2003 1月7日up
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信州望月駒の里に 風景に似合うギャラリー |
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なぜか ここには安堵感があり生きるエネルギーが伝わってきます ここは信州蓼科山の北東は古来より最たる名馬を生み出したようです。ここは望月町。 望月といえば、忍者甲賀三郎はこの望月の出身のようで望月三郎が本名のようです。 真田十勇士の一人望月六郎はこう言った背景に育ったようです。
望月町の生家に染織の工房とギャラリーを建てたいと相談を受けました。 庭には「エゾノコリンゴ」がありまして、それはステキな白い花を咲かせていました。 「こりんごの家」こんなネーミングがいいな〜! と一人で勇んで思いを募らせました。 さにあらず、発注者の「望月多恵子」さんは乗るもそるもない、ガンと彼方の「星の流れ」を見ているようでした。 幾つも参考になるものを見て歩きました。そんな中で「風」と言うものがゆるぎない底辺にあることを感じました。
それは「風景」へと発展しました。望月の風景! これって牧場の風景! 鉄平石の産地の風景! そしてGaiety芸庭と発展したのです。 名付け親は「乾敏夫」さんです。 佐渡の「鬼太鼓」に「馬の絵」を描いて、全世界にデビューした乾敏夫さんです。 太平洋戦争の終戦の時、人間の都合で殺されなければならなかった軍馬200頭のことが頭を離れず、、、 それ以来 馬をひたすら描き続け、望月の駒への浪漫を募らせたようです。 ![]()
生家前の農業用ハウスを改造して、ギャラリーと工房を計画しました。
今回ギャラリーGaiety芸庭の工事を支えるエネルギーは二つありました。 その一つが☆ 内村鑑三記念館です。軽井沢の星野温泉の雑木林の中に剥くり出た、 石積とコンクリートの洗い出し仕上げの芋虫のような奴でした。
☆ もう一つが諏訪市中島邸の鉄平石積です。今は亡き北沢ひろと石屋さんの遺業のようです。
望月町は日本で3本の指に数えられる「鉄平石の産地」です。 また、このギャラリーGaiety芸庭の上手に「平石遺跡」があり、 この縦穴式住居には石敷きがされていまして、ましてや、鉄平石敷きがされているのです。 3000千年も前からこの地の先人は鉄平石と共に暮らしてきたのです。 鉄平石と同意語に「平石」と呼ばれます、私は思うのです、平石遺跡は石敷きの原点なのではないでしょうか?
(石敷きの床、平石遺跡) 平石遺跡の近くに「山ノ神古墳」があります。 この石室の側壁をごらんください。 鉄平石の石積みです。バイパスの建設と共に古墳が修復され、発掘された当事のものと比べ、 雰囲気が異なりますが、鉄平石積みの原点と私は感じるのです。
(鉄平石積みの古墳) この少し上手が「とんび岩」です。鉄平石の露頭が見事です。 落石防止の金網が、囚人を捕らえたかのように包んでいます。 あまりに岩がかわいそう、鉄平石が泣いています。
(鳶岩のバス停、屋根が石葺きです) この当たりにくると、屋根の上に瓦の変わりに「鉄平石」が葺かれてます。 石葺きの屋根、近世の鉄平石との大きな関わりがあったのでしょう。 そしてこの奥が現在の鉄平石の採掘現場です。 現在は張り石やコバ積み用石材が主に出荷されています。
(鉄平石の採掘場)
現在の望月町の人々は、この鉄平石との関わりが割合少ないようでした。 どこの地域でもそうなのかもしれません。 自分の住む地域のお宝は見えないものなのかも知れません。
そこで単なるコンクリートの土止めではなく、鉄平石を生かした土止めが出来ないものか? 「とんび岩」の風景のような感じを表現できないかと考えたわけです。 地域の素材を使い、地域の風景に溶け込むもの、それをなくして、ギャラリーなるものは出来ないと思いました。
工事中に発生した石材も巧みに活用し、荒壁も塗り、古い鉄骨ハウスを改造しての工事でした。 今思うに一つ実現できなかったことが口惜しい。 それはギャラリーの軒のせめて桁だけでも古い桁を使いたかった! ![]() |
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