風景の哲学

環境デザインの(株)トレビ&景観施工の(有)泉園 代表取締役塚原吉政

風景は誰のもの?空気は誰のもの? 2003年02月03日  
                                       塚原吉政

私はこの道に入り生意気盛りのころです。若い仲間と共に京都の庭園見学に行き、

大徳寺大仙院や竜安寺、、、、と見学して歩いていましたました。

日本庭園文化は宗教と共に発展しました。その多くは塀などで俗界から隔離して、いましめであるとか、

教えであるとか、縁起であるとか、、、と表現されたのでしょう。

私はいつも仲間と違う接点を見つめていました。それは建物のや塀との接点でありったり、

町屋の玄関前の石敷きやアプローチであったり、小道の石垣の間の苔であったり、不思議に誘惑されるのが、

この奥を覗いてみたい、行ってみたいと引き付ける魅力でした。

 あるとき、すさまじい感動にあふれました。 それは塀を一メートルほどバックさせて築いてあるのです。

塀と道路との間には庭木が植えられ、下木や下草そして庭石・白砂まで敷かれているのです。

塀の外の庭、道路のための庭! ここから私の庭の観念が変わりました。

 庭園は塀に囲まれ、屋敷から眺めることが基本とされてきました。違いますね〜!

 こ私の表現しようとする庭は、塀の外から見て素敵な庭を考える!そんな考えが大切ではなかろうか!

 こうして道路から見える素敵さをどう表現するか、、、、、

そんな考えを第一に意識する仕事を手がけるようになりました。

 気が付いたとき、これは風景を作るという、神業に挑戦しているんだというおこがましい気持ちに身震いしました。

 

自然の風景 : 自然の風景に醜さはありません。時には厳しさが痛々しく見えることはあるでしょう。

途方もなく長い時の流れが、あるいは一瞬の風がすばらしい風景を作ります。   

 

人が作る景 : 近代の私たちの作る多くも物は粗大遺物となります。次代に受け継がれ、

風になじんではじめて風景となっていくのでしょう。

 

地域の風景を大切に 次代に通じる風景を作りたいと思うのです。

  道路から見えるもの もはや個人のものだから、どうでも良いんだと言えないという時代です。

家から出て、外で自己主張できるのは、

自分が身につけるファッションとマイカー以外にはないのではないかと私は思うんです。

 道路から見えるもの、たとえ自分の家であれ、自分の庭であれ、

それは地域の風景に溶け込むものでなければならないのだと私は思うのです。

 そしてすてきな緑環境などの景観が隣の家、そのまた隣の家と繋がっていったら、

一つ、ひとつの素敵なものが結ばれ、「線に」なります。それは「通りそのものが風景」になっていったのです。

そして線から面へとすすみ、町中が素敵な公園化していくのだと思うのです。

 道路から見えるものは個人のものではない! 道を行きかう人皆のものだ! 

そんなことを考え、自分に出来ることからやってみたらいかがなものでしょう。

 

空気は誰のもの?

 

 現在地球の空気のやく20.99%が酸素(O2)でやく0.03%が二酸化炭素(CO2)です。

私たちが当たり前に呼吸している空気! この空気は地球が誕生して、

生物が生まれる前の大気はやく30倍の気圧があったようです。

そして二酸化炭素(CO2)の量が95%もあったようです。

この不思議な空気の成分に変化はどうして起きたのでしょう?

 

 それは、植物が作ったのだと言われています。植物の」体の47%は炭素(C)と聞きました。

植物は光合成により空気中の二酸化炭素(CO2)を吸入し、酸素(O2)を放出します。

炭素(C)を植物体に固定します。そしてその植物を栄養とする微生物やプランクトン! 

それらが、枯れ、死ねばくちけて自然に分解し大気に二酸化炭素(CO2)として戻ります。

 しかし長い、長いときの流れの中で、大気に戻れず、地中に化石化して埋もれていった物が

「石炭」や「石灰岩」そして「石油」として地中に蓄えられたようです。その結果地球の空気に酸素が残り、

この酸素を吸う生物が出現したようです。

40億年の地球の歴史の中で人間の歴史はたった100万年、

200万年と言った、地球的規模の中のほんの一瞬なのです。

 わが国の高度成長の時代から化石燃料異常な消費が始まりました。大気中の二酸化炭素の増大! 

そして地球の温暖化の促進。このことをどのように認識するか! 

