第15巻第10号              2002/7/1
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DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY

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毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]

(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)

 1998年に発行されたV.S.Ramachandran & Sandra Blakeslee"Phantoms in the Brain: Probing the Misteries of the Human Mind"の全訳ですが、ケストラーの『機械の中の幽霊』(ぺりかん社、日高・長野訳、1969)やコズリンの『心の機械の中の幽霊』(1983:未訳)とごっちゃになって、なんとなく読んだつもりでいました。ふと気づいて遅ればせながら読んでみたら、これはこれはおもしろいです。こんなおもしろい本の紹介が発刊から3年も遅れてしまったこと深くお詫び申し上げます。         (守 一雄)

 
(c)角川書店


【これは絶対面白い】

ラマチャンドラン/ブレイクスリー

『脳のなかの幽霊』

角川書店\2,000


 この本が特におもしろいのは、脳科学の最先端を高度な研究機器を使わずに、身近な器具を使って明らかにしてくれているからである。たとえば、著者のラマチャンドランを有名にした研究に「幻肢」と呼ばれる現象の解明と治療がある。幻肢というのは、切断してないはずの腕や足があるように感じられることである。昔から、戦争などで外傷を負った兵士が四肢を切断する手術を受けることがあったが、そうした患者の中に、四肢を失ってからもそれがあるように感じ、ときには、ないはずの腕や足の痛みに悩むということさえあるのだという。これは四肢が切断された後にも、それらに対応する脳の部位になんらかの活動が起こっているからである。手足があったときには、そうした部位と手足の感覚とがバランスを保っていたのだが、手足がないままに脳だけが活動をしてしまうと、そのコントロールが効かなくなってしまうらしい。

 ラマチャンドラン博士の考え出した幻肢の治療方法は、鏡を使って脳を騙してしまうというものである。右手がないのに「右手を強く握りすぎて指の爪が食い込んで痛くてたまらない」という幻肢に悩んでいる患者に、鏡を真ん中に立てた箱の中に現存する左手を入れさせる。するとこの患者には、左手が鏡に映って、あたかも右手もあるように見える。患者にその「両手」を見ながら、「両手」をゆっくり握ったり開いたりするように指示をすると、あら不思議、患者の脳は見かけの「右手」の動きをかつての右手に対応する脳の部位と結びつけてしまうのだ。そして、「幻肢の痛み」が治療できてしまうのだという。

 にわかには信じられない話だが、そうした「幻肢」の体験ができない私たちでも味わえるようなおもしろいトリックを著者は用意してくれている。この体験のためには助手が2人必要である。(ここではケンタとジロウと呼ぶことにする。)椅子に座って目隠しをし、ケンタに頼んで前の椅子に向かい合わせに座ってもらう。ジロウには、あなたの右側に立ってもらい、次のように指示する。「私の右手をとって、人さし指をケンタの鼻にあててください。私の手をリズミカルに動かして、人さし指がケンタの鼻を、モールス信号のように長短をつけて不規則にたたくようにしてください。それと同時に、あなたの左手で私の鼻を、同じリズムとタイミングでたたいてください。私の鼻とケンタの鼻がまったく同時にたたかれるようにしてください。」

 本によれば、こうすることで、30秒から40秒後に「手をのばして自分の鼻に触っているような、あるいは自分の鼻が顔から数十センチものびているような、不思議な錯覚を感じる」という。なぜこんなことが起こるのか?著者の説明は次の通りである。「鼻の感覚と右手の人さし指の感覚は同一だ。なぜ同一なのだろう。偶然である見込みはまったくないから、私の指が私の鼻をたたいているにちがいないというのが、いちばん可能性の高い説明だ。しかし、私の手は顔から数十センチのところにある。したがって私の鼻も数十センチ先にあるにちがいない。」脳はそう解釈して勝手に自分の鼻を伸ばしてしまうのだ。(本によれば、この不思議な感覚を体験できるは被験者の半数程度だという。実は、ウチでやってみたところ、ケンタもジロウも体験できたのに私はダメだった。残念。)

 この他、自分の身体を自分とは認めない患者とか、親などのごく親しい人を「似てはいるが別人だ」と思いこむカプグラ・シンドロームとか、脳の損傷に伴う興味深い症例が鋭い洞察とともに紹介されている。結局のところ、私たちは「自分の脳が解釈した世界」に生きているわけだが、この本を読むと脳がいとも簡単に騙されることがわかり、自分が「ほとんど錯覚の世界に生きている」んじゃないかと思えてくる。   (守 一雄)


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