそうではなかった。分担金だけを過分に負担して、国連では何も力を持たない存在かと思ったが、それもそうではなかった。それどころか、国連なんてなんともちっぽけな存在にすぎないである。そしてそうした事実を国民も、マスメディアもどうやら政治家さえも知らないらしい。いったい、日本の外交はどうなっているのだろう。 (守 一雄)

DOHCメニュー