古い「日々雑録(ひびざつろく)」                   にえきらない思考の断片

12月27日
 長かった2学期が金曜日、ようやく終業した。
 勤務校での約10ヶ月をふりかえると、自らの怠惰さのみが思い起こされる。慣れというのは恐ろしいもので、1学期はそれこそ授業ノートを完璧に用意し、配布する資料プリントも出来あがっていなければ安心して眠れなかったのが、2学期はそうでもなくなっていた。授業当日の朝大急ぎで学校に行き、ささっとやればできるようになっていた。また、授業ノートも杓子定規にそれに縛られてやる、というかたちから、こどもたちの声や様子を見ながら柔軟に変更を加えて授業を進められるようにもなった。
 しかし正直に告白すると、その慣れに甘んじてしまい、容易な教材研究のままで、あるいはほとんど何も教材研究をしないままに授業に行き、お茶を濁したような授業をやって帰ってきたことも多々あった。

 慣れによる「熟練」と「手抜き」は表裏一体のものだと思う。
 約10ヶ月教師稼業をやってみて思うことは、教科指導に関していえば、こどもたちの自主性や活動性を重視した授業を場合を除けば、いわゆる「講義式」「問答式」の授業の場合、教師側の準備にかける負担は漸次軽減されていくということだ。むろん、相手にするこどもたちは毎日変化しているし、同じ教材であってもこどもが違えば違うやり方が必要だし、こどもの反応ももちろん異なっているのであって、単純に今年用意した授業ノートが来年もそのままのかたちで使えるはずはない。でも、無から有を生み出すのは容易なことではないが、有に手を加えて新たな有を作ることは比較的容易なことだ。

閑話休題
 
 今日、『AERA臨時増刊号 子どもがわからない』(朝日新聞社)を読んでいたら、ルポライターの吉岡忍氏が「四割の子どもたちが棄てられている」と題された文章を寄せていた。本書には、「プロ教師の会」の諏訪哲二氏が「内面への介入拒む子ども達」と題した反論も併載されていたので、とても興味深く読んだ。
 「教科学習改革をなぜしないのか」「内的経験に根ざさない授業が無益であること」を説く吉岡氏。
  「教師と生徒」との関係を「衝突・対立」と捉え、子どもたちに関する現状認識は共有しつつも、日本に市民社会が真に成立したが故に子どもたちの姿もかくあるのであり、「授業がダメだから、子どもたちがダメになる」とする吉岡氏を批判する諏訪氏。
 どちらの意見もうなずけるのである。その原因は、どちらの論も「教育現場の論理」から書かれているからだと思う。殊に、諏訪氏の主張には、教職にある者ならば「そうだそうだ」と首を思いっきり縦にふることができる内容が多いのである。でも、諏訪氏の主張にはある種の諦観があるようにも思える。「理想」が見えないのだ。
 一方、吉岡氏の主張には学校教育への「信頼」が見える。いや、「期待」といってもいいかもしれない。それに、教育学という学問への「期待」もあるのかもしれない。いわば、「理想」が見えるのだ。でも、その「理想」を目指す際の方法に実効性があるかといわれれば、それは未知数といわざるを得ない。たとえば「教科教育の改革」「子どもたちの内的経験に根ざした授業の創造」というテーゼについても、私個人としても「理想」だと今は思えている内容ではあるが、果たしてそれが本当に子どもたちの成長に与することができるのか、という点に関してはまったく自信も見通しもないものなのである。

 でも、私が唯一確信していることはある。「教育は、教育によってしか救われない」(吉岡氏)ということである。
 別に格好つけていっているわけではない。
 私は、毎日子どもたちと一緒に授業を創っていかなければならない。受験もある。眠る子どもたちもいる。窓の外を見て、ぼーっとしている子どもたちもいる。無心に板書を写している子どもたちもいる。私を凝視している子どもたちもいる。積極的に授業をいっしょに創ってくれるこどもたちもいる。本当にいろいろな子どもたちがいるのである。

