第16巻第9号              2003/6/1
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DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)


 
(c)岩波書店

先月28日から31日にアトランタで開催されたAmerican Psychological Societyの年次総会に参加してきました。アメリカの国内学会は20年以上前にPsychonomic SocietyにMoeser先生に連れられて行って以来のことです。今回は発表もしましたが、なかなかの盛況で、Elizabeth Loftusもちゃんと聞きに来てくれて、話もできたので大成功でした。   (守 一雄)

【これは絶対面白い】

なだいなだ『神、この人間的なもの』

−宗教をめぐる精神科医の対話−

岩波新書(\780)


学生 先生は神とかの存在を信じてるんですか?

教授 いや、私は無神論者だ。神ではなく、科学を信じている。私が「熱烈に」信奉するドーキンスも無神論者だし、だいたい、まともな科学者は誰も宗教とか信じてないと思うぞ。もっとも、私もこの間の善光寺ご開帳の回向柱は触ってみたりしたけどね。

学生 でも、K先生はクリスチャンでしょ。だったらK先生と「神はいるのかいないのか」について、議論したりしないんですか?

教授 うん、欧米の有名な科学者の中にもキリスト教信者はたくさんいるわけだし、科学を信じる者が同時に宗教も信じられるってことがどうして可能なのか、K先生に一度じっくり聞いてみたいと思ったことはある。

学生 じゃ、ぜひ議論を戦わせてくださいよお。

教授 しかし、どうも宗教の話はしにくてね。結局のところ、信じるのも信じないのもその人の勝手だからね。好奇心を満たすためだけのために論争を挑む気にはなれないよ。

学生 それは残念だなあ。

教授 だったら、この本を読めばいい。なだいなださんの新刊だけど、この本では、無神論者である著者のなださんがカトリック信者の友人と神や宗教について語り合うという設定なんだ

学生 岩波新書なら大学生協にありそうだから、さっそく買って読んでみようっと。

○ ○ ○

学生 先生、この間の本、早速読んでみました。神だけじゃなくて、宗教がどう生まれてきたのかや、精神医学との関連も書かれていて、なんかスゴイ本だと思いました。

教授 そう、スゴイだろう。まえがきでも「誇大妄想」とか「自分をニーチェやフロイト並の天才と思い上がったか」とか言われるかもしれない、と述べつつ、「おれにはかれらには絶対持つことのできない有利な点がある」という自信ものぞかせていたりする。

学生 あとがきにも「遺書を書くつもりで書いた」みたいなことが書いてありましたね。

教授 うん、これだけの本が書ければ私も思い残すことがないと感じるだろうと思うよ。

学生 イエス・キリストは呪術医だったとか、宗教は集団精神療法だったとか、ビックリするようなことも書かれていましたが、よく読むとなるほどなと思いますね。ただ、よくわからないところもたくさんありましたけど・・・

教授 私だって、全部が全部、理解できたわけじゃない。それでも、私がこの本から得た最も重要なことは、「信じる」ってことが、神だとか宗教だとかだけでなく、精神医療や心理学など人間の心に関わるすべてのことがらのキー概念だということだな。人は誰も、何かを信じないと生きていけない。無神論者の私だって、科学教やドーキンス教の信者なわけだし・・・

学生 そもそも、人はみんな「信じたい」という強い欲求があるから何かを信じずにはいられないんですね。

教授 そう、何を信じるかはどうでもいいことなんだ。要は何でもいいから信じていればよい。まさに、「信じる者は救われる」というとおりなんだな。

学生 それにしてもなださんだけでなく、この対談の相手もなかなかの人ですね。この対談の相手はいったい誰なんでしょうね?

教授 対談の相手ももちろんなださんさ。なださんの本はみんな著者と架空の対談相手との対話形式になっている。実は、君だって、架空の存在なんだぜ。

学生 ガーン!ボ、ボクも架空の存在だったのか。

(守 一雄)


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