それが21世紀に生きる人間の宿命なのでしょう。

 

 私の地域には、武田信玄の「砥石崩れ」で有名な「砥石米山城」があります。

ここは「黒い米」が出土することで有名で、米倉が燃えて「焼き米」が出土するのだと伝えられています。

毎年子供達が遠足で登り、たくさんの「焼き米」を拾って行きます。

子供達に拾われ「焼き米」が無くなってしまうんじゃないかと私は心配してます。

幾度も自分で米を焼いて「焼き米」を作ろうとするのですけれど! いつも失敗してしまいます。 

「トッカンしてしまったり、お餅のように溶けてしまったり、おこしのように固まってしまったり、

それは「焼き米」を作ることは至難でありました。

 ある日、筑波大学の先生の話を耳にしました。「砥石米山城の焼き米は、自然炭化ではなかろうか!」 

この言葉は「焼き米」伝説を覆すショッキングな話でした。しかし私は冷静に受け止めています。

 数年前古代遺跡から「黒い米」が出土し、

これが焼かれたものではなさそうだ? ってな話を聞いたことがありました。

なによりも「石炭」が自然炭化ではありませんか! 

私は2500万年前の海に堆積した地層をさんざ見てきました、その中には炭化した植物がたくさんあります。

深い海の底で炭化が進んだのでしょう。 話はちょっとずれるかも知れませんが!

 茸栽培のあとの残材を畑に置いといたら、タールの様なものが流れ出し!って聞いたことあります。

石油の原油はタール状だと聞きます。太平洋戦争中、飛行機の燃料を取るために、

上田市浦野の東宮には赤松に矢羽模様の刻みがいまだに残っています。

これって植物が自分の体に蓄えた炭素(C)にかかわることなのでしょう!

 

 私は庭木の剪定した枝を「ゴミ」として考えれば「一般廃棄物」です。

かまどやストーブで燃やせば燃料です。チップ化してパルプにすれば原料です。有機化すれば肥料といいますか、

バイオ資材です。炭化させて埴土に混ぜれば土壌改良材です。

地中に備蓄していけば未来のダイヤモンドになるのかもしれません。ダイヤモンドも「C」です。

環境デザインの(株)トレビ&景観施工の(有)泉園 代表取締役塚原吉政

21世紀での私たちの生き方 2000年8月30日


  21世紀は環境の時代と言われます。多自然環境の保護と整備、資源の再使用・リサイクル、

そして人間が作った物が不要になったとき、すぐに分解してしまう仕組みや・素材の開発が進むといわれます。

ゆたかな自然に恵まれた信州上田、恵みがあたりまえに感じ、山々の緑の恩恵に気付かない方が多いようです。

森林は酸素を安定化させ、大気の温度を程よく調整し、空気を浄化し、雨を程よく保水し、大地の生物を潤わせ

大地の流出を防ぎ、そして私たちの心を癒してくれるのです。長野県の森林の面積は78%と高いのですが

原始的な自然植生の度は割合は19.9%しかなく、全国平均よりも3%低いそうです。

ちなみに北海道の原始的な自然植生の度は61.7%、富山県は30.9%だそうです。

古代メソポタミアは豊な森林に覆われ、大河の潤いの中にあったそうです。

人間が都市に集まる事により、レンガを焼き、家畜が植物を根こそぎ食べてしまい。

そして文明が砂漠化をおこしてきたようです。

西洋の人々は18世紀の産業革命で「緑を失い」、自らの手で緑を育ててきました。

それが子供を育てる教育として、子供たちに緑や花を植える指導をしてきました。

西洋の人々は公園や空いている土地に花を植えます、日本人は公園から花を盗む人が後を立たない現実です。

日本は土壌や植生が豊です。そのために少しぐらいの土木工事でも、

間もなく雑草が生えてくるし、時間と共に樹木が育ってきます。

ですから植物に関し、大変甘く考えてしまうようです。

しかし大規模工事の殺伐とした風景をみてください。草木の生えない不毛の地があちこちに見かけます。

西洋の土木工事は表面の土壌を再び地表に戻します。そのことにより土壌中の微生物の回復となり、

菌根菌として植物と共存できるのです。

西洋のガーディナーは自然循環を上手に活用します。

剪定した枝は細かく裁断し、生ゴミといっしょに自然分解させ、土をつくり、

自然と共に、人間としての生き方を語ります。

先日伊那市の「かんてんぱぱガーデン」へ行ってきました。

赤松林の中に、その植生を生かしたガーデンでした。地形を生かし、立ち木をできるだけ切らずに、

そして草取り、お掃除と社員自らの姿に感動いたしました。現在ある自然植生を生かした緑環境。

私が一番魅力を感じる仕事です。こんな仕事に関わって人生を謳歌したいと願っております。

ある会社の社長さんと出会う事ができました。「会社の回りを昔の森にしたい!!!」夢が大きく広がります。

 

森林とは

 森林は、樹木を中心とした緑色植物群と、微生物など土壌中の生物群を主体とし、

これに地上の動物の集団を加えた生物群の集まりのことをいいます。

樹木は光合成を行い、土壌から水と養分を吸収して生長します。

その土壌へ、樹木がつくった有機物が落葉や枯れ枝として落ちます。

土壌生物はその落葉、枯れ枝をエネルギーや栄養源として生活し、

その結果、樹木が必要とする養分を土壌中に育むのです。

樹木はそれに依存して生長し、落葉、枯れ枝を生産します。

両者は相互に結びついていて、その相互作用関係として森林は育てるのです。

 