 ―と考えると、やはり、2学期の私の歩みは怠惰そのものだった気がする。
 評論家ぶってごちゃごちゃ書いている場合ではなさそうだ。そんな暇があったら、教材研究のひとつでも、子ども理解に益することのひとつでもしろ!って感じだ。


12月21日

歴史の授業。
生徒たちが一生懸命に、わたしの「講演」を聴いてくれるのはどうしてか?
「講演」まがいの授業しかこどもたちに提供できないでいるのが、本当に情けない。

『歴史とは、創造するものである』

学生時代の恩師のことばが、耳の奥でコダマシテイル。
こどもたちに歴史を創造する場や機会を与えているだろうか。逆に、かれらの創造性や独創性を殺してはいないだろうか。

日々、ちんやりとしていってしまうこどもたちを目の前にしながら、非創造的な営みしかできないでいる自分を恥じる。

「偽籍のことをやっているうちに、すごくそのなぞを知りたくなりました。」
「今日、『どうして農民たちはウソの戸籍をつくったのか?』を調べたけど、納得いく結論が出ませんでした。
 次回は、友だちの発表とかを聴いて納得したいです。」(Kさん)
「今日は、眠かったけどすごく一生懸命調べられた。がんばれたぞー。」(Mさん)

彼らの声を無駄にしてはならないと思う。こんな声を聴けるうちが華だ、とつくづく思う。
 


12月16日
 三者面談2日目。担任の先生方にとっては気の休まる暇もない4日間なのであるが、副担任の私にとっては「師走」とは名ばかりの、お叱りを覚悟で申しあげれば「いい骨休め」の土曜日課4日間といったところなのである。
 そんなゆとりのある午後のひとときを使って、「職員図書室」と呼ばれている小部屋で古本漁りをしてみた。

 するとどうだろうか。かなりの数の稀覯本(と、私にはうつるのだが)が、なんとビニールひもでくくられてすぐにでも廃棄できる状態で本棚に詰め込まれていた。そんな状態で詰め込まれているのは、何も書籍だけではなく、実践記録や紀要、小冊子、勤務校の生徒会誌といったものもあった。
 1時間くらい埃まみれの資料群と向き合っていると、教育の社会史を構築する上での困難性を思い知らされた。
 これらの資料群は、確かに一見するとただの「紙くずの集積」である。でも、これらの資料群は、勤務校の歴史をひもとく上で欠かすことのできない情報を提供してくれるはずのものなのである。あるいは、ある地域の教育の社会史を構築していく上で、計り知れない示唆を与えてくれるはずのものなのである。

 『長野県中学校学習指導要領(試案)』なる、黄ばんだ冊子を棚の中から見つけた。
 これは、あまり知られていない事実であると思われるけれど、長野県では昭和22年に文部省が『学習指導要領(試案)』を出された後、県教委で長野県版『学習指導要領(試案)』を研究・出版していたのである。昭和26年のことである。
 その後、昭和26年に『学習指導要領(試案)』が改訂されたのにあわせて、やはり『長野県学習指導要領(試案)』を研究・出版したのである。こうした、県版『指導要領』を出したという事実は、長野県以外は寡聞にして知らない。長野県教委は、文部省が「試案」という文字に込めた意図を真摯に受け止め、実行したのである。この黄ばんだ冊子が、まさにそのことの証である。
 私は、この事実を聴いて知ってはいたが、実物を見たのはこれが初めてであった。しかし、ビニールひもにくくられていたこの冊子は、もし、私のような物好きが古本漁りをしないままでいたなら、おそらく灰燼に帰していたことであろう。

 学校では毎日山のように資料が生産されている。でも、一方でこれまた大量の資料が廃棄処分されてもいる。
 「大量生産、大量廃棄」−まさに学校は「社会の縮図」、なのである。
 でも、誰かが一歩立ち止まって、物好き、変わり者といわれながらも、学校で生産される膨大な資料を選択的にでも計画保存していかなければ、教育の社会史を描こうとしたとき、致命的ともいえる事態に直面することになるだろう。

 面談中のこどもたちや保護者の叫びが聞こえてきそうな校内で、ビニールひもで無造作にくくられた資料群=抹殺されようとしている「歴史の証人」たちの、悲痛な叫びも聞こえたような気がした。


