第17巻第6号              2004/3/1
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DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)


 
(c)柏書房

【これは絶対面白い】

島村英紀
『公認「地震予知」を疑う』

柏書房(\1,400)


 天気予報で「降水確率が20%」のとき雨が降ったら、それは予報が当たったことになるのか外れたことになるのか?統計学的に言えば「同じように『降水確率20%』だった場合が10回あったときに2回雨が降れば『当たり』、前後1回を含めて1から3回くらいまででも『まあ当たり』」というところだろう。だから「1回だけでは当たり外れの成否判定はできない」が正解となる。しかし、一般の人の感覚としては「予報は外れた」である。ところで、政府の地震調査研究推進本部は「琵琶湖西岸断層帯での地震発生確率は30年以内に0.09%から9%」という「地震予測」を発表している。さて、明日この地域に地震が起きたとしたら、この予測は当たったことになるのだろうか?

 世界で最も権威のある科学雑誌である『Nature』は、1999年に「地震予知は可能か」についてホームページ上で公開討論会を実施した。世界中から賛否両論が集まったが、7週間の壮烈な闘論の結論は「一般の人が期待するような地震予知はほとんど不可能であり、本気で科学として研究するには値しない」というものだった。「地震予知」なんてどだい無理な話なのである。

 しかし、日本では政府の下に「地震予知推進本部」があり、東海地震はいつ起きてもおかしくないと言われているではないか。そしてそのために、「大規模地震対策特別措置法」(大震法)が1978年に作られたのではなかったのか。・・・実は驚くことに「地震予知なんてできない」というのが世界の科学者の常識になっているのに、日本では「地震予知ができることを前提に『大震法』が作られてしまい、今度はその法律を前提に予算がどんどん注ぎ込まれる」といった、例の利権構造ができあがっていたのである。ここでも国民は騙されていたのだ。「大震法」成立以来のこの四半世紀で、2000億円近い予算が「地震予知」研究に充てられてきたのだという。そして、その「成果」が「30年以内に9%」という「地震予測」なのだ。

 著者の島村氏は北大の地震火山研究観測センター教授である。いわばこの本は「内部告発」に近いものである。ただ他の内部告発ものにあるようなドロドロした感じはなく、地震予知利権に関わる人々にもあまり悪意が感じられない。「大震法」ができる前の1960年から1970年代前半の頃には「地震予知」ができそうな「明るい見通し」があったのだ。そして、誰もがそれが可能になることを期待していた。科学者たちは「明るい見通し」を実現させるために研究費の獲得に走った。政治家やお役人は「地震予知が可能である」という希望的観測を前提に「大震法」を作った。しかし、皮肉なことに研究が進むことによって「地震予知」が不可能であることがわかってしまったのである。ところが、日本ではお役人はミスをしないことになっているから、今さら「地震予知はできそうもありません。『大震法』も廃止します。」とは言えないのである。・・・こうした裏話を知らされると、腹立たしいというよりもむしろ滑稽に思える。公認「地震予知」を笑う。

 「大震法」ができ「地震予知」のための多額の予算が注ぎ込まれて10年以上も経っていたのに、阪神淡路大震災(1995)はまったく予知できないまま起こってしまった。震災後の政府の対応は遅れが目立って批判されたが、そうした中で、国がいち早くとった対策は、「地震予知」関連の看板を「地震調査」に掛け替えることだったのだという。国民には知らされないまま「地震予知」推進本部は「地震調査」研究推進本部に名前を替えていたのだ。これもまた、いかにもお役人的で笑ってしまう話である。

 ところで、国が想定するような形で地震の前兆が検知され「警戒宣言」が出されるとするとどんなことになるのだろうか?本書では最後に「フィクション」として「地震防災対策観測強化地域判定会」委員の苦悩が描かれている。これも笑える。この本を読んでの私の結論。地震に怯えるより毎日を笑って生きよう。          (守 一雄)


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