古い「日々雑録(ひびざつろく)」                   にえきらない思考の断片

3月28日
ここ最近の読書状況

〈読了したもの〉…千葉とくじ『地理と民俗への道』(大明堂)
         手塚治虫『ネオ・ファウスト』(朝日文庫)
〈読み止しのもの〉…村上陽一郎『安全学』(青土社)
          佐伯胖『マルチメディアと教育』(太郎次郎社)
          今谷明『象徴天皇の発見』(文春文庫)
          野田正彰『戦争と罪責』(岩波書店)
          馬淵和雄『鎌倉大仏の中世史』(新人物往来社)
          坂野潤治『近代日本の国家構想』(岩波書店)
          佐藤学『教師というアポリア』(世織書房)

 とまあ、こんな具合に本が「それなりに」読めるのも、あと一週間だろうなあ…。
 何か面白い本があったらご紹介下さい。まあ、読めて楽しめるっていう保証はないんですが。


3月21日
 18日に第33回卒業証書授与式が終わり、私にとっては「初の卒業生」136名を送り出した。また、彼らと共に11名の同僚の先生方をお送りした。この一年間、不思議な縁で佐久高原の小さな学校で出会い、苦楽を共にして来た“同志”と別れることは悲しく辛いことであるけれど、この職業の本質的な部分に属する性質でもあるから、粛々とこの事実を受けとめなければならないだろう。いずれにしても、136名の卒業生と転退職される11名の先生方お一人おひとりに、心からなる感謝を捧げたい。そして、新しい環境での活躍を、これも心から祈りたい。136名のこどもたちの大部分は佐久地区の高等学校へ進学が内定した(19日発表)。彼らの「これから」が、本当に本当にうらやましくそして楽しみである。これは、偽らざる私の本心である。

 さて、今は在校生諸君は春休みということで、文字通り「我が世の春」を満喫しているわけだが、教員にとってはこの春休みというのは、実は「休み」でもなんでもないのである。「残務整理」と「新年度準備」というやつで、毎日出勤というのが実態である。
 先日の新年度準備職員会で、4月からの職員配置が了承された。私も、校務分掌上の重責を拝命することになった。初任者ということで、校内・校外の研修を豊富に認められていた昨年一年間とはうってかわって、とたんに責任の重さが増した感じである(実際そうなのだが)。今の正直な思いを述べるならば、とにかく不安と憂鬱さが雪崩のように押寄せてきている、というところである。何か熱い思いにたぎっているとか、溢れるばかりのやる気に満ち満ちているとか、理想と夢の実現に向けてわくわくしているとか、そんな感情は皆無といっていい。とにかく、「不安と憂鬱」―これが今の自分の感情を一番良く表わしてくれることばである。でも、この二語でも私の今の灰色の感情のすべてを説明することは不可能だけれど。
 ただ、これだけはある―4月に再会するこどもたち、そして新たに出会うことになるこどもたちとの、「不思議な縁」をかけがえのないものとし、自分自身の全存在をかけて、彼らと関わっていきたい―この覚悟だけはあるつもりだ。

 嬉しかったこと一題。
 年度末、最終授業のときに「社会科学習一年間のあしあとをふりかえる」ということで、自分自身の見返しと私の授業の感想・要望
を書いてもらった。私の関わりがこどもたちにどう評価されるのか―非常に不安と恐怖を覚えながらの最終授業であったが、彼らが寄せてくれた真摯な、そして愛情と温かみに溢れた感想に、本当に感激させられた。また、こんなすごい子どもたちと一年間学ぶことができた自分の多幸を、改めて思った。何よりも嬉しかったのは、「前よりも社会科が好きなった」「おもしろいと思えるようになった」「自分から進んで勉強しようと思えるようになった」といった感想を寄せてくれた子どもが多かったことである。一年間、社会科教員のはしくれとして、がむしゃらはちゃめちゃにやってきたことの結果が、こういったかたちで子どもたちの中に「芽吹いた」ことに、正直に感動させられた。