森林の恩恵

 森林は、空気を浄化したり、雨水を蓄え大雨の日でも土砂崩れをおこりにくくしてくれます。

そして、人の心を落ち着かせてくれるという作用もあります。

こうした森林を私たちは壊して生活しなければなりません。紙を使わないで生活するのは難しいし、

家をつっくたりするのにも木は必要です。これは仕方のないことですが、

今問題となっているのは壊しすぎということです。

紙は特にで、私たちの身の回りには紙があふれています。読まれない印刷物や

必要としない紙が無関心に捨てられています。

建築で使う材料の多くは、日本で育った木ならまだしもその木のほとんどが輸入をしています。

森林伐採が進むと土砂崩れが起こりやすくなったり、

樹木がなくなることで砂漠化が起こりその影響で地球の温暖化にまでつながります。

世界のどこかの木を使って、その地域が森林破壊の危機あるのなら私たちはもっと

よく考えなければならないと思います。

地球を守っていくためにも、例えば紙の無駄遣いをやめるなどの努力をしなくてはならないと思います。 

しかしもっと大切なことは、化石燃料の消費です。

数億年かかって生物が炭化し地球の空気の1/5の酸素を作って来ました。

眠っている化石燃料の炭素は一挙に二酸化炭素として放出されることに、

一番の地球の温暖化現象の原因があるのだそうです。

そのことを考えて、私は、庭木の剪定した枝を炭化させ土の中に埋めていきたいと考えております。

 

 最後にもう一言、西洋のガーディナーは自然循環を上手に活用します。

剪定した枝は細かく裁断し、生ゴミといっしょに自然分解させ、

土をつくり、自然と共に、人間としての生き方を語ります。

 

塚原 吉政


十年ほど前、ある造園の大先輩から「造園に変わる新しい言葉が生まれる」と聞かされました。

そして、大先輩の予感が的中したかのように近年「ガーデニング」という

新しい用語が底知れぬブームを引き起こしています。

ガーデニングは、バブル崩壊により、インテリア関連の大手商社により仕掛けられたと言われております。

ダークグリーンのブーツをはいて、花模様手袋とエプロンを付け珍しいカタカナの花を探し求める、

こういったスタイル先行のガーデニングが本当のガーデニングであろうかと疑問に思う人は多いはずです。

 そもそもガーデニングはイギリスの産業革命後に始まりました。

地球を制覇したイギリス人は世界中の造園材料を我が手にします。

そのうち彼らは産業革命により失った自然や緑の大切さに気付き、自らの手により緑や花を育て始めます。

そこに、ガーデニングが始まったのです。それぞれの地域、環境を考ながらこつこつと庭いじりを続けてきたのです

こうして彼らのライフスタイルの中にガーデニング文化が根付いったです。

流行に乗りやすい日本人はガーデニングの本質を知らずして表面的なまねごとガーデニングをしようとしています。

そこに大きな問題があるのです。

 高度成長期以来40年間、日本人が忘れてきたこと、その中にこそガーデニングの本質があるのです。

このことを見据えて、それぞれの地域の特性を活かしたガーデニング文化を育まなければならないと思います。

 

「オーガニックにエコロジカルに」

私は27年間庭づくりをしてきました。その中でいつも考えていることは普段見すごされているもの、

一見とるにたらないものをどうやって庭の中に活かしていくかということです。

古い屋根瓦やエントツに使われていたレンガ、石材の建材を取ったあとの端材、割れたガラス瓶をコンクリートに

埋め込んだり、それはいろいろ工夫してきました。

当時、わたしの造った庭は、先輩たちからは見向きもされないものでした。

しかし、わたしのやってきたことは間違いではないと確信しています。

私はガーデニングの本質はそこにあるものを活かすこと、自分らしさを表現することだと思います。

そして、21世紀にふさわしい地域環境をみんなで考えていくことがわたしたちの使命であると思います。

 この度、上田市大手2-1-18 (松原町清水宅にて

「ビルを解体したおりに発生する鉄筋」を庭づくりに活かしました。

ふつうならフェンスをつくるところに、鉄筋でトレリスを作ってみたのです。これが実に遊びごころがあり

道行く人々の目を和ませてくれるのです。

人々は立ち止まり新しい景色を楽しんでいます。上田商工会議所前のポケットパークを入口に北方に小路を入ると、

万菊さんのたくさんのお花、今回完成した清水さんのお庭、そして才川さんの豪邸の庭木、

そして上田市のシンボル太郎山の緑へと点から線へと街の景観がつながっていきます。点から線へ。そして面へ。

私達のテーマは「まちづくり」なのです。


what'snew風景の哲学暮らしたい街花情報庭師の時代地域づくりの提案らくがきノート

イズミック文庫ラピグッズ||ガーデンの知恵袋ラピクラブ漫遊記庭師の考えるリサイクル

ラピキャラリーイズミックガーデンリンク集どんな会社コラムTOP