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塚原吉政
長野県坂城町の旧家の門から玄関へのアプローチの相談を受けました。母家は江戸時代の建物が残り、
土蔵は数年前に民家再生で修復済み。
この度は門の両サイドに積み上げられていた、飛び石の活用です!
この石、私の記憶では中野市周辺で産する「ござ目石」です。
「ござ目石」飛び石・庭石として、知る人ぞ知る日本の名石です。板状節理の発達した、一定方向の模様が特徴の石で、
佐久方面では「内山石」に近い表情の石で。安山岩と呼んでいいと思う石です。
この石が50枚ほど眠っていたのです。 私は思わず「もったいない!」
そんな思いがこの「ござ目石」を生かす方向へ考えました。
先ずは、門の下にはノミ切りの短冊石があり、それを伏せ直す仕事からはじまります。
この石は緑色凝灰岩(グリーンタフ)と呼ばれ約2500万年ほど前海底火山の
噴出物によってできた石で、上田では「上田城」の石垣の石と同種類の石で、上田では「太郎山の石」
としてこよなく愛されてきました。墓石・記念碑・井戸枠・石橋、
そして火に強いことから炭焼き窯に、コタツ・へっついに使われて来ました。
施工前の門の石敷き
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施工中の短冊石、これが中之条石
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村上義清公の墓これが中之条石
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同じく
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広い意味でのこの石に似た石は、「大谷石」「麦飯石」などがあります。
海底火山から噴出した火山灰が堆積した緑色凝灰岩(グリーンタフ)と呼ばれるものなのでしょう。
坂城町は戦国時代の豪族「村上義精」の本拠地です。すぐ近くにお墓があり、早速お参りに行きました。
墓石を見ると薄緑色の色合い、質感の軟らかそうな、ぬくもりの
あるような石です。こいつは「緑色凝灰岩」と呼ばれる太郎山の石だぜ!と直感すると、
何故かすごい愛着を感じたのです。それでも間違った解釈してはいけないと、
坂城町の教育委員会へ電話して、墓石の材質を聞きましたところ、「横尾層」と言う地層から産出したもののようだ、
という事で、ほぼ太郎山の石(上田城の石垣の石)と言う裏づけがとれました。
横尾層という地層は約2500万年ほど前海底火山の噴出物(火山灰など)によってできた石で、
想像を超える火山活動の時代でした。その後、火山の活動が治まり、深く! 静かな! 海の時代となり!
やがて隆起活動が始まり、陸地から大量な土砂が産みに溜まり。海は北へ! 南へと後退していき!
今の中部地方が出来たらしいのです?
厚さのそろわない、「ござ目石」を伏せて、その間を信濃石で埋めようと計画し、施工します。
施工途中? ちょっと違うな? ってことで急遽変更! 「ござ目石」の周りは「伊勢ごろ太石」を埋めて完成です!
「ござ目石」の飛び石と「伊勢ごろ太石」
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「山目地」
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