 「いろいろ調べるときに、最後までなっとくいく意見を見つけ出そうとするようになった。小学校のころは、しらべたりするのが つまらなかった。けど、今は調べるってとってもいいっていうか、大切だと思えるようになった。…田中先生に社会を教えても
 らって、当たり前ということがおかしいと思うようになった。今、ここに日本という国があって、地球があって…。でも、今ま
 でいろんな人がいろんなことをして、今ここに日本がある。書いてることがわけわかんないけど、もし、歴史の一つでも変わっ
 ていたら、いいこともあっただろうし、よくないこともあっただろうと思った。とにかく社会科っておくが深すぎる!!」(S君)
 「最初の方はあまり意見とか言わなかったけど、だんだん田中先生と授業しているうちに自分の意見など感想がだんだん頭の中で
 出てくるようになって、みんなの前ではっきりと思ったことが言えるようになった。いつも授業が終わると、『今日の授業は〜 だったなー』とか思うようになった。『調べる』と言う力をつけた。…人と意見と言い合うこと、人の意見と自分の意見の学び
 合い、言葉の力を知りました」(Mさん)
 「いきていくなかでたいせつなこと教わった」(N君)
 「田中清一先生に会えて自分がよくみかえせるようになった。自分と人との関係や人の気持ちを学べた」(Yさん)
 「今までの“社会科”とはまた何か違った、新しい“社会科”を学べたと思います。色々な授業があったけど、どれも一つ一つ忘
 れられない勉強だなと思いました」(Sさん)
 「『社会の楽しさ』を先生から学べたんではないかと思います。一つのことを考えつづける楽しさが学べた。田中先生が躍りなが
 ら授業をやってくれたから、わらいながら楽しく授業をやれて覚えることができた。田中先生の授業で、とても大切なことを知
 り学んだのではないかと思います」(Aさん)
 「授業とは関係のない、大切なことを学べた」(K君)
 「僕はこの一年間で『よればできる』ということを学びました。はっきりいって僕は、先生に出会う前はテストは60前後しかと
 れませんでした。でも2年になると80前後になりました。これは、僕がやればできるに気づかせてもらったからです」(T君)
 「社会はきらいできらいでしょうがなかった教科だったけど、勉強しようと思えたり、ちゃんと考えようと思ったりできるように
 なった。…がんばればきっといいことがあるということ。自分もがんばろうと思った」(Yさん)
 「先生の話の中に、何かわからないが自分を高めるきっかけがあったと思う」(J君)
 「今まで自分から考えようと思ったことがなく、社会科から考えようと思ってきはじめた。…今までこんなに、授業が楽しかった
 のはなかった」(Mさん)
 「戦争やその他の出来事の、ひさんさや悲しさとともに人間の強さ弱さを知った」(Aさん)

 むろん子どもたちの感想は、ここに挙げた好意的な内容のものばかりではなかった。「黒板に書く字が汚いので読めないときがある。気をつけてほしい」「授業をつぶして一時間お話というのはダメだ」「もっと進度を上げて欲しい」「時間にちょっとルーズなところがあるので考えて欲しい」などなど、耳と心の痛くなるような批判の数々も頂戴した。しかし、私は「批判することの大切さ」を一年間子どもたちに訴えてきたつもりでもある。だから、この批判の数々が彼らの成長した姿だと思えば、これまた苦言も甘言となる。本当に、彼らはすごい連中だと思う。
 こういった数ある感想の中で、とっても印象に残ったものがある。「『田中の社会科』で学べたこと」という問いに対して2年のH君が寄せてくれた一言である。
 「特にないが、心の厚さを感じた」
 学んだことが「特にない」というのは、なかなかに痛烈だが、でも私という人間に「心の厚さを感じた」というのである。気恥ずかしくなるのと同時に、何か気持ちの引き締まる思いになった。やはり、彼は私という「心をもった人間」を通じて、あるいは「と共に」、社会科を学んでいたのである。社会科には教科書もあるし資料集もあるしビデオもあるし具体物もある。でも、それを使って社会科の「奥の深さ」を学ぶのは、他でもない心をもったこどもと教員である。H君の一言は、この当たり前の事実を再確認させてくれた。そして、この事実の意味の重さと深さも同時に、私に教えてくれた。
 彼らは、私に社会科のもつ“何か”を「教わった」といってくれた。でも、正直にいえば、実は私が彼らの社会科の時間に見せる凄い姿から、社会科のもつ魅力や凄さを「教えてもらった」のである。


3月9日
 脳死患者からの臓器摘出と臓器移植の話題がひっきりなしに報道された10日間あまりであった。私の頭の中でも、「脳死」とは「人の死」なのか、という問題がいっつもいっつもめぐり巡っていた。そんなせいもあって、担当しているクラスの子どもたちに、「脳死」と「脳死者からの臓器摘出」についてどう思うか聴いてみた。
 ちなみに1年生の子どもたちの意見の分布を示すと、
 Yes…7名 No…22名 わからない…4名
という結果になった。こどもたちの意見の根拠を聴いてみると、おもしろい様相が浮かび上がってきた(次にあげるのは、2年生で同じ質問をした際の意見と理由である。2年生には学習カードに書いてもらった)。

 「自分が脳死になって臓器をあげるのはいいけど、家族のはダメ―」(Yくん)
 「脳死は人の死じゃないと思う。少しでも心臓が動いているんだから死んでないと思うし、口もきけなくても意識がなくても家族 は家族だし、ずっと生きていてほしいと思う」(Eさん)
 「脳死になって自分が他人に臓器をあげるのはいいけど、他人の臓器をもらうとか家族の臓器をあげるとかいうのは、やっぱり抵 抗があって、だめだな」(Kさん)
 「親がもし脳死になってしまって、臓器提供をしたいといっていたとしたら、僕はそれが親が最後に決めたことだし、それをかな えてあげたい。それは、親の意志だしそれをしてあげることは最後の親孝行になると思うからです」(Mくん)
 「自分の家族が臓器が必要だったら脳死をした人から臓器を提供してほしいと思うし、でも、自分が脳死になった家族がいる立場 なら、心臓の動いている人から臓器を取り出してってのは抵抗があるし…。その場にならないとわからないし、どっちもわかる から、なんともいえないな」(Eさん)

