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(2001/1/25)

「選挙ほど素敵なショーはない」


 さて、池田典隆の長野県知事選での選挙違反捜査も大詰めとなってまいりました。ん〜、某所が建設系のアレだったので、選挙期間にはいろいろありましたな。

 某所では、後援会に入りますパンフとか言うものに名前を書かされるわ(しかも三枚‥‥)、人数集めのためにビッグハットでやる決起大会に出てくれ言われたり、しかもそれがかなり手際が悪くて車も停められず会場にも入れず(入るつもりもなかったけど)、入り口で田中康夫批判パンフレット配ってたけどそこには「個人で有害図書とか投稿写真に賛同しているのは云々。私は有害図書を締め出します云々」とか。つうかあんた、公然と出版の自由を批判して平気なんすか?私は、自分が見るもの・読むものを御上に選んでもらう必要はないし、選んでもらいたいとも思いませぬが。
 そんで、田中康夫批判してる割りには自分にも大したビジョンは無く、出版の自由を堂々と批判するわ、公共工事をちらつかせて表を集めようとしてたり、いかにも政治家色に染まりまくった政治家っつうイメージしか無かったわけですが。

 今本屋に行くと置いてある本、「田中康夫はなぜ知事になれたのか」(宮川俊彦/著・KKベストセラーズ)。
 そんなん、本読まなくったって理由はすぐ判る。みんな池田典隆が嫌だったん。
 ビッグハットでの決起大会、結局30分ほどで帰ったのだが、廻りを見るかぎり8割位の人間がこの「無理矢理参加」タイプでしたな。しかも建築・建設系の人間ほど、この無理矢理感が強かったし。一緒に行かされた知人は、「途中で帰るという雰囲気ではなかった」とか言って最後までいたらしいが、お気の毒ですな。

 まぁ、長野県知事にはロクなやつがならないってのは伝統だからな。どうせみんなロクでもないなら、顔すら見たことない「三人目の候補者」こと草間氏にでも当選してもらったら楽しかったのだが。就任演説で初めて明かされるその顔。某北の国の金なんちゃら氏みたいでいいかも(爆)。


 しかし、この池田典隆で懲りず、次は釜本邦茂の後援会に入れ、とか言うお達しがあるし。しかも、スローガンが「スポーツを普及させ青少年の健全育成」とか書いてある。未だにこんなこと言ってる人いるんだねぇ。

 以前、ある新聞にあった投書で、「少年犯罪を犯す子供が増えてて云々、同じ年齢なのに甲子園で頑張っている少年もいるのに、なぜそのように差が出るのだろう云々、スポーツを通じて青少年の健全育成を望む云々」などとあった。なに寝言いってんねんと思いつつ、未だにこの論理が通用しているってのは、実はすごく恐いことなんだよな。

 1970年代前半、高度成長時代末期に発売されたある少女向け雑誌。この号の特集で「ノイローゼ・精神病やその予備軍なんかのチェック」と言う特別企画があったのだけど、このチェックでは「神経性」「恐怖度」「残虐度」「被虐性」という心のかたよりを、いろいろな設問に答えてその数値を足したり最終的に自分の心を診断するという形式になっている。なんというか、まさに現代の問題を先取りした企画じゃないですか。
 そして、ここで問題したい、特集のまとめの1文はこうなっている。
 「宿題、受験、交通ラッシュ、公害。いまは誰でも神経が侵されやすい時代なのです。おかしいなと思ったら、大いにスポーツをやり、心と体を鍛え、自分の力で治すようにしてください。それでこそ貴方は魅力的な少女なのです」

 この当時は、精神病の特効薬はスポーツであり、体を動かして発散させれば治ってしまう一過性のものだとみなしていていた事がよくわかる。そして結果、高度成長期の日本が心の問題という根本から目をそらして、子供たちを社会に都合のいい道具として育てようとしたあげく、現代の幼年期・少年期に起こる心の問題に対する偏見といった認識のゆがみだけが残り、誰も、なにも出来ない今の時代を築いてしまったのに‥‥。

 時代の閉塞感。世紀末思想。経済の不安。親の過剰な期待。膨大なノルマ。複雑な人間関係。子供は、これらのプレッシャーに耐えることができる強さを持ってはいない。学校と家庭がすべての世界。勉強が出来なければなにもできないかのような脅迫。広い世界を教えるはずの大人は、ただ子供を狭く、退屈な場所に閉じ込めるだけ。
 大人はいつ、自分達が感じたはずの重圧を、恐怖を、忘れてしまうんだろう。


 閑話休題。
 しかし、毎回毎回選挙カーうるさい。どうせ誰が当選したって文句はでるし大して状勢は変わりゃしないんだから、あみだくじでもじゃんけんででもきめりゃいいやん。いや、むしろ政党同士のサバイバルゲームってのもいいな。ジジイどもには本当のサバイバルになるがな。まぁ、ロクでもない連中が減るのは喜ばしいことだ、うむ。