モアイの黒い瞳

― イースター島の黒曜石 ―

1999年12月13日 堤  隆 

 太平洋にぽっかりと絶海の孤島、イースター島。この謎の島にも石器の材料となる黒曜石が豊富に産出する。島のあちこちでは、赤い火砕流土壌に混じって黒々とした黒曜石が顔をのぞかせている。島の石垣などにも頭大の黒曜石をみかけることがある(写真赤丸)。
 この島の黒曜石は、日本の縄文時代の石匙にも似たマタアと呼ばれる石器の材料となっている。マタアはヤリ先として用いられたり、ヒモで吊るしてナイフのように用いられたものと考えられる。
 黒曜石は、こうした石器に用いられていたばかりではなく、モアイ像の瞳にも埋め込まれていた。モアイ像は、輝く黒い瞳をもってどんな歴史を見つづけてきたのだろう。

すと〜ん・エッセイ バックナンバー 2
 2000年1月11日

霧ケ峰の黒曜
石と焼町土器

 1990年夏、浅間山麓の川原田遺跡から縄文時代中期、今から4500年前のムラが発掘された。そのムラには、通算で47軒の竪穴住居が存在していた。
 住居跡からは、美しく透き通った石鏃がたくさん発掘された。産地分析の結果その石鏃は、霧ケ峰の黒曜石で出来ていることがわかった。
 黒曜石の石鏃とともに発掘されたのは、メガネ状の突起、渦巻き、点などでダイナミックに装飾された「焼町土器」(やけまちどき)と呼ばれる土器であった。
 川原田遺跡の出土品は、縄文時代工芸の到達点を示す逸品として、99年6月、焼町土器・石器類を含む146点が国の重要文化財に指定された。
 同時に国宝に指定されたのは、越後は十日町笹山遺跡の火焔土器である。
 火焔土器が白い肌をみせる越後美人なら、焼町土器は山国信州人のような野太さをみせる土器といえる。
 指定を記念して長野県立歴史館で特別公開がなされています。ぜひご覧頂ください。.


すと〜ん・エッセイ バックナンバー 3
 2000年2月1日

黒い石器アトリエ −長野県八風山遺跡群−

 長野県と群馬県の県境、観光地軽井沢の南には、八風山がそびえる。
 ここ八風山は、石器の良好な素材となる「ガラス質黒色安山岩」の産地である。
 その安山岩の露頭は発見されていないが、眼下の香坂川には巨大な原石を数多くみることができる。
 黒々としたこの原石を使った「石槍の製作アトリエ」として著名なのは、下茂内遺跡である。この遺跡では、16000年前とされる「世界最古の土器?」も発見されている。
 下茂内に隣接する「八風山遺跡群」は、90年代、佐久市教育委員会須藤隆司氏の手によって発掘された。このうち八風山T遺跡からも「石槍の製作アトリエ」が見つかった。1万数千年前の石器工房である。
 石槍製作の膨大な石クズが出土したものの、完成した石槍はほとんどなかった。消費地遺跡に搬出されたものと考えられる。
 また八風山U遺跡では、約30000年前、AT下位のきわめて充実した石器群も発見されており、基部加工のナイフ形石器局部磨製石刃なども出土している。
 この12月、700頁におよぶ詳細なその報告が完成した。
 原産地遺跡群の謎にせまる報告書をぜひご覧頂きたい。


八風山U遺跡のナイフ形石器など
(AT下位)

八風山U遺跡の出土状況

すと〜ん・エッセイ バックナンバー 4
 2000年2月12日


− 姫島の黒曜石露頭 −


 大分県国東半島、伊美港からフェリーで25分、人口三千人の姫島へとつく。
 この島の観音崎には、高さ40b幅140bの巨大黒曜石露頭が存在する。
 この露頭が、日本最大の黒曜石露頭である。北海道白滝の8号沢露頭もこの大きさにはかなわない。大きさの順位は、@姫島観音崎露頭、A八ケ岳冷山露頭、B白滝の8号沢露頭となる。
 しかし、姫島の黒曜石は、不思議なことに旧石器時代にはほとんど使われていない。
 なぜだろうか。
 おそらく、姫島の露頭は、旧石器時代にはその姿をあまり表していなかったせいなのかもしれない。完新世になって、瀬戸内に海水が本格的に流入してから、波に洗い出されて本格的に開発された露頭ではないだろうか。

 
姫島黒曜石が、本格的に利用されるようになるのは、縄文早期以降のことである

 すと〜ん・エッセイ バックナンバー 5
 2000年2月11日

− 黒曜石か 黒耀石か −

堤  隆


☆ 曜か耀か
 黒石か黒耀石かがチョットした論争になっている。
 日曜日のじゃさえないし、確かに耀くという用字のほうが雰囲気がとてもいい。
 学史的な用語法としてはどうなのか。
 
☆ 曜派
 黒曜石という言葉が初めてみえるのは、江戸時代後期、木内石亭が著した『雲根誌』が最初である。そこでは、黒石となっていて、曜日の曜が用いられている。
 明治11年、西欧の岩石学を初めて日本の学問として導入した東大助教授和田維四郎は、Obsidianの訳語を黒石とした。これは、石亭以来の黒石の用字を、もっともふさわしいものとしてあてたと考えられる。
 明治時代の神保小虎・坪井正五郎・大正時代の鳥居龍蔵もすべて派である。
 ただ、曜が常用漢字という理由で、曜を強行する雰囲気もあるが、それは文部省的で好ましくはない。
 
☆ 耀派
 黒耀石という用字がみられるのは、おもに太平洋戦争後のことで、藤森栄一あたりが最初に用いている。藤森らしい雰囲気のある用字である。戸沢充則・森嶋稔ら旧石器考古学者も耀派だ。長野県および明治大学は、耀派優勢である。

☆ 文字の意味

 広漢和辞典をひくと、曜、耀ともに「かがやく」という意味を持つ漢字であることがわかる。したがって、用字的にはどちらでもいいことになる。

 さらに調べると、曜には太陽の光にかがやく、耀くは火の光にかがやく、という意味がある。

 
☆ 結論

 学史的には、石亭・和田維四郎の用字からすると、黒石の用字がよさそうだ。
 しかし、「縄文」か「縄紋」かのように,
, 個人の好みや主義に帰する問題なのかもしれない。
 ちなみに私は、派である。

 

 

すと〜ん・エッセイ バックナンバー 6
 2000年4月2日

− 川原田くん −

堤  隆


4500歳の縄文坊や 
川原田くん

 国重要文化財の川原田くんは、10年前の1990年長野県御代田町の浅間山麓で4500年の眠りから覚めた。


 縄文坊やとしたものの、女性である可能性も高い。
 中部高地の縄文中期を代表する縄文フェイスである。

名付け親はデザイナーの
       森田雅美さん

すと〜ん・エッセイ バックナンバー 7
 2000年5月25日

− ジェーン・グドール −

堤  隆


 ジェーン・グドール

ジェーン・グドールは、アフリカ・ゴンベの森で、
チンパンジーが道具を使用しているのを目撃した。
ヒト以外の動物が道具を使う最初の発見となった。
Good all とはまさに幸運そうな名前である。

写真中のサインは、1998年グドールさんが来日した際に堤がもらったもの