2000年7月18日 up

呪われた砥石米山城跡山麓!! 2000年白昼13件の不審火!!!

   武田信玄の亡霊か? 村上義清の亡霊か? 2000年7月18日

 

 

砥石米山城 画 桶田明夫

 書 高澤嘉津雄
  

 

はじめに 5月24日12時20分ごろ、当社資材置場の庭木の剪定した枝(一般廃棄物)から出火があり、

多くの皆様にご心配をおかけし、また多々火事見舞いをいただきましたことを、お詫びと、御礼申し上げます。

                                       代表取締役 塚原吉政

 

 東信ジャーナル7/15掲載

(不審火の地図)

 

 

 7月12日の午後1時過ぎの出火は、閉鎖されたプラスチック工場に隣接しており、

トラックが半焼、簡易トイレ、ケヤキ等全焼、二台の廃車も全焼、もっとも大きな被害がでました。

閉鎖されたプラスチック工場に危うく類焼寸前の、危険度の高い出火のため、地元住民の不安が高まっています。

住民の間には「噂」があちこちで飛び交い、住民の間で信頼関係が危険な状態です。

 2000年2月下旬から今回まで連続13回の不審火、その他火災になっていない延焼個所が数箇所発見され、

それらの出火個所は、南北方向に約1000メートルの範囲に集中しているのです。

これらの不審火は午前9時から午後3時までの時間で、当初は土日曜に多かったのですが、

このごろは水曜日に集中しているようです。

白昼堂々の不審火の発生は、武田信玄の亡霊か? 村上義清の亡霊か?

 

砥石米山城跡の物語は週刊プレイボーイ6.1no.23「日本の山城、信州上田・戸石城」として紹介されています。

1548年8月 村上義清の守る砥石城を武田信玄が攻め込むが「砥石崩れ」と云われる武田勢の総崩れとなり、

侍大将の横田備中守高松(たかとし)が討死し、数千人の戦死者が出た信玄不祥の敗戦であったそうです。

翌年真田幸隆は策略をたて、血を流さず砥石城を乗取り、

村上義清は越後の上杉謙信のもとに落ち延び、やがて「川中島の戦」と進んだようです。
 

 

 

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