2001年1月16日UP

どんど焼き風景

(石松さん撮影)

どんど焼き風景

(石松さん撮影)

上田市富士見台の繭玉づくり
 

 上田市神科地区の北東部には高さ50メートルほどの丘があります。

東太郎山山塊の延長が神科田んぼに突き出ており、ここから、扇形の扇状地が広がっております。

山塊の東側は神川の浸食により険しくけずりとられ、

先端は「伊勢崎」(おかいこ山、虚空蔵山)と呼ばれ砥石米山城の支城「伊勢崎の砦」と呼ばれています。

この一段高い丘を中心に「上野」と呼ばれ上州への道の要害の地でありました。

 ここ富士見台はかつては「東上野」と呼ばれ、上野地区住民の「共同芝切り場」があり

 「のち産池」があり「共同墓地」があり「鉄砲馬場」がありました。

いやいや、武田信玄の「砥石崩れ」で有名な「鐘かけの松」の所在地です。

現在は新興住宅の中で、新しい自治体のモデル地区とも言える、地域づくりの進んでいる自治体です。

 1月13日は毎年「繭玉」作りをしています。

上田菅平インター発 地域づくりの提案 参照ください。

http://www.avis.ne.jp/~torebi/topkukan.html

 

 

 

鐘かけの松と鉄砲馬場 2001年1月13日UP

 武田信玄の戸石攻めの時、ここは本陣をすえ、進退用の鐘をかけた松と伝承されていた。

樹齢とも一致する大きな松があった。昭和のはじめ、蜂の巣をとる子どものいたずらから焼け枯れてしまった。

その後地上2メートル程を残したトタン板の屋根がかけてあったが、それもすっかりくち果てて、

現在は二世の鐘かけの松のその根元で馬頭観音が伝承をもの語っている。

この鐘かけの松の近くに巾2メートル長さ300メートルの鉄砲馬場跡がある。

明治35、6年ごろまでは、よく草けいばが行われていた。

ここは旧上野村の人たちの水田用の芝切り場があった。

 

 神科たんぼの水田のかけぐちの崩れないように、昔は芝が用いられた。

この芝は神川水系旧五十七ヶ村の入会山からのものである。

四阿山から猫岳、和熊の沢のどこからでも切り出されたのであったが、

この入会山が財産区と変わって明治29年から植林がはじまった。

このため、この代わりとして、ここ東上野に上野村の人達だけの芝切り場が設けられた。

この芝切り場がたまたまいなかの競馬の馬場に使われたので、

鉄砲馬場(直線コースの馬場)の名がこの地方の名所となった。(神科村誌 昭和43年刊 より)

  (写真一代目の鐘かけの松)

(二代目の鐘かけの松)

 

 二代目の鐘かけの松が枯れたのが1989年夏ごろ枯れはじめ、

その後,上田市が3代目を植えてくれました。

 

 

尚、一代目の切り株は戦争中飛行機の燃料として蒸され「松根油」として供出したと伝えられます。

(松根油について下記をご参考下さい。)

 http://www.avis.ne.jp/~torebi/new28.html

 

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