※『信州大学教育学部 歴史研究会会報』第100号に寄稿した文章です。
最近、社会学では歴史社会学という分野が脚光を浴びているようです。また、歴史
学ではここ十年ほど社会史が隆盛を誇っているかの感があります。両者とも、今まで
等閑に附されてきたり、あるいは見過ごされてきた部分へのまなざしを持とうとい
意図が働いているように思われます。
そんな中で、私がとても勉強をさせてもらった本があります。今年度のサントリー
学芸賞を受賞した広田照幸さん(教育社会学者)の『陸軍将校の教育社会史』(世織書
房)です。本書は、今までの「天皇制」に関する固定観念への疑念を根底に書かれてい
た、とても刺激的な本でした。固定観念とは、「日本の民衆は、学校教育という装置
によって、意識的・無意識的にせよ天皇に対する忠誠心や神懸り的な認識を注入され
ていた。学校教育は、まさにこの認識形成に最大の役割を果たした」というもので
す。この固定観念を広田さんは、「この論の誤りは、その受け手である民衆の主体性
を無視したところにある。この論法では、民衆の被害者性を強調するあまり、擁護し
ようとした民衆そのものを、そのしたたかさや主体性を無視することで、逆に、とて
もつまらない存在にさせてしまっている」といった趣旨の批判をしていました。私
も、いわれてみればまったくその通りだなあ、と思わされました。目から鱗が落ちた
といってもいいくらいの指摘でした。このことを、天皇に対して最も忠誠心の強く要
求されたであろう職業軍人階層の教育の実態を究明することで、明かにしようとした
のが、件の著書であったわけです。
教職についてみて、教師のもっている影響力の大きさというものを実感することに
なりましたが、逆に、教師や学校教育そのものの無力さも痛感しました。授業をエス
ケープして保健室にたむろっているこどもたちに、いくら口を極めて「授業に出なさ
い」といってみたところで、こどもたちはテコでも動かないことが多くあります。ま
た、「遅刻するなよ」「授業中の私語はやめなさい」「儀式・集会のときの話を聴く
態度を考えなさい」と何十回、何百回いってみても、これまたいかほどの影響がある
ものなのか、徒労感を多く味わいました。
でも、考えてみれば、そもそもこれは当たり前のことであって、別に徒労感を味わ
うこともないことなのかな、と最近思えてきました。「指導は繰り返しが基本」と
か、「教育は流水に字を書くが如き営み」とかいう一般的な認識でなく、こどもたち
だって歴史を創る主体者の一員であるし、教師のひと言やふた言くらいでくるくるか
わるようなこどもでは、逆に困るかもしれないという思いです。ですから、先の広田
さんの指摘は実感としても、とても胸に落ちる気がします(わたしは、こどもたちへ
のそういった生活指導が必要ない、ということをいっているのではないことをお断り
しておきます)。
話は変わるのですが、最近、勤務校の職員図書室にもぐりこんで、一?二時間ほど
埃まみれになりながら資料の山と向きあう機会がありました。わたしの勤務校は、い
わゆる『○周年史』といった『校史』が発刊されていません。となると、何年後かに
はそういう話も出てくると思うのですが、どうも職員図書室や校長室・学年室の資料
保存の状態をみると、「大丈夫なのかなあ」と危惧されてなりません。このことは、
勤務校の『校史』編纂上の危惧というにとどまりません。それは、教育の歴史を教育
現場に残されている資料から実証的に明かにしていこうとする際、致命的な困難を招
来する可能性があるのではないか、という危惧です。
学校では毎日、驚くほど大量の文書が産出されています。職員会に使うプリント、
校務分掌関連の文書、部活関連の保護者向け通知、授業の資料プリント、学級通信、
生徒の書く学習カード…などなど。これら多くの資料は、その目的が達せられた瞬間
に通常は「ゴミ」となり
ます。しかし、教育の実態史を描こうとしたとき、こういった、教育現場の「変わら
ない日常」を映し出している、すぐに「ゴミ」となるような類の資料が、実は非常に重
要な意味あいを帯びてきます。
学校で産出される資料のすべてが重要な意味あいを帯びてくるわけではないでしょ
う。でも、教育行政がやるにせよ、当該学校がやるにせよ、何らかの基準を設けて、
計画的・組織的に学校教育の現場で産出される膨大な量の文書資料を保存していくこ
とは、喫緊事であると考えています。このことは、長野県立歴史館の橋詰先生も書か
れていました。わたしも、まったく橋詰先生の書かれていた通りだと思います。
制度・法制史に偏重しているとの批判を長らく受けている教育史が、日々生起して
いる現実の教育諸課題に示唆を与え得るような学問に脱皮していくためには、教育の
世界で起こったことそのものへのまなざしを、より大切にしていく必要があると感じ
ます。そのためにも、教育現場で日々散逸し、灰になりつづけている貴重な「ゴミ」
たちへの配慮がきわめて肝要だと思います。
埃まみれの職員図書室の「ゴミの山」を見ながら、ふとそんなことを考え、だらだ
らと書かせていただきました。
(『信州大学教育学部 歴史研究会会報』第100号、1998年12月発行)