 
12月14日
 月曜日の5時間目といえば、教員世界では「魔の時間帯」としてつとに知られている。この時間、「妖怪スイマー」の襲来確率がもっとも高い時間帯なのである。よほどしつけのしっかりとしたクラスか、学習意欲の高いクラスでない限り、「妖怪スイマー」の魔の手から逃れるすべは、ないといっていい。むろん、襲来され、とり憑かれるのはこどもたちであって、教員ではない。
 そんなわけで、今日の3年生某クラスの5時間目の授業は、ごまかしともいえなくはないが「妖怪スイマー」対策として、1998年10大ニュース決定会を開催した。
 まだちゃんとした集計をしていないので確定的な内容を書くことはできないが、こどもたちの選んだ10大ニュースの第1位は、

 長野冬期オリンピック・パラリンピック開催

であった。次いで多かったのは、1998年を漢字一字で表わすと「毒」にちなんでではなかろうが、
 
 和歌山カレー毒物混入事件

であった。その他、目についたものをあげると、「hideの死」「横浜ベイスターズの優勝」「山一證券の破産」「銀行が次々とつぶれたこと」「石橋貴明と鈴木保奈美の結婚」などなどがあった。また、「さまざまな知識を身につけたこと」といった、読んだこちらが「うーむ、なかなか」とうなってしまうような10大ニュースもあった。
 そんな中で、「K君の死」が多く挙げられていたことには、複雑な思いを抱かされた。

 K君とは、今年6月に交通事故で亡くなった2年生の生徒のことである。スポーツ好きの、ひょうきんなところのある、クラスのムードメーカーであった。彼の急死は、学年を越えて学校全体に悲しみをもたらした。それが、半年前のことである。
 彼の死を、3年生の多くが忘れられない出来事として1998年の10大ニュースに挙げていたことは、嬉しくもあり、また悲しいことでもある―校友の死を悼む優しいこころをもつ生徒が多いことには嬉しさを感ずるが、彼の死そのものは本当に悲しい出来事であり、今後決して起きて欲しくない出来事であるから―。
 
 明日から全学年で三者面談が始まる。3年生にとっては、進路決定=未来に関わる大事な面談である。
 彼らには、まだまだ未来がある。でも、K君はその未来を見ることなく、志半ばで14年の生涯を閉じた。
 K君が去って半年、改めて生徒たちには「ただ、生きていられることのすばらしさ」を感じて欲しい―こどもたちの10大ニュースをながめながら、そんなことを感じた。


12月7日
 2年間の常陸野遊学時代、「同級生」として共に研究室で机をならべ、陰に陽にさまざまな薫陶を受けた杉浦正和先生から、最近出版されたご著書を送っていただいた。『授業が変わるディベート術 ―生徒が探究する授業をこうつくる―』(国土社)である。むろん、送っていただいたばかりで目を通してはいないが、同じ教職にあるものとして杉浦先生の刻苦勉励ぶりには、本当に脱帽してしまう。
 この杉浦先生、大学卒業後、某有名電機メーカーに就職、約10年間のサラリーマン生活ののち会社を退職、私立S工業大学附属K高校の教諭に転職。爾来10数年、「社会科の醍醐味は討論・ディベートにあり」を合言葉に、実践に実践を重ねておられる。
 常陸野での2年間に杉浦先生から学んだことは数多いが、その最たることは、月並みなことばでしか表現できないことがもどかしいが、「学びつづけることの大切さ」―このことであった。
 20代そこそこの学生連中とも、意見の相違があれば口かど泡を飛ばして討論をする真摯な姿勢、でも、かといってやっかいな堅物かと思いきやそんなことはなく、ユーモアを解する「いいおじさん」先生なのである。常に学びつづけているがために、若々しさをたもっているのである。まさにphirosopherなのである。
 
 杉浦先生は、送ってくださったご著書の裏表紙にひとこと添えてくださっていた。

 「謹呈 田中清一様 杉浦正和」

 ごくごくあたりまえの、よくある著書謹呈のことばであるが、私には杉浦先生からの無言の励ましのように思えた。
 気にかけてくれている「恩師」の存在に感謝しつつ、あいも変らぬ日常を生き非創造的な営みを重ねている自分自身を恥じた。



