日々雑録(ひびざつろく)                      にえきらない思考の断片

 
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10月30日
 先日、筑波大学の日本研究実習に混ぜていただく機会に恵まれた。恩師からのお誘いがあったためである。
 それにしてもつくづく思うことがある。それは、学窓を離れて年月が経過するにもかかわらず、学ぶ機会を与えてくださるその思いのありがたさ、である。教職に就いてはや1年と半年。この日月の経過の中で、自分自身が何ほどのことを学び成熟した一人の個人なる存在になり得ているのか、内心大いに忸怩たるものがある。その思いを、こういう学べる機会に遭遇すると、嫌というほど思い知らされる。今回の実習参加も例外にもれず、そういった機会となった。
 
 その日の夜、近代政治思想史を専門にされる池田元先生からうかがったお話は、学的世界の厳しさを感じさせて余りあるものであったが、学びえたことはそれにとどまらなかった。
 「理論をもつことの強み」―池田先生のお話は、起こったこと・事実・人々の思いといったものの提示と集積こそが、歴史像を描き出す上で手堅い手段である、との自分自身の歴史研究法への再検討を強く迫るものになった。まあ、いってみれば大学院で2年間もの時間がありながら、社会事象を分析するための理論・分析枠組み・モデルといったものを真剣に学ばなかった、自分自身の知的怠慢を再度、確認することになったわけである。
 1930年代の、そして「ファシズム」という概念で括られる1940年代の日本社会を、歴史学を志すものとして、どのように理解するのか。1930年代〜40年代という時代を解析し、その時代像を炙り出し描き出すということは、いったいどういう意味を持つのか?また、そもそもその時代を描き出すという歴史学とは、どんな学的存在意味をもつ学問なのか…。すでに、歴史哲学や歴史学概論の世界では自明のことなのかもしれないが、不学な私は、過日深更まで続いた恩師たちの熱のこもった議論を聴きながら、そんな稚拙な“思考”にふけってしまった。

 部屋の片隅に、提出以来、本腰を入れて再検討していない修士論文が転がっている。おそらく、この論文をreconstructすることが、まずは自分自身の思考のあり方を問い直すことになるのだろう。論文を再検討し、見通しや論理を再構築することは、すなわち既存の思考のあり方をバラバラにすることと同義である。これは、なかなかどうしてしんどい作業だと思う。でも、これをやらないことには、自分の歴史を観る目が一向に成熟しない。これはつまり、自分という人間が、ひとりの人間として成熟しないということと、これまた同義だと思う。

 「食べ物を食べなければ体が死んでしまう、本を読まなければ『心』が死んでしまう、考えなければ『頭』が死んでしまう」


7月27日(3ヶ月ぶりの更新)
 暑中お見舞い申し上げます。
 まずは、ホームページ上でのご挨拶をお許しください。また、長らくの無更新、情けなきこと限りなしです。
 梅雨明け宣言が出たとたん、こちら信州佐久でもうだるような暑さとなりました。南に臨む八ヶ岳は濃緑色の山肌と茶褐色の岸壁が美しいハーモニーをつくり、北に臨む浅間山は、黒々とした山容を誇って屹立しています。いよいよ佐久高原にも夏がやってきたと実感します。でも、朝夕の涼やかさは、かつて暮らした長野そしてつくばの地とは異なり、故郷松本の記憶を呼び覚ます風情があります。

 学級担任としてあわただしく過ぎ去った1学期も、ようやく本日の終業式をもって終わろうとしています。まだ、1学期を振り返り反省や課題を把捉する余裕は精神的にも物理的にもありませんが、とにもかくにも、大過なくこどもたちが1学期を過ごし終えてくれたことが、何よりの幸せと心底感じています。
 先日は、1学年最大の行事である望月キャンプが終わりました。不慣れな私が行事主任を仰せつかり、案の定多くの先生方やこどもたちに迷惑をかけてしまい、個人的に反省の多いものがあったキャンプでした。しかし、こどもたちの意外な自主性やしたたかさ、いやらしさ、馬鹿さ加減、すばらしさといったものを間近でみることのできた、貴重な場でした。
 1日目の夜、豪雨の中用意したキャンプファイヤー。できるのか?と誰もが思いながらの準備でした。しかし、始まってみれば天が味方したのか、お月様まで顔を出し、こどもたちの奮闘を称えるかのようでした。クラスごとの出し物でも大いに盛り上がり、最後のファイヤーを囲み肩を学年全員で組んで歌った校歌は、月の名所と古来詩歌にも詠われた望月の夜空に、凛として響き渡りました。

 日曜日は通知票を仕上げる仕事に忙殺されました。各教科から寄せられた評定を記入し、ひとり一人の顔や姿を思い浮かべながら所見を記入するという仕事は、実は自分自身のこどもたちひとり一人への眼差しの質を問い掛けるものでした。それだけに、一字もおろそかに書くことはできない、そんな心地です。
 今日、通知票を受け取りにくるこどもたちの表情を想像すると、何ともいえない笑いがこみ上げてきます。不謹慎ですが。

 それでは、いよいよ夏本番。皆様には、時節柄ご自愛専一に。
 それでは、乱文ながら暑中お見舞いを略儀ながら申し上げました。

1999年7月25日

佐久高原から 田中清一


4月5日
 初担任初日。緊張の入学式、そして式後の初学活。それもこどもたちだけでなく、保護者のみなさんの前で。
 人生の先輩を目の前にして、この若輩者が何をかいわん―でも、こどもたちの真剣なまなざしを前にしてたじろいではいられない。私が人として、また一教員としてかけがえのないと考えていること、譲れないところ、大切にしたいと感じていることを縷々「演説」させていただいた。果たして、今晩食卓を囲むこどもたちと保護者の方々の担任評はいかがなものだろうか。
 
 “Be defferent”(R.エマーソン)―これが学級通信の名前だ。通信の内容については、校長先生から「難しすぎる」との酷評をいただいた。でも、内容については今わからなくてもいい、そう考えている。彼らこどもたちとの数年間のつきあいの中で、彼らが私自身のメッセージを少しでも感じとってくれれば、それでいいのである。むろん、わからなければならないことは、繰り返し繰り返し、そして噛み砕き噛み砕き伝えていかなければならないだろう。でも、今すぐにはわからなくとも、生きていくというかけがえのない営みの中で、頭だけでない実感的・実践的で、時間のかかるわかりかたをすべきことがらだってあるはずだ。担任教員の願いというものに、そういう類のものがあったっていいはずだ。

 今日見たこどもたちの不安と緊張と輝きと慈愛に満ちたあの目を、記憶倉庫の「貴重品用ひきだし」に大切にしまっておこう。さあ、明日から学級の本格始動である。「適当」にやろうと思う。