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(2001/1/24)

「売れねぇ売れねぇ、ゲームが売れねぇ!!」


(1/24)
 コレ書いている途中、「セガがコンシューマハードから撤退」っつうニュースが入ってきた。あ〜あ‥‥。
 サターンて、実は隠れだけゲーが結構あるはずなんだがな。でも、ウチのサターン(中古、2,000円)、本体メモリのバッテリーが切れた。コレといい、クソ重くてメモリと拡張機器の共存が出来ないムキャのコントローラといい、ハードデザインセンスのなさがセガイマイチの元なんだよなぁ。
 さすがにSONYは家電メーカだけあって、そのノウハウは膨大だからな。
#その代わりにソフトのノウハウは‥‥。聖飢魔IIですか(爆)。
 なんだか「ゲームの数が出ない(売れない)」とか言われている。
 けれど、よく資料やらメーカの発表なんかを見ると、結局一本一本のゲームが本数出ていないだけで、新作市場・中古市場まで含めた実質的な流通量はそんなに減ってはいないはず。。
 結局、一つ一つの作品が、1プレイしたら終わり、途中までやって諦め、の、言わば使い捨てになってしまっているんだな。プレイヤー側だけでなくメーカ側だって、特に大手ほど多作・駄作に走っているんだし、そんな中でヒットする一本が大量に出てくると言う方がどうかしていますな。

 よく経済紙系の新聞で「DQ7が思ったよりも売れない」って言われてるが、そんなの当たり前やん。ドラクエのネームバリューって、3までで築いた財産を4と5で食いつぶして、6の頃には既に残ってなかったぞ。なんつうか今のドラクエ信者って、初代ゴジラがやっぱり最高だと思ってるけど、取り敢えずゴジラ2000も見るだけ見てやっぱり文句言ってる特撮ファンみたいなもんだから。
#そんで、自分達(ファン)が「こうしたらいい」「ああしたらいい」って言ってた部分をすべて取り入れて、しかも最先端のCGをバリバリに使ってこれぞ今まで夢にまで見た理想の一本、と思ってたら出来上がったのは「GODZILLA」だったっていう(笑)。


 さて、20世紀を代表するクソゲーになったFF8って、実は結構売れたんだよな。DISK4枚組みの7,800円という、どう考えてもぼったくりの価格だったにもかかわらず。ただこの業界、売れた=面白いって数式が成立するはずもなく、今となってはFF7の中古価格にすら負けてるがな。
#と言っても、中古価格ってのは流通本数も関数的に関係するから一概にクソ・名作の区別にはならんのだが。

 「品質の良いもの・安いものをつくれば自然に売れる」というニッポン神話が崩壊して久しいが、どうもゲーム業界の連中はそれに気がついていない様だ。今や、売れる・売れないってのは、品質の問題ではなくマーケティングの問題であって、良いものが売れるとは限らない、逆に売れたから良いものとは限らないという市場に、ゲームマーケットもなっているというのに。

 スクウェア作品に代表される「豪華なクソゲー」。確かにスクウェアゲーは売れる。しかし、この「売れる」ってのは決して作品が良いから売れているわけじゃなく、綿密なマーケティング・コマーシャリズムへの高い露出といった、ゲームの出来以外の部分での勝利だったのだが。しかし、他のメーカはコレにまったく気がつかず、「そうか、奇麗なムービーを入れてひたすら流せばいいのか」「プレイ時間が100時間を超えるようなRPGをユーザは求めているのだな」「これから受けるシナリオのテーマは『愛』だ!」とかとか分析し、そして二番煎じを山のように投入し、山のような売れ残りと掃いて捨てるほどのタイトル数だけが後に残る、と。