 
12月4日
 嫌なものだ。
 調査書に記載される3年生の5段階評価(まだ仮の評価なので、「仮5評」という呼び方をする。「本評」と呼ばれる最終評価は、年明けの中旬に決定され、調査書に記載されることになる)を出すことになっているのが、月曜日。
 かつては、カードやら書類やら大量の資料を駆使し、多くの先生の参加のもとに行なわれたというこの評価も、今やコンピューターの処理一過、あっという間に1から5までの評定が算出されてしまう。
 150人のこどもたちがいれば、当然、1番から150番までの順番の中にこどもたちひとり一人が「あてはめられていく」ことになる。それも、私がもろもろの資料から算出した数値をパソコンのキーボードをたたいて入力し、ちょっとした操作をすればたちどころにできてしまう、文字どおり「作業」なのである。
 「こどもの存在に序列などない。数値では推し量れない良さがひとりひとりのこどもにはある」と叫んでみても、しょせんそれは「罪な仕事」を「その日の糧」にしている教員の自己満足、自己弁護にすぎないような気がする。その心はどうであれ、現象化している行為の結果論的解釈は、「こどもたちの能力を数値化し、その数値をもとに母集団内の序列化を行い、選抜システムの円滑な運用に資する『評定』と呼ばれる判断数値を、選抜行為者に提供している」というものになるだろう。

 既往の社会システムが多くの人に意図的・無意図的に選択され維持されている以上、また、そういった社会システムの基盤維持のために、これまた意図的・無意図的に選択され維持されている現行の高校入試制度が続いて行く以上、上記のような行為は、毎年変わることなく中学校教育の中で繰り返されていくものとなるだろう。
 「繰り返し」は、「繰り返し」が行われている行為が本来もっていたであろう、真の意図や脆弱点をあいまいなものにし、進んでは見えなくするものだ。ルーティンワークというのは、そういうものをいうのだろう。学校における教師のルーティンワークにはさまざまあるだろう。授業もそうかもしれないし、毎朝夕の短学級活動、多くの会議などなど。そして、成績処理はまさに「処理」と化すものだろうし、「評価」を行う営みも「作業」と化す可能性をもつものだろう(もう、そうなっているのかもしれない)。
 
 「いやしくも『評価』や『評定』をルーティンワークと呼ぶとは何事か!」

とお叱りをうけそうだが、これは、偽らざる私の思いである。



 
12月2日
 2学期の期末テストが終わった。採点が残っているのは、あと1クラス。入試を控えた3年生のぶんだけだ。採点には慎重を期したいと思う。
 1年生と2年生については、今日、さっそく授業があって答案を返却した。テスト当日に授業を組み、おまけに生徒会の時間まであるんだから、まあ、かなり無理のある時間割だった。生徒だって、テストが終わった安心感と解放感で落ち着きがなくなるのは当然だろう。まあ、大騒ぎだったし、ひどくざわざわしていてひどい雰囲気のクラスばかりだった。
 採点基準のあいまいさにも、生徒たちは少々怒っていたようだった。不信感を募らせた生徒たちも多かったかもしれない。でも、いいわけを許されるならば、知識理解だけを問うのではなく資料をもとにして回答を導き、自分のことばで回答を書くという問題を作ると、どうしても多様な回答が出てくるし、機械的に採点することが困難になってきてしまう。
 でも、生徒たちの不信感や不満感を募らせてしまった以上は、自省をしてこれから改善を図る必要はある。彼らにとって、1点は重要なのだ。「たかが1点、されど1点」なのだ。このあたり、自分自身の生徒時代を想起すれば、わからない世界ではない。
 でも、その「1点への執着心」がわかってしまうだけに、かつて自分もそんな生徒であったからだけに、何か目の前の生徒たちの姿が脱力感を誘うものに映る。
 倦怠感が全身を包んでいる。不愉快ではないが愉快でもないな、今日は。