 このように、こどもたちもこどもたちの実感に基づいて、自分なりの「死生観」を「脳死」という具体的な問題を通じて披瀝してくれた。ここにはことば使いや論理の稚拙さはあるものの、それでもなお、自らの実感に根ざして「死」というものと向き合っているという事実がある。私は、このことにこそ重きを置きたいと思う。社会的な問題を、どこまでも他人事ととしか受けとめられず、それゆえに表層的な思考しか働かすことができないのであれば、それは非人文・社会科学的態度であるのみならず人間らしさ(人間臭さ)を失ったロボットの思考と同じである。その意味で、ここに掲げたこどもたちの意見には、こどもたちが胸の内に持つにいたった「わりきれなさ」が溢れている。
 2年生のRくんは、「先生、ぼくはわかりません」と正直な気持ちを学習カードに書いてきてくれた。私は、この感想に一番感激したし、また嬉しくもあった。「わかりません」―これが、およそ「本当にものを考える」という営為の出発点である。R君は、まさに「本当にものを考える」ためのスタートラインに立っている自分の存在を、正直にアピールしてくれたのである。この種の感想を寄せてくれた子たちはR君に限らない。多くのこどもたちが、自分の立場を一応は示しその理由を自分のことばで記しつつも、最後には自分の中に「わりきれなさ」を感じて、「うーん、でもどっちなのかはっきりしないです」と文章を結んでいる。
 
 私は一年間、こんなに真剣に「生と死」の問題に向き合ってくれる子どもたちと学ぶことが出来ていたのである。このことを感謝せずにはいられない。「わりきれなさ」を身の内に抱え込みながら、日々生起する自らを悩ます問題と格闘したり、あるいは怠け心と共存共栄?をはかりつつ、のらりくらりと生きているこどもたち…そして他でもない、私。「脳死」あるいは「人の死」という大命題の前では、教師も生徒もない。そこでは、「わりきれなさ」に立ち向かおうとする、「確かな足場を希求する人間たち」がいるだけである。

追記:『信濃毎日新聞』1999年3月8日朝刊「文化」面に所載の、立川昭二氏(北里大学名誉教授)「脳死移植に寄せて」は、今回の   「脳死」に関わる諸問題を考える上で、きわめてユニークかつ重要な観点が医療史の立場から提示されている。


3月1日
 2月最後の連休は来客の嵐だった。
 常陸野時代、ふたりで良く杯を交わしたM君が、遠く静岡県の三島から身延線〜中央線〜小海線と乗り継いで、この佐久の地まで訪ねてきてくれた。彼は今、静岡県の公立高校で地理歴史の教鞭をとっている。たびたび電話で話をしてはいたが、理念の高い彼のこと、現実との格闘にかなり疲労困憊しているようだった。しかし、厭戦気分が増したときに、その人の真価が問われる。彼には理念を挫けさせることなく、しなやかに歩みつづけて欲しいと痛切に思った。そんな「同志」のいることが、私自身にとって何よりもの支え、起爆剤となる。
 長旅で疲れたそんな彼を我が家で迎えたのが、我が教え子たち5名である。2年生の仲良し5人組が、懲りもせずまたも我が家に押しかけてきていたのだ。ふるまうべきレパートリーの貧困な私は、教え子の来襲にはカレーでもって応酬している。今回もその例にもれず、先日購入した大鍋にたっぷりのカレーを作った。私のカレーの味が忘れられないのか、それともこの「変な教員」に何がしかattractiveなものを感ずるからなのか、「先生、また来るね。今度はカレーと自慢のスープ用意しておいてね」とのことばを残して、M君にも強烈な印象を残して佐久高原の薄暮の中を、仲良く5人連れ立って帰っていった。午前10時に来て帰っていったのは午後6時。この時間の中で、彼らと私が何か「教育的に意味のある関わりをしたのか?」と問われれば、「何もいえるべきものはない」としかいえない。でも、無意味なこと・無駄なこととみなされがちなことの中に、実はことの本質ともいうべきことがらが潜んでいるものである。大切な連休に体と心をゆっくりと休めることができないことは、確かにしんどい。けれど私は「無駄なこと」の積み重ねの中に、人と人との関わりの本質を見るがゆえに、我が教え子たちとの「じゃれあい」を楽しんでいこうと思う。

 早いもので佐久高原で奉職して一年が経つ。経験の質的比較でいえば、学生時代6年間と匹敵する中身をもった一年間であった。年度末、慌しく落ち着かない日々が続くからこそ、この一年間の自身の経験に哲学的省察を加える必要を感ずる。そう、ただの反省なら誰でもできる。教師である私がすべき反省は、哲学的省察でなければならない。この一年間をふりかえることが、自身のこれからの教師人生の糧となるためには、月並みな反省であってはならないはずである。行き方そのものが問われる職業、それが教職だと思うからだ。あ、しかし附言すれば、別に私は「教職=聖職」論者ではない。「教職≠聖職」論者であるからこそ、妙な道徳的倫理的観点からの反省ではなく、もっと根本的に自らの人としてのあり様を問い直すこと=哲学的省察が必要だと思うのだ。