 そもそも、今言われている「売れない」ってのは、「全く本数が出ない」って意味じゃなくて、「開発費を回収出来る本数まで売上が伸びない」って意味でしょう。だけどそれは、まともなマーケティング戦略もコマーシャリズムへの投資もなく、ただ作品の見た目だけスクウェアのマネをして、開発費までマネをして発売したゲームでウハウハの利益を出せると思ってるメーカ側の視点に問題がある、つまり経営能力が根本的に足りないだけの話しやん。
 それを、ゲーム市場全体の縮小、ユーザのゲーム離れ、中古市場の台頭といった外部要因にだけ求めるゲーム業界。「ウチの会社の製品が売れないのは、あなたたちお客が他の会社の商品を買ったり、もともと買わないからだ。これじゃウチの会社が儲からないから、ウチ以外の製品を買わないようにしてもらいたい」なんて言い出す企業があったとしたら、「あんたら客商売をなんだと思ってるんだ」と言われてもしょうがないぞ。


 ゲーム市場ってのは、アーケード・コンシューマ・PCと大体三つの軸がある市場だ。もともとこの市場、お互いにゲームのジャンルで住み分けしてたのだが、コンシューマ機の機能アップに伴って、メーカ側がアーケードとコンシューマ両方に対応するゲームを出すようになってきた。まぁ、PCは独特の市場とゲームジャンルなんで干渉することはほとんどないので別枠となってるのだが。
 ただ、この「アーケードでも遊べ、コンシューマでも遊べる」ゲームってのが、実は現在のアーケードとコンシューマの衰退を招いた、直接でもないけれどかなり枢要な原因なんだよな。

 もともとゲームの作り方として、コンシューマ向けってのは、自分で買ってその価格分遊ぶスタイルが求められるので、RPGなどの長時間プレイ出来るジャンルや、スーパーマリオなどの1プレイは短いが繰り返し繰り返し遊べるゲームが求められている。また、サイクルが早く、長期にわたってショップに並ぶことが少ない分、販売戦略的には、事前のマーケティングや雑誌などの広告に必然的に力を入れることになる。主要ターゲットは小学生〜中学生、後は女性など、あまりゲームセンターに足蹴に通わない層なので、難易度的には低め。

 アーケードは、基本的に基板売りで高単価、設置後の減価償却期間があるため、比較的長期に渡って店頭に置かれる事が多く、発売された後のイベントやプレイヤーの口コミ、雑誌の攻略記事などによって人気がでるパターンであるため、事前の広告よりもゲーム自体の完成度や難易度調整などに重点を置くのが重要。
 主要ターゲットは、高校生・大学生・社怪人男性。難易度は若干高い方が適しているが、やりすぎるとリピーターがつかない、もしくは鬼のやり込み人がつくかどちらか。

 この作り分けってのは重要で、例えばスーパーマリオが1プレイ100円でゲームセンターに置いてあるとしよう。はたしてインカムが稼げるかと言うと、コレ難しいんじゃないだろうか。
 例えば、ダービーオーナーズクラブの一テーブルが自宅にあったとして(ネット非対応)、そんなのダレがやるだろうか。

 しかし最近のアーケードを見ていると、コンシューマ移植を前提としているとしか思えない作品が多い。アーケードとコンシューマ両方の客をターゲットに出来る、と喜んでいるが、果たしてそれはホントに効果的なんだろうか。


 ゲームだけに限らず、エンターテイメントの真髄ってのは「そこに行かなければ出来ない、特別な体験」って物に集約される。例えば、東京ディズニーランド(TDL)。よくよく考えると、あそこにあるようなライドやプレイランドなんて、他の遊園地だって乗れたり遊べたりするものも多い。しかし、あの狭い入り口をくぐった中にある「ディズニーワールド」の中で、長い時間並んで、やっと乗って、食事をし、パレードを見、ミッキーと写真を撮って、あの外では絶対かぶれないミミ帽子を平気でかぶって、etc‥‥。


 自宅に卓球台を置いてある人はそんなにいない。自宅にビリヤードテーブルがある人はなかなかいない。自宅に自由に滑れる雪山がある人は滅多にいない。だから、みんな卓球場に・ビリヤード場に、スキー場に行くのである。

 しかし、自宅にゲーム機がある人は、いまや山のようにいる。しかも、ゲームセンターにあるゲームはすぐに自宅のゲーム機で出来るようになる。だからゲームセンターに行く必要もない。ゲームセンターでしか出来ないゲームってのはいまやほとんどないからだ。


