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(1999/5/22)

「帰属意識と閉塞」


(2000/1/23補足)
 実は、このコラムを書く切掛けになった某団体があるのですが、その後その団体は、閉塞感を危惧した主催者によって、事実上解散することになったと聞いています。多分、ここを彼が読めば自分のことだと判ると思いますが。
 後、オチですが、一時そんな団体らしきものが出来ましたが、上の団体の解散とともに自然消滅した様です。

 ただ、最近はこんな団体を作ってまでやり込みたいゲームってのが出てこないのが、寂しいことではありますが。
 ことゲーム仲間という世界においては、特定の集団への帰属が閉塞に直結しているのが特徴である。閉塞した集団は、有象無象あらゆるものの「新しさ」を排他し、「現状維持」にのみその目的を置くようになり、それは、ゲームに措いて自己を向上させる最大の障害となりうる。

 ゲーム仲間内での、言わばコミュニケーションを否定するわけではない。情報の交換と言う実用上の目的だけでなく、形にはならない「つながり」を模索するのもよし。同じゲームが好きな人どうしでは、似たような趣味を持つ人が集まるのも特徴であるし、ゲームセンターが出会いの場になることには、おおいに賛成である。
 しかし、そこに排他的意識が働くようになると、それは非常に問題である。コミュニケーションが内輪だけで自己完結状態になる。ゲームセンターにおいては、特定のグループで筐体を占領する(少なくとも、部外者にはそう見える。本人たちが思っていなくても。そして実際にその通りである)。ゲームセンターと言う公共性の高い場所を「コミュニケーション」という名目で私物化する。といった状況が発生する。

 さて、何故こんな話題を振るか。最近、DDR○○組などの集まりが、どうもそんな閉塞環境に陥りつつある兆候が感じられるからである。帰属意識の特に強い数人が現れると、集団はほぼ確実にそれに感化される。かつてバーチャロンのために有るゲーセンに通っていた時の経験から、ほぼそう断言できる。

 もちろんせっかく作った「仲間」をオールカマーにして壊したくないのは判るし、否定はしない。しかし、問題は個人が「外に」出てこなくなることの方である。気心のしれた「ぬるまゆ」につかりっぱなしで、その中で排他的なコミュニケーションを繰り返す。ぞっとする光景だ。

 さて、本題(笑)。
 私はフリースタンスであるのだが、ここのところどうも某ゲームセンターで成立しつつある集団に、いつの間にやら入っているような気がしてたまらない。

 う〜ん、困った、ってそれが結論かい(笑)。