第16巻第6号              2003/3/1
XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI

DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI-XVI

毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)


 
(c)筑摩書房

【これは絶対面白い】

平野拓也『官僚は失敗に気づかない』

ちくま新書(\700)


 北朝鮮を見ていると戦前の日本を外の世界の人々がどう見ていたのかがよくわかる。国民の誰もが信奉する神がかった指導者がいて、徹底した思想教育がなされている一方で世界からの情報から隔絶されているためにその指導者の間違いに国民が気づかない。耐乏生活を強いられている国民は不幸ではあるが、「欲しがりません勝つまでは・・・」と精神的には高揚しているようでもある。いくら指導者が強がりを言っても、国力の差は歴然としていて戦争に勝てるはずもない。しかし、「窮鼠猫を噛む」ような行動に打って出る可能性も捨てきれない。

 かつての日本軍がアメリカ本土に攻め込むことまではできなかったように、北朝鮮もアメリカを直接攻撃することはできないだろう。しかし、「アメリカの51州目」的な存在の日本に「奇襲」をかければ、それなりの戦果は上がるだろうし、北朝鮮国民の志気も高まるだろう。総合力では勝っても、実戦経験のほとんどない自衛隊は一時的には苦戦するかもしれない。同盟国のアメリカも日本国内での戦いに応援部隊をすぐには派遣してはこないだろう。それでも、ひとたび反撃が開始されれば、北朝鮮はひとたまりもなく叩きつぶされるにちがいない。これもまた、かつての日本軍と同じことだ。北の指導者はこうした歴史から何も学んでいないのだろうか?

 と、こんなことを他人事のように考えてきたが、この本を読んで、日本も「かつての過ちからちっとも学んでいない」ことに気づかされた。戦争に負けた軍国主義日本は何よりも「民主主義の重要さ」を学んだはずであった。不毛な戦争に日本を導いた軍部主導の政治をすっかり改め、「文民統制の民主的な国家運営」をするようになった。と、思いこんでいた。しかし、「軍=戦争=悪」「民主主義=平和=善」という単純な言葉の結びつきを覚え込まされていただけで、「軍部主導の政治」の何が問題であったのかや、民主主義政治とは何なのかをしっかりと理解していたわけではなかった。本質を理解しないまま、言葉だけで理解したつもりになっているのでは、北朝鮮の人民と同じことではないか。

 この本には、「戦前の軍閥政治と現代の官僚主導政治とがまったく同じ図式であること」が指摘されている。その意味が即座にはわからなかったが、要は「どちらも民主主義ではない」ということなのだ。なぜなら、軍の指導者たちも官僚たちも私たち国民が選挙で選んだわけはないからだ。そして、かつての日本人も今の日本人も「民主的に選ばれたわけではない一部の人々」に国の運営を任せてしまっているのである。「日本の国を動かしているのは官僚であること」は公然と語られてきたし、「戦後の日本の復興と反映はそうした官僚が優秀であったからだ」とも言われてきた。しかし、「それは民主主義ではない」ということは、言われるまで気づかなかった。「結果オーライ」で官僚主導を容認してきたのだとすれば、日清・日露に勝利してきた軍主導の政治を結果オーライで許してきたこととなんら変わりはないのである。

 軍主導の政治が悪いのは戦争をしたからではない。国や国民の利益よりも軍という組織の利益を優先してしまうシステムそのものに問題があったのだ。無謀な戦争に突き進んだのはその結果にすぎない。官僚組織は軍とは違って戦争をしないかもしれないが、国民の利益よりも組織の利益を優先するというシステムに変わりはない。薬害エイズも狂牛病無策も金融不安も、組織の利益を優先させた官僚が引き起こしたことなのである。そして彼らは国民に対して責任取らない。なぜなら国民は彼らをコントロールできない仕組みになっているからである。

 もちろん、建前としては、官僚のトップである事務次官の人事権は大臣にあり、その大臣の人事権は総理大臣にある。政治家は選挙で選ばれるのだから、官僚も間接的には私たち国民が選んでいるとも言える。しかし、実態はそうではない。二十歳そこそこの時点で国家公務員1種試験に合格した一握りのエリートが、「試験に合格した」というだけで国を動かす人間になるのである。もちろん彼らはとびっきり優秀な人たちであるにちがいない。同期採用の中での競争にも勝ち抜かなくてはならない。しかし、だからといって彼らが国を動かすのに最も適した人であるという保証はない。なによりも、そんなやり方でリーダーを決めるのは民主主義ではない。日本はまだ民主主義の国ではなかったのだ。       (守 一雄)


DOHCメニュー