8月18日up

0年ぶりの化石大先生との再会     2001.8.17

 

伊勢山稲荷社付近から約80m神川に向かって下垂する、オウバイ。

この黄色い花を春一番に咲き誇る景観を、地域の人々は「黄金の滝」と呼んでいます。

 

8月8日このオウバイの「黄金の滝」復活を夢に見て! 

長野県の林務課の柳沢課長補佐から指導を受けていました。

その間に携帯電話がコールしたのですが、バッテリーが切れてしまいました。

(黄金の滝復活の報告はまもなくUPいたします。)

  

(林務課の指導  咲き誇るオウバイ)

 

会社に戻ると、「静岡の池谷さんから電話!」 とのことで、ダイアルすると。 

「いまね〜軽井沢の花井先生の別荘に居るんだよ!

君、明日上田へ行くから会いたいんだよ!

 中沢先生とも会いたいんだが、君、連絡してくれ!」、、、 

ハタハタ、大変なことになりました。

中沢先生こと、私の中学時代の恩師(上田市立第五中学)でありまして、

中沢克三先生という、苦虫を噛み潰したような顔した、超化石先生のことでした。

 

この超化石先生の姿は、私が小学校6年の頃、私の脳裏に焼き付いている。

私の地域の伊勢山は、黒い岩が神川によって洗い出され、

その黒い岩の中から鯨の化石が発見されたこともあるのです!

そんな黒い岩を神川が削り、所々にお風呂のような穴ができたり、

プールのような大きな穴があったり、大きな樋状な溝があったり、

そんな場所が子供たちの格好な遊び場だったのです。

その遊び場に現れる「苦虫を噛み潰した顔した人」を、

私はしっかりと覚えていたのです。

中学に入り、その「苦虫を噛み潰した人」は、

(渾名は、たしか「シブガキ」だったかな〜?)

理科の先生で「地質班」の先生であることを知り、異常な関心を抱いてしまいました。

 

担任の先生に僕は「地質班」入りたいと申し出たら、

「お前みたいな馬鹿は地質班へは入れない」と言われ、

ショックだったな〜! 二年生になったとき。

直接理科の準備室へ行き、苦虫先生に「地質班に入りたい」意思を伝えると、

すんなりと受け入れていただけました。そして親から学校終わったら

「芋ほり手伝え!」「牛の餌刈っとけ!」と言われたことをすっかり忘れて、

化石に熱中していました。

遠足に行けばその地の石をリックに入れて持ち帰り、

毎日が化石と石に魅せられていったのです。

(中沢克三先生)

 

そんなシブガキ先生との出会いが私の人生を大きく左右していきました。 

上田東高等学校に進学しても、化石や石への執着がつづき、

高校三年生の生徒総会のとき根回しを仕組み、母校に地学班設立を通過させ!  

また長野県教委委員会の奨励金を受諾して「太郎山の地質構造」?って

テーマだったかな〜? 研究発表もしてきました。

 化石や石に調子付いた私は恩師のシブガキ先生に相談して、

化石の研究機関への就職をしたい!と相談していたのです。 

シブガキ先生は当時化石の研究が認められ、内地留学で東京大学理学部、

地質学教室の研究室へ通っておりまして、その当時のドン、

古生物学の最高指導者の「高木冬二先生」にお願いし、

信州の少年に化石の研究のアシスタントができるよう計らってくださったのです。

 

「赤門」「安田講堂」「三四郎池」煉瓦の建物がイチョウやケヤキ、

そして、名も知らぬ照葉樹に包まれ、そんな一角に新設された東京大学総合研究資料館。

マンモスの牙や巨大なアンモナイト、目も覚めるような化石がワンサカ

保存されているのです。毎日が夢のような生活が始まりました。

時にはアポロ二号が持ち帰った「月の岩石」本当にすごい所です。

一番大きな月の石は火山学者の久野久先生に届けられたのです。

「この月の石は地球の岩石の中で三原山の石が一番近いんだよ!」伝々、、、、

 

 こんな夢のような化石や岩石の世界を、

私は3年弱で田舎に戻ってきてしまったのです。

そんな私をシブガキ先生は許してくれるはずがありません。

私は破門され、この30年お許しが解けないまま至ったわけです。

(花井哲郎先生ご夫妻)

 

 花井哲郎先生、当時東大理学部地質学教室助教授、現在東京大学名誉教授。

渾名はブッチャー。体に似合わず「蝶」の大好きな先生で、

教室に「蝶」舞い込めば研究や授業になりません。

皆で蝶を追いかけます。この花井先生の研究は「ミジンコ」なのです。

ミジンコ田圃にいるあの1ミリ足らずの奴です。体の大きな花井先生が

あの小さな小さなミジンコの研究している姿は田舎から出て行った少年にとっては

なんとも滑稽でした。

 

 池谷仙之(のりゆき)さん。当時東大理学部地質学教室の大学院生で、

現在静岡大学理学部生物地球環境科学教室教授この方がすごい人で、

私の生涯の生き様におおきな影響を与えた人です。

その池谷仙之先生から突然の電話だったのです。

 

 池谷仙之さん、現在の古生物学会のドンですが、

私はどうしても先生という言葉が出てこないのです。

お許しください。池谷仙之さんとは30年の間に何回かお会いしてきました。

しかし、花井先生、中沢先生とは30年振りの再会です。

(池谷仙之先生ご夫妻)

 そうそう、当時池谷さんが研究していたのが、「有孔虫」だったのです。

大きな物は数ミリもあり、小さなものは顕微鏡でやっと見つけるほど

ちいさいものもあります。

この有孔虫のサンプルを顕微鏡を覗きながらプレパラートに

ピックアップしてデーターを整理します。

そんな仕事をお手伝いすることができ、顕微鏡下の世界の魅力に私は没頭していました。

 

 上田に来られた化石の大先生方は君のやった仕事を見たいということで、

上田公園や二の丸通り、個人の庭園、そして、

伊勢山の化石の産出する現場「露頭」と呼ぶんです。

中沢先生はすっかり30年前にもどり、

化石採集した場所を一回り。花井先生「すばらしい露頭だ!」 池谷さん

「こんなに保存のいい、しかもこんなに沢山の魚の鱗の

化石がでる地域はほかには無い」「これを教育にぜひ役立てて欲しい!」伝々、、、、

さあまた大変な仕事ができてしまいました。

 

 出会いと人生。30年前の出会いから、今回突然の来訪者のおかげで30年の

「破門」が解け、地域の資源の再認識ができましたことを。

化石先生方に心から感謝申し上げます。

 

上田城にて

蕎麦談義

化石を探す

ほらこんなにたくさんの化石が!

明神館の湯につかり

いい一日でした
 

 

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