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(2001/2/22)

「東京特許許可局」


 さてさて、「あれ以外のなにか with "任意"」問題やら、WinのIEコンポーネント・Win2000のコモンダイアログのGIF問題やら、フリーソフトプログラマにとってはいい話題が無い昨今ですけれども。

 作り込んだプログラムでも、ちょっと片手間で作ったものでも、同じように手軽にネットに乗せて配布/入手できるのがオンラインソフトのいいところだったはずなのに、今や配布はもちろん入手にすら戦々恐々しなきゃいけない時代になってしまったわけです。結局、下手に公開して問題になるよりは、公開しないで自分だけで使ってた方が安心ってオチになることも多くなっていくのではないかと。なんせ、コモンダイアログを使っただけでライセンスに引っかかる可能性がある、なんて現状に対して、一プログラマや一ユーザはどうしようもない訳でして。

 さすがにこんな不条理は認められないのではないか、と幾つかのページで「Winの下でIEコンポーネントを使用する場合にライセンスは必要ないのではないか」「コモンダイアログを使用するにあたっても、Winの下なら問題は無いのではないか」という、非公式ではあるけど専門家(特許関係を専門にする弁理士)からの見解が出されてはいますが、当のユニシスもMicrosoftもあんなのらりくらりとした対応しかしないとあっては、一プログラマが簡単に危ない橋を渡れないのは確かですな。


 さて、オンラインソフトの世界では、数年前までのシェアウエア全盛とは打って変わって、最近またフリーソフトが伸びてきてます。これは、LynuxやBSDと言ったフリーOSの隆盛、Microsoftの凋落と言った原因もあるのですが、多分一番の原因は、「金をとるとヤバイ」というところがあるのでしょう。
 例えば、シェアウエアを公開していて、それがユニシスのGIFライセンスに接触してたとか言いがかりつけられた場合、ライセンスを結ぶにしても、今までのダウンロード数やら入金数やらで莫大な金額を請求される可能性も否定出来ない訳でして。
 その点フリーソフトなら、今までの実績なんて判りようがないんで、ヤバイ部分の削除、最悪公開中止という逃げ道があるので。


 他にシェアウエアが落ちてきた理由として、VBで20分位で作ったソフトを500円のシェアウエアとして出す、みたいな、いわゆるアタリショック的な理由もあるでしょうな。「こんなもんシェアウエアで出すなよ」みたいなソフトも見かけたりしますが、それが結局、シェアウエア自体の「高品質」イメージを壊していく理由だったりするのですが。
 結局、シェアウエアの「ブランドイメージ」が落ちたこと、それにプログラミング環境自体が、今までは莫大な量と知識を必要とされた部分がコンポーネント化されたことで、高度な知識を必要としなくても高機能を簡単に実装出来るようになって、シェアウエア並みの性能を持ったフリーソフトが出せるようになったことで、シェアウエアを選ぶメリットがどんどん薄くなってきたわけですな。

 まそりゃ当然の話しで、ほとんど同じ機能を持つフリーソフトとシェアウエアがあった場合、普通はフリーソフトを取りますな。
 それに、最近はフリーの方が使いやすいし。

 そもそも、一アプリケーションにいろいろな機能を詰め込むってのは、シングルタスクOSであったMS-DOSで必要だったことで、完全(じゃないけど)にマルチタスク/マルチスレッドで動作するWindowsで動かす場合って、一アプリケーションで何もかも出来なくてもいい訳です。単一の機能を持ったアプリケーションを組み合わせて作業を行った方が、軽いし安定するし、なによりトラブった時の対応が楽。
 そういう意味で、いろいろな機能を詰め込んだシェアウエアよりも、最低限の機能だけを持ったフリーソフトの方が使いやすい訳ですな。


 閑話休題。
 さて、ユニシスといいコナミといい日本著作権協会といい、「なんとかして金をふんだくってやろう」という姿勢は、そりゃ企業としてはある意味当たり前なんだろうけど、自分が良ければすべてよしなユーザ無視の言があまりに多すぎますな。

 GIFだって、最初は「特許使用料いりません」と明言してたくせに、いざシェアを確保した途端「やっぱり金払って下さい」と言い出したもんで大反発を食らってる訳ですから。
 そのくせライセンス制には不明瞭な点が多過ぎるし、特許法で明確に定められているはずの適用範囲に対しての説明は曖昧。大体、「ライセンス適用に対して疑問があったら、取り敢えずライセンス契約を結ぶことをすすめます」なんていう規範を提示していること自体がおかしいはずなのだが。

 ちなみに、例のAcrobatReaderであっという間にネット標準ビュワーのシェアを確保したAdobe。ここの社員は「こんなに出まわるんなら、少しでもライセンス料取っとけばよかった」とか嘆いているらしいですが、ライセンス料取ってたらシェアなんて確保出来なかっただろうし、今からそんなことしたらユニシスの二の舞になる事はわかりきってますな。


 わたしがまぁ拙作なりきにフリー&オープンソースでソフトを配布している理由の大半は、MS-DOS時代にフリーソフトに育ててもらったその恩返しと言う点なのですが。

 ただ好きだから、プログラム組んでそれを他のユーザと共有するために配布する。そんなコンピュータというものの黎明期からちゃくちゃくと育まれてきた精神を、「ビジネスチャンス」という身勝手で破壊しようとする企業。


 「正当な権利」を主張するなら、最初から主張してくれ。過去、パクリぱくられつつ進んできたゲーム業界にいきなり「パクリは許しません」と言いがかり付けるコナミもそうやけど。

 「今まで、ウチは他の人間が作ったソフトは一切使っていません」「今まで、ウチはパクリ一切やってません」と言っていたならまだしも、今まで散々人が作ったソフトを使い、人のゲームをパクったやつらが、今さら「それはいけません」と言って、誰が納得するおもってんねんな。


 音楽ってのは有限の可聴音の組み合わせである。人間が聴くことの出来る音域に制限があるかぎり、その組み合わせには限界がある。自ずと別の作曲者が同じような曲を作ることだってある。大体、バロック音楽・ゴシック音楽などと括られるように、時代によってその傾向は明らか、つまり流行った物はみんなパクったわけだ。もちろん、今日現在まで残っているような傑作の裏には、1回だけ地方貴族の夕食会で演奏されただけの曲、譜面に書かれただけで演奏すらされなかった曲ってのも、本当に星の数ほどあるだろう。

 プログラムだって、OSの制限、インターフェイスの汎用性、効率的なアルゴリズム、の数やバリエーションには限界がある。ゲームだって結局同じことだ。
 LZW圧縮だって、元はAbraham LempelとJacob Zivの考えたLZ78圧縮のパクリだ。
 コナミの音ゲー(beatmania-1997)だって、元はパラッパラッパー(1996/12)のパクリに過ぎないし、それにパラッパにだって元ネタはある。

 抜きつ抜かれつ、影響し影響されつつ進歩していくのが技術であり芸術でありエンターテイメントであるのなら、その本質はパクリによって成り立っているのは確かであるはず。
 最初は、多分どこかの洞窟にいた原始人が、石を投げた時にそれがある規則性を持った飛び方をするということを「発見」した時から始まったのであろう「技術」の発展を、こんな他愛ないたかが十数年の歴史しかないちっぽけな企業の「金儲け」のためだけに止めてしまうことは、いったいどういう意味を持つのであろうか。


 最後に、こんなマーフィーの法則を紹介しておきましょう。
 「一つの論文を写すのは盗作だが、十人の論文を写すのは研究である」