 ゲームセンターが苦戦・衰退してる原因。それは、前述と矛盾するが、コンシューマ機の発達でアーケードを自宅に持ち込めるようになった、からではない。大体、ゲームを買うのはリスクがいる。新作は一本6,000円もする。外すととんでもなく痛い。だから数も揃えられない。その反面、ゲームセンターなら、1Play100円・200円・50円で遊ぶことができるし、一つの店でもいろんなゲームをやってみることができるし、店を替えればまた新しい品揃えがある。
 それよりも問題は、ゲームメーカがアーケードとコンシューマに同じパイしか用意しないってことだ。アーケードでしか出来ないゲーム・コンシューマでしか出来ないゲーム。だんだんこの住み分けを忘れ、アーケードでもコンシューマでも出来るゲームってものが幅を利かせるようになってきた。そしてメーカによっては、アーケードに置くことはコンシューマ発売の広告であるとまで(そこまで言わないまでも、どう考えてもそうとしか思えないロケーションってのは、あるよね)考える所すら出てきた。

 低難易度のコンシューマ向けゲームがゲームセンターにある。インカムの主力である男性ゲーマがやり込むにはぬるく、一見さんはやり込むことはない。あまり話題にならないうちにコンシューマが発売され、ゲーセンからは姿を消し、アーケードで飽きた一見さんはコンシューマが出ても買う気にはならず、アーケードでヌルゲーだと知っているゲーマはさらに買わない。ある程度長期にわたって置いてこそ初めて本領が発揮されるアーケードゲーなのに、ホンの一・二ヶ月、下手すりゃ二週間で消える。

 アーケードとコンシューマの二重にかけた展開は、こうしてアーケードゲーマもコンシューマユーザも捉えることができず、両方の火を消すだけに終わる。
 だから、最近出てきた「コンシューマで育てたキャラをアーケードで使える」なんつうゲームは、もう自殺行為にも等しい。

 ゲーム業界を外から見ている人って、実は結構前からこの図式に気がついてたんだよね。でも、ゲーム業界内部の人間ってのは、全くこれに気がつかない。
 相変わらず「いいゲームを作れば自然に売れる」「アーケードでもコンシューマでもウハウハ」ってセンスの経営。アーケードをコンシューマに移植してホントにウハウハだった例なんて、数えるくらいしかないはずなのに。


 大部分がこんな企業の中、過去アーケードに進出しようとして大失敗こいたSCEとスクウェアが、かたくなにコンシューマオリジナルにこだわって、それなりにヒット作と呼ばれる作品を出している理由もうなずけるでしょう。
#まぁ、単に下手な鉄砲かず撃ちゃ当たるって事かもしれんが、でも数撃っても当たらない企業が多い中、それなりには当たってるから‥‥。


 「目を見張るほど奇麗なグラフィック」「感動的なシナリオ」「極上の音楽」「圧倒的なボリューム」「豪華スタッフ勢揃い」。もうこんな売り文句が幻想に過ぎないってのは、それなりにゲームをやってる人なら(むしろそんなにやらない人のほうが?)とっくに気がついている訳ですよ。奇麗なグラフィックは重く、ムービーは見てるだけでヒマ。感動的なシナリオはゲームのインタラクティブ性を殺して一本道のストーリー。極上の音楽はCD-ROMの容量を圧迫し、圧倒的な時間がかかる様に引き伸ばされて悠長すぎるプレイ感。豪華スタッフのインタビュー(顔写真付き)が載ったマニュアルを読むヤツなんていない。

 ゲームは、機械が人間を楽しませるのではなく、人間が人間を楽しませるものだ。

 初めてファミコンを起動させ、画面にスーパーマリオのロゴが表示された時のわくわく感。スタートすると、自分の操作どうりに動くキャラクター。単純明快でデフォルメされた空間と物理法則の中に展開されるゲーム世界。繰り返しプレイすることで自分のテクニックが向上し、またゲーム内の様々な要素が判ってくる知的満足感。そしてプレイを重ねついにクリアした時の征服感。あの感動はどこから出てきたのか?


 「ゲームが人を支配するのではない!、人がゲームを支配するのだ!!」(C)炎尾燃